エホバの証人とは1800年代後半にラッセルという人物が創始した宗教団体です。もともとは国際聖書研究者協会という名称でしたが、2代目会長のラザフォードがエホバの証人という名称に変更しました。
JWとは(Jehovah’s Witnesses)の略で、日本語に訳すとエホバの証人となります。
エホバの証人についてその組織の内部事情を明らかにしているブログは多数存在しています。今回はその中で、私がよく読ませていただいているブログを3つご紹介します。
これらのブログは私が知っているJWの内部事情と完全に一致しており、事実であることがわかります。
ではいってみましょう。
①【犠牲】さんのブログ

この方のブログはとにかく文章が読みやすいです。そしてJW組織に対しての鋭いツッコミは思わず笑ってしまいます。以下の記事では、JWを親に持つ子供が陥る境遇を説明されています。

この記事で紹介されている内容は、夏休みに多くの子どもたちが自由な時間を満喫していますが、JW二世にとって、夏休みは楽しみではなく、むしろ苦行となっています。なぜなら、毎日が奉仕活動(家々を訪問して聖書の内容を証言する)に連れまわされるからです。
このような生活では、子供が自分のしたいことを十分にできず、せっかくの夏休みも毎日がストレスに感じるだけかもしれないですね。このような宗教が本当に愛ある神様の作った宗教だとは考えられないのではないでしょうか。
②【ドカルト兄弟】さんのブログとYouTube
とにかく話がおもしろいです。この方はYouTubeも運営されており、「JWをぶっ壊~す」というフレーズから繰り出される、数々の切れ味鋭いツッコミを披露しています。
この方の発信する情報は非常に正確です。私が見てきたJWの教えと完全に一致しています。例えば、以下の動画で捏名されていますが、現代では神は奇跡的にエホバの証人を助けることはしないが、試練に耐える力をを与える、という教えがあります。
しかし別のJWのビデオ(JWが信者向けに発信している動画があるのです)では、信者が経験した奇跡的な話を撮影して信者に見せたりしています。例えば、集会場を建設するために必要な砂を購入することができず、猶予があと一日しかないという状況で途方に暮れていたところ、台風が発生し海辺の砂が散乱し、その砂を無償でもらったという話です。
現代では奇跡は起こさないという教えなので、これは偶然ということになるべきですが、そのビデオでは神が奇跡を起こしたという論調なのです。つまり、教えに矛盾が生じているのです。私はこの矛盾の多さがエホバの証人の教えの特徴の1つだと思っています。
③【ぴ~たん】さんのブログ
この方は本当によく聖書を研究されていて、JWの教えの矛盾点を分かりやすく教えてくれます。例えば以下の記事ではJWの教えにあるバプテスマ(これによりキリストの弟子となり、ハルマゲドンで生き残ることができる)までの道のりが、聖書と全く異なっている点を指摘しています。

きちんと聖書の記述とJWの教えを比較されていますね。このように、この方の記事を読むことで、JWの教理の矛盾点に気づくことができた人は多いのではないでしょうか。
まとめ
JWの教理について、その矛盾を指摘しているブログはたくさん存在しています。そして、その情報を発信している方に多く見られるのは、この組織により、深く傷ついているということです。
信仰の自由とは言いますが、多くのブロガーは宗教二世という立場で、親から信仰を強制されられてきたのです。
もちろん、それで良かったという人もいれば、人生を台無しにされたという方もいます。
JW内では高等教育を受けさせないという雰囲気があります。なぜなら、もう間もなくハルマゲドンが来て世界は楽園に変わると教えているからです。つまり、大学に行っても意味がないと教えています。そういった教理なのです。
歳を取ると感じることですが、若い時のエネルギーは歳を取ってからはもう出てこないのです。若い時に学んだこと、経験したことは人生を乗り越えていく助けになるものです。
そのような若い時のエネルギーをJWに費やした多くのJW2世は、そのような境遇でも1日1日必死で生きているのです。
宗教により慰められると言いますが、JWに関しては傷つくことも多くあります。途中で離脱したら、排斥と呼ばれるJWから無視される憂き目にあいます。
JWの教えが抜けず、ハルマゲドンで滅ぼされるという恐怖に怯えて生きる必要があるかもしれません。
私には、ただでさえ生きることが大変な世界で、なぜこのような重荷となるような宗教が存在しているのか、疑問です。
今回ご紹介したブログ以外にも魂の叫びともいえるような、JWに苦しめられた、あるいは今もなお苦しんでいる方々の叫びが記録されています。
一つ言えることは、このような人を深く傷つけ続けているエホバの証人が本物の宗教ではないことは確かでしょう。
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