はじめに:多様性社会における「飲酒」の再定義
現代社会は、価値観の多様化と個の尊重が急速に進む時代です。そうした中で、長らくコミュニケーションの中心にあった「飲酒文化」にも大きな変革の波が押し寄せています。アルコールメーカーであるアサヒビールが提唱する「スマドリ!飲む人も飲まない人もみんなで楽しもう!!!」というコンセプトは、単なるノンアルコール製品のプロモーションを超え、まさにこの多様性社会における「お酒の生活文化」そのものを再構築しようとする、壮大な「社会的実験」であると本稿は結論付けます。
本記事では、この「スマートドリンキング(スマドリ)」が一体何を目的とし、どのような具体的な挑戦を行っているのかを深く掘り下げます。同時に、その取り組みが直面する現代社会の根深い課題や、消費者からのリアルな声、そして専門的な視点からその意味合いを分析し、私たち一人ひとりが未来の飲酒文化、ひいては多様な共存社会をどのように築いていくべきか、その示唆を提示します。
1. 「スマドリ」の本質と戦略的意義:企業が「社会課題」に挑む「共創」モデル
「スマドリ」、すなわち「スマートドリンキング」は、アサヒビールが提唱する新しい飲酒スタイルです。その根底にあるのは、「飲む人も飲まない人も、飲める人も飲めない人も、誰もが共に楽しめる未来へ」というビジョンであり、これは単なる市場拡大戦略に留まらない、社会課題解決へのコミットメントと捉えることができます。
このビジョンは、以下の引用に明確に表れています。
「スマドリ共創プロジェクトはお酒を飲まない人も心から楽しめるような場や時間が、もっと当たり前になったらいいのに。そんな未来を創るアイディアをみんなで考え、カタチにしていきます。さあ、あなたも共創メンバーの一員として、その声を聞かせてください。」
引用元: みんなでつくろう!スマドリ共創プロジェクト|アサヒビール
このテキストから読み取れるのは、「共創(Co-creation)」という、現代のビジネスモデルにおける重要な概念です。これは、企業が一方的に製品やサービスを提供するのではなく、顧客やステークホルダーを巻き込み、共に価値を創造していくプロセスを指します。アサヒビールが、消費者に対して「あなたも共創メンバーの一員として、その声を聞かせてください」と呼びかけることは、スマドリが単なるマーケティングキャンペーンではなく、生活者と共に新しい文化を築き上げる「パーパスブランディング」の実践であることを示唆しています。
さらに、このプロジェクトがアサヒビールと電通デジタルが共同で設立した「スマドリ株式会社」によって推進されている点は、その戦略的な深さを物語っています。事業会社が自社の主力製品領域に直接関わる子会社を設立し、さらにデジタルマーケティングの専門企業をパートナーとすることは、従来の製品開発や広告宣伝の枠を超え、データに基づいた消費者インサイトの深掘り、そしてデジタル技術を駆使した行動変容の促進を企図していると考えられます。これは、飲酒という行動が持つ社会的・文化的側面に対し、企業が本気で向き合い、持続可能な新しい価値を創造しようとする強い意志の表れと言えるでしょう。
2. ノンアルコールを超えた「スマドリ」の多角的アプローチ:体験と文化の再構築
スマドリの取り組みは、単にノンアルコール飲料のラインナップを増やすだけではありません。彼らは、「飲む」という行為が内包する意味合い、すなわち「場」「体験」「コミュニケーション」といった要素全体を再定義しようと試みています。これは、本稿の冒頭で述べた「社会的実験」という結論を裏付ける重要な側面です。
2.1. プロダクトポートフォリオの進化と市場ニーズへの対応
ノンアルコール・低アルコール商品の拡充は、飲酒に対する消費者の意識変化、特に健康志向の高まりや、アルコール摂取を避ける「ソバーキュリアス」層の増加といった市場トレンドへの明確な対応です。
「今日から7/28(月)まで、渋谷スクランブルスクエア アーバン・コア スペースで開催中のイベントに行ってきました✨ 私はよわない贅沢 桃を選んで…」
引用元: スマドリをアサヒから。 (@smadoriasahi) / X
このポップアップイベントの事例は、単なる商品提供に留まらず、消費者が実際に製品を「体験」し、「選択」できる場を創出するエンゲージメント戦略の一環です。製品の機能的価値だけでなく、感情的価値や自己表現の手段としての価値を提供することで、消費者の「選ぶ楽しみ」を最大化し、ノンアルコール飲料を「仕方なく飲むもの」から「積極的に選ぶもの」へと位置づけを変えようとしています。
2.2. 飲酒空間のアフォーダンス変革:場の力で行動を促す
「スマドリバー」や結婚式場での「スマドリプラン」の導入は、空間が人々の行動に与える影響(アフォーダンス)を意識した戦略です。
「ルメルシェに夏の『スマドリプラン』が新登場です! 最近耳にするようになった『スマドリ』とは「スマートドリンキング」のこと。お酒を飲む人も飲まない人も楽しめる…」
引用元: みんな楽しい『スマートドリンキング』 || INFORMATION || 【公式 …
従来の飲酒空間はアルコール摂取を前提とした設計がなされていましたが、スマドリは、アルコール飲料とノンアルコール・低アルコール飲料が同等に選択可能であり、かつ、それらを飲まない人も快適に過ごせるような物理的・社会的環境を意図的に創出しています。これにより、「飲まない」という選択が周囲から孤立せず、むしろ多様な参加者が共存する自然な振る舞いとして受け入れられる「心理的安全性」の高い場を提供しようとしているのです。これは、飲酒を伴うコミュニケーションの場における心理的・社会的バリアを取り除く試みであり、ウェルビーイング社会の実現にも貢献しうるアプローチと言えるでしょう。
2.3. ブランドメッセージの浸透と文化変容を促すメディア戦略
エンターテイメントとの融合は、スマドリのメッセージを広範なターゲット層に浸透させ、文化そのものに変革を促すための重要な戦略です。
「ショートドラマ『飲みトモ以上、恋人未満。』 第1話の本編公開! ドラマの感想や今後の展開予想をコメントで教えてください💬」
引用元: スマドリをアサヒから。 (@smadoriasahi) / X「『飲みトモズ』の4人が『スマドリでええねん!』の発声で乾杯し、それぞれが飲みたいドリンクを楽しむ様子を描いています。『飲めても飲めなくても、みんな』」
引用元: 「スマートドリンキング」新TVCMを3月12日放映開始「スマドリで …
ショートドラマやコラボCMは、具体的な「スマドリ」のあるライフスタイルを提示し、共感を呼ぶことで、消費者の行動や価値観の変容を促す「ナッジ」としての役割を果たします。特に、「アサヒ スマドリスペシャル 隅田川花火大会2025」の独占生中継といった大規模イベントとの連携は、スマドリのコンセプトを文化的シンボルに結びつけ、その社会的受容性を高める狙いがあります。これらのメディア戦略は、「飲む人も飲まない人もみんな飲みトモ」というメッセージを単なるスローガンではなく、新しい社会規範として定着させようとする企業側の強い意図が見て取れます。
3. 「飲む側」と「飲まない側」の認識ギャップ:文化変革の障壁
スマドリの意欲的な取り組みにもかかわらず、その浸透には依然として大きな課題が存在します。それは、長年培われてきた日本の飲酒文化、特に「飲みニケーション」に代表される旧来の価値観と、多様性を求める現代の価値観との間に横たわる、根深い認識のギャップです。このギャップは、本稿の冒頭で提示した「社会的実験」が直面する最も困難な側面であり、その成功を左右する鍵となります。
3.1. 「飲む側の都合」という批判の構造
X(旧Twitter)で顕著に現れる批判的な声は、スマドリのメッセージが「飲まない人々」にどう受け止められているかを如実に示しています。
「酒メーカーが必死に“スマドリ”を普及させようとしているけれど… 「飲む人も飲まない人もみんなで楽しもう」なんていうのは飲む側の都合のいい考え方であって、 飲まない僕からしたら、アルコールで脳がバグった人間の相手をするのは苦痛でしかない 普通に「不参加」を容認してくれればそれでいい 共感」
引用元: 酒メーカーが必死にスマドリを普及させようとしてるけど「飲む人 …
この意見は、「スマドリ」が提案する「共存」が、実態としては「飲む側が飲まない側を自らのコミュニティに引き込むための手段」と解釈されかねないリスクを指摘しています。飲まない側が求めるのは、必ずしも「飲む場への参加」ではなく、「参加しない自由」の尊重や、そもそも飲酒を前提としない場での交流機会かもしれません。ここには、企業側の「多様性を包含する」意図と、消費者の「個の選択を尊重してほしい」というニーズとの間に存在する、コミュニケーションの齟齬と信頼性の課題が見て取れます。
3.2. 旧来の組織文化と「飲みニケーション」の呪縛
特にビジネスシーンにおける旧態依然とした飲酒文化は、スマドリが乗り越えるべき大きな障壁です。
「飲み会は、チームビルディングのために必要! 飲むと素が出るから、腹割って話せるけど、飲まない奴とは心が通わない!っていう男性上司や取引先…」
引用元: Posts with replies by しろまめ@「ぼくがぼくに変身する方法」重版 …
この発言は、アルコール摂取が「本音を引き出す」「関係性を深める」ための不可欠な手段であるという、根強い固定観念を示しています。このような「飲みニケーション」至上主義は、アルコールを飲まない人に対して、昇進や人間関係構築の機会損失、あるいはハラスメントのリスクさえ生じさせます。企業が多様性やインクルージョンを標榜する現代において、このような旧来の文化は組織のレジリエンスを低下させ、優秀な人材の離反を招きかねない「負の側面」を持っています。スマドリの真の挑戦は、このような企業文化そのものに変革を促すことにあると言えるでしょう。
3.3. 価値観の衝突:「酔っ払う場」か「会話の場」か
佐々木俊尚氏の指摘は、この認識ギャップの本質を鋭く突いています。
「この話は、酒席を酔っ払う場と捉えるか、静かに会話する場と捉えるかという認識の差が誤解を生じてる感じがする。」
この話は、酒席を酔っ払う場と捉えるか、静かに会話する場と捉えるかという認識の差が誤解を生じてる感じがする。/酒メーカーが必死にスマドリを普及させようとしてるけど「飲む人も飲まない人もみんなで楽しもう」なんて飲む側に都合の良い考え方じゃないか https://t.co/UPnKb6NUOS
— 佐々木俊尚 四刷決定!「フラット登山」絶賛発売中 (@sasakitoshinao) August 1, 2025
これは、飲酒という行為が持つ多義性、すなわち「酩酊を楽しむ文化」と「交流を促進する社交儀礼」という二つの側面が、個々人の価値観によって異なる比重で捉えられていることを示します。飲まない人にとっては、アルコールによる行動変化や予測不能な事態が「苦痛」と感じられる一方で、飲む人にとってはそれが「開放感」や「非日常」の演出として機能します。スマドリが目指すのは、この二つの価値観が並存し、互いに尊重し合える空間の創造ですが、長年の習慣によって固定化された「酒席の目的」という認識を刷新することは、心理的抵抗を伴う、非常に困難な文化変容プロセスとなるのです。
4. 誰もが心地よく過ごせる社会へ:スマドリが切り拓く未来と持続的課題
スマドリが直面する課題は、単なるマーケティングの問題ではなく、社会全体の多様性受容と行動変容に関わる本質的な課題です。しかし、これらの課題を乗り越えることができれば、スマドリは「新しいお酒の文化」だけでなく、より広範な「誰もが心地よく過ごせる社会」を切り拓く可能性を秘めています。
4.1. 意識変革の起爆剤としての「スマドリ」
「スマドリ」という言葉と概念が社会に浸透することは、飲酒文化に関する議論を喚起し、意識変革の契機となります。企業が提唱する新しい規範は、時に社会全体の行動変容を促す「ナッジ」(行動経済学における、人々を望ましい行動へと促す小さなきっかけ)として機能します。
飲む人も飲まない人も、それぞれの立場から「どうすればもっとみんなが楽しめるか」を主体的に考える機会が増えることで、これまでの画一的な飲酒スタイルから、より多様で柔軟な交流の形へと移行する土壌が育まれるでしょう。
4.2. 選択肢の拡大とユーザーセントリックな価値創造
ノンアルコールや低アルコール飲料の品質向上とラインナップの充実、そしてそれらを楽しめる場の提供は、多様なニーズに応える上で不可欠です。これは、プロダクトデザインやサービスデザインにおける「ユーザーセントリック(利用者中心)」なアプローチの好例であり、消費者の選択の自由と質の向上を同時に実現します。
飲むことを前提としない選択肢が当たり前になることで、アルコール摂取による健康リスクや、飲酒運転といった社会問題の抑制にも間接的に貢献しうる、ポジティブな社会的影響が期待されます。
4.3. 新しいコミュニケーションの形と心理的安全性の確立
酒量に左右されない、会話やアクティビティを中心とした交流の機会が増えることは、より健全で豊かな人間関係の構築に寄与します。アルコールの有無に関わらず、参加者全員が心理的に安全な状態でコミュニケーションを楽しめる場は、チームビルディングやネットワーキングの質を高める可能性を秘めています。
これは、従来「飲みニケーション」が果たしていたとされる役割を、アルコール以外の手段で達成しようとする試みであり、より本質的な相互理解と信頼関係の構築へと繋がるでしょう。
企業側の努力はもちろん重要ですが、本稿の冒頭で述べた「共創」の概念は、私たち消費者一人ひとりの意識と行動にも深く関わります。「お酒を飲まない=つまらない」という固定観念を捨て、相手の選択肢を尊重し、飲まなくても楽しめる新しいアイデアを積極的に提案してみる。これは、企業と消費者が共に新しい文化を創造する「プロシューマー」としての役割を果たす第一歩であり、スマドリが目指す「みんなの社会実験」の本質でもあるのです。
結論:スマドリは「行動変容」と「社会文化の再構築」を目指す壮大な社会実験である
アサヒビールが推進する「スマドリ」は、単なるマーケティング戦略の範疇を超え、現代社会における多様な価値観を尊重し、誰もが心地よく過ごせる「新しいお酒の生活文化」を創造しようとする、きわめて野心的な「社会的実験」であると本稿は結論付けます。
この取り組みは、ノンアルコール・低アルコール製品の拡充、体験型空間の創出、そしてエンターテイメントを通じたメッセージ発信という多角的なアプローチによって、既存の飲酒文化に深く根ざした行動様式と価値観の変革を試みています。
確かに、「飲む側の都合」という批判や、長年の飲酒文化に根付いた固定観念との摩擦は存在し、これが文化変革の大きな障壁となっています。しかし、これらの批判的な声は、スマドリが真に目指すべき「誰もが心から楽しめる」状態への道筋を示す、極めて貴重なフィードバックとして機能します。企業側がこれらの声を真摯に受け止め、戦略に反映させることで、スマドリはより包括的で持続可能なムーブメントへと進化しうるでしょう。
2025年8月2日現在、スマドリはまさにその進化の途上にあります。お酒メーカーの「飲める人も飲めない人もみんな飲みトモ」というメッセージが、本当の意味で社会に浸透し、アルコールの有無がコミュニケーションの障壁とならない、誰もが心から「面白い!」「分かりやすい!」と感じる飲酒文化が実現するかどうかは、企業による革新的な取り組みだけでなく、私たち消費者一人ひとりの意識と行動、すなわち「共創」の深化にかかっています。
「スマドリ」は、単に「お酒をどう飲むか」という問いを超え、「多様な人々がどのように共存し、より良い社会を築けるか」という、現代社会が直面する本質的な問いへの一つの答えを提示しようとしています。この壮大な社会実験が、未来の共生社会を形成する上での重要なマイルストーンとなることを期待し、私たち一人ひとりがその変革の担い手となる意識を持つことが、今、求められているのではないでしょうか。
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