2025年7月30日、参議院選挙の結果は、日本の政治に対する国民の深い失望と、新たな方向性を求める切実な声を浮き彫りにした。経済アナリストの古賀茂明氏は、この結果を「失われた30年と安倍政治へのNO」と断じ、国民が今、政治に求めている「真の民意」を鋭く分析している。本稿では、古賀氏の洞察を基盤に、参院選の結果が示す国民の意思を多角的に掘り下げ、その背後にある構造的課題と、今後の政治が担うべき役割について専門的な視点から詳述する。
1. 「失われた30年」の遺恨と「安倍政治」への集約された「NO」
古賀茂明氏が参院選の結果を「失われた30年と安倍政治へのNO」と総括したことは、単なる政権交代を求める声以上の、国民の長年にわたる停滞感と、その停滞を象徴する政治への決別宣言と解釈できる。古賀氏は、この現状を次のように指摘している。
それを象徴的に表せば、今回の参院選で表された民意とは、「失われた30年と安倍政治へのNO」ということになる。
この「失われた30年」という言葉は、1990年代初頭のバブル経済崩壊以降、日本経済が経験した長期的な低迷期を指す。この間、何度かの政権交代や経済政策の転換があったにもかかわらず、持続的な経済成長と国民生活の向上は実現されなかった。特に、2012年末に発足し、長期間にわたって政権を担った安倍政権は、「アベノミクス」を掲げ、大胆な金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という「三本の矢」を推進した。その結果、一部の経済指標、例えば株価の上昇や有効求人倍率の改善は見られたものの、実質賃金の伸び悩み、デフレからの完全な脱却の遅れ、そして経済格差の拡大といった課題が国民の生活に影を落とし続けた。
古賀氏の指摘する「安倍政治へのNO」は、これらの「失われた30年」における政策の不発や、国民の生活実感との乖離に対する不満が、安倍政権下で顕在化した、あるいは集約された結果であると捉えることができる。これは、単に政権担当政党への失望というレベルを超え、現代日本における経済政策の有効性、そして政治が国民生活の向上にどれだけ寄与しているのかという根本的な問いかけを内包している。
2. 物価高騰下での「現実的な対策」への渇望
参院選における自民党の「大敗」の主要因として、古賀氏は国民の「物価高対策への不満」を挙げている。これは、多くの国民が実感している経済的負担の増加と、それに対する政府の対応への不満の表れである。
自民大敗のもう一つの主要な原因として忘れてならないのは、国民の物価高対策への不満である。これも異論のないところだろう。
「アベノミクス」の推進によって、日本銀行による量的・質的金融緩和政策が長期間実施されてきた。この政策は、デフレ脱却と景気回復を目指すものであったが、その副作用として、円安の進行や、それに伴う輸入物価の上昇を招いた側面がある。特に、エネルギー価格や食料品価格の高騰は、家計に直接的な打撃を与えた。
野党が消費税減税といった直接的な家計支援策を提唱する中で、国民は「給料が上がらないにもかかわらず、日々の生活必需品が高騰する」という状況に対して、政府がより現実的かつ効果的な対策を講じることを期待していた。 macro economic policy(マクロ経済政策)としての「アベノミクス」が経済全体の底上げを目指す一方で、micro economic aspect(ミクロ経済的側面)、すなわち個々の家計への負担軽減策が、国民の実感として不十分であったという分析も可能である。この物価高への不満は、政権への信頼を揺るがす強力な要因となった。
3. 「裏金議員」への怒りと「政治の透明性」への希求
政治資金問題、特に「裏金」問題は、国民の政治への信頼を根底から揺るがす深刻な問題である。古賀氏が指摘するように、この問題は参院選の結果に直接的な影響を与えた。
立憲・共産党支持者が「石破辞めるな!」と叫ぶ異常事態…参院選の自民党大敗の原因は「裏金議員」と「アベノミスクの失敗」である
「裏金議員」という言葉は、政治家が国民から預かった貴重な税金や、政治活動における透明性を欠く資金の流れを示唆する。これは、国民が政治家に対して期待する「公僕」としての倫理観や、iduciary duty(受託者責任)を逸脱する行為と見なされかねない。民主主義社会において、政治の信頼性は、国民の参加と支持の基盤となる。政治資金の透明性の欠如や、それを巡る不祥事は、政治家と国民との間の乖離を深め、結果として選挙での信任を失う大きな原因となる。
この「裏金」問題に対する国民の怒りは、単なる金銭的な不正への反発に留まらず、政治家が国民に対して誠実であるべきだという、より根本的な期待の表明でもある。国民は、政治家が私利私欲に走ることなく、公共の利益のために献身することを求めている。
4. 「報道の自由度」低迷と「安倍政治」との関係性
古賀氏は、日本の「報道の自由度」が国際的に低迷している現状にも言及しており、その背景に「安倍政治」の影響を指摘している。
国際NGO「国境なき記者団」(RSF)が5月3日に発表した2024年「報道の自由度ランキング」で、日本は180カ国・地域のうち70位だった。
引用元: 日本が今でも「報道の自由度」70位に低迷する理由 安倍政治で“変えられてしまった”記者たちの末路 古賀茂明 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
「報道の自由度」は、民主主義国家の健全な発展に不可欠な要素である。ジャーナリズムは、権力に対する監視機能を果たし、市民に正確で多様な情報を提供することで、開かれた議論と政策決定を可能にする。RSF(国境なき記者団)が発表する「報道の自由度ランキング」は、世界各国のメディアの独立性やジャーナリストの活動環境を評価する指標として広く認識されている。日本が長年にわたり、先進国としては低い順位に留まっているという事実は、メディアの自主性や表現の自由に対する懸念を示唆している。
古賀氏が「安倍政治で“変えられてしまった”記者たちの末路」と表現するように、政権からの圧力や、あるいは自己検閲の広がりが、報道の質や独立性を損なう可能性が指摘されている。例えば、特定の報道機関への広告掲載停止の示唆や、政府からの直接的な圧力といった事象が、過去に報道されたことがある。このような状況は、政府や特定の勢力にとって都合の悪い情報が国民に伝わりにくくなるリスクを孕んでおり、健全な民主主義の基盤を弱体化させる恐れがある。
5. 「安倍政治からの決別」は「石破氏にしかできない」のか?
興味深いことに、古賀氏は「安倍政治からの決別は石破氏にしかできない」という見解を示している。
【AERA】古賀茂明氏「今回の参院選で表された民意とは“安倍政治へのNO”ということ」
「安倍政治からの決別は石破氏にしかできない」
【AERA】古賀茂明氏「今回の参院選で表された民意とは“安倍政治へのNO”ということ」
「安倍政治からの決別は石破氏にしかできない」https://t.co/EtSItRHeEt
— もえるあじあ ・∀・ (@moeruasia01) July 29, 2025
この発言は、石破茂氏が自民党内においても、安倍元首相とは異なる政治的スタンスや政策を掲げてきた歴史を持つことを背景としていると考えられる。国民が「安倍政治」の時代からの転換を求めているのであれば、その「決別」を明確に打ち出し、実行できるリーダーシップが求められる。石破氏が、過去の政権運営や政策に対する国民の不満を乗り越え、新たな時代のリーダーとして、自らの言葉で「決別」を宣言し、その具体的な政策を提示できるかどうかが、国民からの支持を得る鍵となるだろう。
もちろん、石破氏自身も、長年にわたる政治キャリアの中で様々な政策決定や発言をしてきており、その全てが国民からの支持を得られるとは限らない。しかし、古賀氏の視点は、国民が「安倍政治」の総括と、それからの脱却を強く望んでいる、という現状認識に基づいている。この「NO」の民意を、誰が、どのように「YES」への転換へと導けるのか。それが、今後の政治の焦点となる。
まとめ:国民が求める「新たな時代」への期待と政治の責任
今回の参議院選挙の結果は、国民が「失われた30年」の停滞感と、「安倍政治」がもたらした政策の課題、そして政治の信頼性に対する深い不満を表明した、極めて重要なシグナルである。古賀茂明氏が的確に指摘したように、民意は「NO」を突きつけた。この「NO」は、単なる政党への反対ではなく、国民一人ひとりの生活に密着した課題、すなわち、物価高への具体的な対策、政治とお金に対する透明性の確保、そして民主主義の根幹をなす報道の自由といった、より本質的な政治への期待の表れなのである。
「安倍政治からの決別」という国民の強い願望に応えるためには、政治家には、過去の総括と、未来への明確なビジョンを示す能力が求められる。国民は、表面的な政策変更ではなく、政治のあり方そのものに対する変革を望んでいる。この期待に応えるためには、政治家は国民との対話を深め、正直かつ誠実な姿勢で、信頼回復に努めなければならない。
古賀氏の分析は、これからの日本の政治が、国民の「NO」という声に真摯に耳を傾け、その声に応える形で、真に国民のための「新しい政治」を構築していくことの重要性を示唆している。この選挙結果を、単なる政党の勝敗として片付けるのではなく、国民が求める「新たな時代」への転換点として捉え、政治がその責任を全うしていくことが、今、強く望まれている。
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