結論から申し上げると、近年の新燃岳噴火に際し、インターネットやSNS上で拡散された噴火規模や影響範囲に関する悪質デマは、直接的な人的被害がないにも関わらず、霧島温泉郷をはじめとする地域経済に深刻なキャンセル続出という風評被害をもたらしました。「警戒範囲外は安全」という科学的根拠に基づく冷静な情報発信と、それに対する事実誤認への毅然とした対応が、火山活動という自然現象への適切な向き合い方として極めて重要であることが浮き彫りになりました。
活火山である新燃岳の噴火は、しばしば未曾有の災害を想起させ、人々に不安を与えます。しかし、その不安が不確かな情報や悪意あるデマによって増幅されることで、科学的なリスク評価とは乖離した社会的な混乱が生じ、地域経済に不当な打撃を与える現象は、過去の事例にも見られる「風評被害」の本質を突いています。本稿では、新燃岳の噴火史とその影響、特にデマ拡散による風評被害の実態と、それに対する科学的アプローチ、そして今後の観光復興に向けた課題について、専門的な視点から深掘りします。
新燃岳噴火の科学的背景:歴史的噴火と現代の活動
新燃岳(標高1,421m)は、九州南部に位置する霧島火山群の中央に位置する活火山であり、その噴火活動は有史以前から現在に至るまで断続的に観測されています。その噴火史は、約1万年前に始まった新期活動期以降、プリニー式噴火という大規模な噴火を繰り返してきたことが知られています。
特に、以下に挙げる歴史的な噴火は、その規模と影響の大きさを物語っています。
- 享保噴火 (1716-1717年): この噴火は、水蒸気爆発からマグマ噴火へと発展し、約1年半に及ぶ長期的な活動となりました。マグマ噴出量(DRE)0.07km³、火山爆発指数(VEI)4という規模であり、死者5名、負傷者31名、家屋600軒余りの焼失、牛馬405頭の死亡といった甚大な人的・経済的被害をもたらしました。この噴火では、火砕流、火山灰、火山泥流といった多様な火山現象が発生し、広範囲に被害が及んだ記録があります。特に1717年9月19日の噴火では、山麓の火山灰層の厚さが1.7~1.9mに達したという記録は、当時の住民生活に壊滅的な影響を与えたことを示唆しています。この噴火の記録には、「住民の間に流言飛語が広がった」という記述があり、噴火という非日常的な事態に対する不確かな情報の拡散は、古くから見られた現象であることが伺えます。これは現代でいう「デマ情報」の原型とも言えるでしょう。
- 文政噴火 (1822年): 水蒸気爆発と火山泥流を伴う噴火が記録されています。
- 昭和噴火 (1959年): VEI2の中規模噴火であり、降灰を伴う水蒸気噴火でした。噴煙高度4,000mに達し、周辺地域に火山灰が降下しました。この噴火による農業被害額は6,000万円、林業被害額は8億6,000万円、合計10億円超という経済的損失を生み、観光業にも影響を与えました。特筆すべきは、「周辺の市町村では新燃池の水が溢れて山津波が起きるという不安が広がった」という記述です。これは、直接的な被害のみならず、噴火活動に伴う想像や憶測が「不安」として広がり、社会心理に影響を与えたことを示しており、風評被害の発生メカニズムの一端を示唆しています。
- 2011年の噴火: 約300年ぶりとなるマグマ噴火は、VEI3という規模で、噴煙高度7,000mに達しました。準プリニー式噴火やブルカノ式噴火も観測され、火口湖であった新燃池が溶岩ドームの出現により消滅するという、景観の劇的な変化をもたらしました。この噴火は、交通網の麻痺、学校の休校、住民避難、さらにはJリーグチームのキャンプ中止といった形で、地域経済やスポーツ活動にも広範な影響を与えました。観光地としての魅力の喪失も、風評被害に繋がる要因となり得ます。
- 2017年、2018年の噴火、そして直近の2025年の噴火: これらの活動は、数年おきの噴火活動の活発化を示しています。特に2018年の噴火では、火口内に溶岩が確認され、7年ぶりの爆発的噴火となりました。噴煙高度4,500m、さらには8,000mに達する噴火も観測されており、溶岩内部の火山ガス圧力による爆発と推定されるメカニズムが指摘されています。2025年の噴火も、噴煙高度約5,000mに達し、大量の火山灰やガスが火口から流れ下る様子が観察されましたが、火砕流発生の判断は見送られるなど、噴火の様相は多様です。
このように、新燃岳の噴火は、その規模や様相において多様であり、現代においてもその活動は続いています。
デマ拡散のメカニズムと風評被害の構造:科学的根拠の欠如が招くパニック
「今日のテーマ」で取り上げられている「悪質デマ」の発生は、噴火という予測困難な自然現象に対する情報伝達の構造的な問題に根差しています。特に、インターネットやSNSといった情報伝達速度が速く、匿名性が高いプラットフォームは、不確かな情報や誤った情報が瞬時に拡散される温床となり得ます。
具体的には、以下のようなデマが観測される可能性があります。
- 噴火規模の誇張・過小評価: 「巨大な火砕流が温泉郷を襲う」「数km圏内は壊滅する」といった根拠のない恐怖を煽る情報や、逆に「単なる水蒸気噴火で、全く危険はない」といった安全神話の醸成。
- 影響範囲の誤認: 科学的なハザードマップや噴火予報で示される「警戒範囲」や「影響範囲」を無視し、個人的な体験談や憶測に基づいて、広範囲に危険が及ぶかのような情報発信。
- 二次災害の誇張: 火山灰による交通網の麻痺や健康被害を過度に強調し、実際には安全な地域までもが危険であるかのように描写すること。
これらのデマは、人々の「未知への恐怖」や「自己防衛本能」を刺激し、冷静な判断を奪います。結果として、火山の専門家や公的機関が発信する正確な情報(噴火警戒レベル、予想される火山灰の降下範囲、避難勧告など)が、デマ情報の中に埋もれてしまい、あるいは「本当の情報は隠されているのではないか」という不信感を生み出すことさえあります。
霧島温泉郷でのキャンセル続出という事例は、このデマによる風評被害の典型例と言えます。実際には、警戒レベルが引き上げられたとしても、それが直ちに温泉郷全体に物理的な危険が及ぶことを意味するわけではありません。しかし、「噴火」という言葉の響きだけで、多くの人々が「危険」と結びつけ、遠隔地からでも、たとえ直接的な影響がない場所であっても、旅行や宿泊を控えるという行動に出るのです。これは、科学的なリスク評価ではなく、感情的な不安に基づく意思決定であり、経済活動に直接的な打撃を与える「風評被害」の本質です。1959年の昭和噴火の際の「山津波が起きるという不安」という記録が示唆するように、噴火活動は、物理的な被害だけでなく、人々の心理に直接的な影響を与え、それが経済活動を媒介して社会的な問題となるのです。
事実誤認への毅然たる対応:科学的根拠に基づく情報発信の重要性
このようなデマや風評被害に対抗するためには、以下のようなアプローチが不可欠です。
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迅速かつ正確な情報提供:
- 気象庁や各自治体、研究機関は、最新の火山活動データ(地震活動、地殻変動、噴煙情報など)に基づいた噴火予報や警戒情報を、迅速かつ分かりやすく発信し続ける必要があります。
- 特に、噴火警戒レベルの定義や、各レベルにおける「予想される火山活動」と「取るべき行動」を明確に示し、住民や観光客の理解を促すことが重要です。例えば、噴火警戒レベルが「3(入山規制)」であっても、「山麓や温泉郷への直接的な危険はない」といった補足説明が、誤解を防ぐ上で役立ちます。
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科学的根拠の可視化:
- ハザードマップの公開や、噴火現象(火砕流、噴石、火山灰、火山ガスなど)のメカニズムを解説する資料の提供。
- 「警戒範囲外は安全」というメッセージを、具体的なデータ(例えば、過去の噴火で火砕流が到達した最大到達距離や、火山灰の降下予測範囲など)と共に説明することで、科学的根拠の信頼性を高めます。
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SNS時代における情報発信戦略:
- SNSの特性を理解し、デマに対しては、公的機関や信頼できる情報源が「ファクトチェック」を行い、正確な情報を発信する。
- 誤った情報に対しては、感情的な非難ではなく、科学的根拠に基づいた冷静な訂正を行う。
- インフルエンサーや地域住民との連携により、正確な情報がより広範に、かつ共感を持って伝わるように努める。
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教育・啓発活動:
- 学校教育や地域社会における防災教育の一環として、火山の基礎知識、噴火のメカニズム、そしてデマに惑わされないための情報リテラシー教育を推進する。
観光復興への展望:「安全・安心」の可視化と新たな魅力の創出
新燃岳の噴火活動は、霧島温泉郷にとって、景観の喪失(新燃池の消滅など)や、直接的な観光客の減少という課題をもたらしました。しかし、長期的には、この自然のダイナミズムを逆手に取った観光復興策も考えられます。
- 「活火山・霧島」としてのブランド構築: 噴火活動そのものを「体験」として提供するのではなく、活火山地帯ならではの自然体験(例えば、温泉の成り立ち、地熱地帯の観察、火山地質学に基づいたトレッキングツアーなど)に焦点を当てる。
- 安全・安心の可視化: 噴火警戒レベルに応じた入山規制や、観光施設における安全対策(火山灰対策、避難経路の確保など)を明確に周知し、「安全・安心」をアピールする。
- 地域資源の再発見と活用: 噴火の歴史や、それによって育まれた独自の文化・歴史に焦点を当て、新たな観光コンテンツを開発する。例えば、噴火の歴史と温泉の関わりを解説する博物館や、火山灰を利用した工芸品などの地域産品の振興。
- 情報発信の強化: 観光客の不安を払拭するため、SNSやウェブサイトを通じて、常に最新の火山情報と地域の安全情報を発信し続ける。
結論:科学的リテラシーと地域社会の連携による「共生」を目指して
新燃岳の噴火に際して発生した悪質デマと、それに伴う霧島温泉郷への風評被害は、現代社会における情報伝達の脆弱性と、科学的根拠に基づく冷静な判断の重要性を改めて浮き彫りにしました。活火山との共生は、単に物理的な危険を回避することにとどまらず、科学的な知見に基づいた正確な情報共有と、それを受け止める地域社会の賢明な判断が不可欠です。
今後、新燃岳の噴火活動は継続するものと予測されます。そのたびに、デマや風評被害のリスクは存在し続けます。私たちは、科学的根拠に基づいた冷静な情報発信を強化すると同時に、一人ひとりが情報リテラシーを高め、安易な情報拡散を避ける責任を自覚する必要があります。そして、地域経済の持続的な発展のためには、火山との「共存」という視点に立ち、防災と観光振興を両立させるための、より高度な情報管理と地域社会の連携が求められています。
情報源:
本記事は、Wikipediaの「新燃岳」の項目 (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%87%83%E5%B2%B3) および関連する記事から得られた情報を基に、専門的な観点から深掘り、再構成したものです。Wikipediaのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス 4.0 (CC BY-SA 4.0) に基づき利用されています。
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