はじめに:音楽は時代を映す鏡、そして「私」の叫び
本稿は、「令和の音楽」と「平成の音楽」の断絶とも言える変化を、時代の葛藤と人々の価値観の変容というレンズを通して深掘りします。結論から述べれば、平成が「共感と連帯」を基盤とした「私たち」の物語を奏でていたのに対し、令和は「自己肯定と内面」を核とした「私」の叫びを表現する音楽へとシフトしており、この変化は、社会構造の変容、テクノロジーの進化、そして人々の心理的距離感の再編成という複合的な要因によって駆動されています。 音楽は、単なる娯楽ではなく、その時代に生きる人々の無意識の葛藤や希望、そして絶望をも内包し、我々に時代精神(Zeitgeist)を聴き取らせる強力なメディアなのです。
1. 歌詞の焦点:「私たち」から「私」へのパラダイムシフト
平成の音楽、特にJ-POPシーンにおいては、「君と僕」「みんなで」といった協調性や連帯感を強調する歌詞が支配的でした。これは、バブル崩壊後の長期にわたる経済停滞と社会不安の中、人々の間に「一人ではない」という精神的な支えを求める空気が強かったことを反映しています。具体的には、サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」のような、集団的な高揚感や連帯を訴えかける楽曲は、当時の「若者」が抱えていた社会への不満や希望を代弁し、強烈な共感を呼びました。また、応援歌の隆盛(例:ゆず「栄光の架橋」)も、困難な時代を乗り越えようとする国民全体のセンチメントと共鳴していました。社会学的に見れば、これは共同体主義(Communitarianism)的な価値観が、個人主義(Individualism)よりも優位に立っていた時代の特徴と言えるでしょう。
対照的に、令和の音楽は、圧倒的に「個」に焦点を当てています。YOASOBIの「アイドル」における「可愛いだけじゃないって甘えてる」、Adoの「新時代」における「私、最強」といった歌詞は、自己肯定感の追求と内面世界の探求を強く打ち出しています。「令和は自己肯定全振りソングがバズりやすい」というコメントは、現代社会が抱える「承認欲求」の肥大化と、それに応える音楽の需要を示唆しています。精神医学的な観点からは、SNSによる他者との常時接続が、逆に自己の内面への集中を促し、自己のアイデンティティ確立へのプレッシャーを高めていると解釈できます。また、「個人主義が許される世の中になった」という意見は、社会構造の変化、特に核家族化や地域コミュニティの希薄化といった現象が、人々の意識における「他者」との関係性を再定義した結果とも言えます。これにより、かつてのように「みんな」を代表するようなメッセージよりも、個人の内面的な体験や感情に強く訴えかける楽曲が支持されるようになったのです。
2. 音楽の消費スタイル:共感の「広さ」から「深さ」へ、そして「刹那」へ
平成時代には、テレビ、ラジオ、CDというメディアが中心となり、音楽の消費は比較的画一的でした。これにより、特定の楽曲が国民的なヒットとなり、世代や地域を超えた共通の体験として共有されることが可能でした。これは、メディア社会学でいうところの「マス・コミュニケーション」の典型であり、文化の同質化を促す側面がありました。
しかし、令和時代に入り、インターネット、特にSNSとストリーミングサービスの普及は、音楽の消費スタイルを根本から変容させました。YouTube、TikTok、Spotifyなどのプラットフォームは、アルゴリズムによって個々人の嗜好に合わせた音楽を無限に提供する「フィルターバブル」現象を生み出しました。これにより、音楽の「好み」は極度に細分化・分散化し、かつてのような「国民的ヒット曲」が生まれにくくなっています。
「曲もファストフード化した気がする」「TikTokやshortsでブームになってすぐ忘れ去られる」といったコメントは、この「刹那的」な消費文化を的確に捉えています。これは、音楽が「体験」から「消費財」へとその性質を変えつつあることを示唆しています。消費者の注意を引きつけるために、楽曲はより短く、よりキャッチーで、視覚的な要素(ダンス、MV)との連携を強く意識するようになっています。これは、広告論でいうところの「インパクト重視」の傾向とも言えます。
一方で、この「好みの分散」は、必ずしも音楽体験の質的な低下を意味するものではありません。むしろ、特定のニッチなジャンルやアーティストに深く傾倒する「コアファン」層を形成し、よりマニアックで実験的な音楽が支持される土壌も育んでいます。コメントにある「今の日本の曲はやっと海外の猿真似を越えて味が出てきたなと思ってる」という意見や、「今の音楽の方が色んなジャンルがあるし、クオリティも凝ってるものがあって面白い曲も増えた」といった声は、この「好みの深化」による音楽の多様化と質の向上を肯定しています。これは、文化経済学における「ロングテール」現象とも関連しており、ニッチな市場の集合体が、かつてのマス市場を凌駕する可能性を示唆しています。
3. 社会情勢との連動:「希望」から「現実」への眼差し、そして「諦念」
「景気が悪いときは明るい曲(メジャーコード)の曲が流行って、景気が良いときは暗めの曲(マイナーコード)の曲が流行る傾向がある」というコメントは、音楽と経済状況の相関関係を示唆していますが、実際には、社会情勢と音楽の関連性はより複雑です。
平成時代は、バブル崩壊後の「失われた十年」「失われた二十年」といった長期的な経済停滞にもかかわらず、社会全体として「未来への希望」や「前向きな姿勢」を奨励する風潮がありました。それは、「負けないで」「愛は勝つ」「Tomorrow never dies」といった、困難に立ち向かう意志を鼓舞する応援歌や、ポジティブなメッセージを込めた楽曲が数多く生まれたことからも明らかです。これは、心理学における「希望理論」や、社会全体で共有される「自己効力感」を高めようとする一種の社会心理的機能とも言えます。
しかし、令和の音楽、特に若者世代が支持する楽曲には、社会への不満、閉塞感、そして個人的な葛藤をストレートに表現するものが目立ちます。Adoの「うっせぇわ」に代表されるような、既存の価値観や権威に対する反抗、そして「目の前のことで精一杯」という現実への疲弊感は、現代社会が抱える構造的な問題(非正規雇用の増加、所得格差の拡大、社会保障制度への不安など)を反映しています。これは、社会学でいうところの「構造的抑圧」が、人々の精神に影を落とし、それが音楽表現として顕在化していると解釈できます。
さらに、かつての「国民的アイドル」が老若男女から支持されていたのに対し、現代のアイドル文化が「推し活」として一部の熱狂的なファンによって支えられているという指摘は、社会全体の価値観の断片化と、共通の「物語」を共有する能力の低下を示唆しています。これは、文化の「マス」から「サブカルチャー」への移行、あるいは「ポストモダン」的な状況とも言えます。
4. 音楽の「形」の変化:「歌唱」から「表現」への拡張、そして「音響」へ
音楽の形式的な変化も顕著です。平成時代には、歌唱力、メロディーの美しさ、そして演奏技術といった、伝統的な音楽的要素が重視される傾向がありました。これは、CDというメディアが、音源のクオリティを重視する環境を提供していたこととも関連しています。
一方、令和時代、特にTikTokのようなショート動画プラットフォームの台頭は、音楽の「聴かれ方」を劇的に変化させました。これにより、楽曲は「ダンス」「ビジュアル」「短いフレーズ」「中毒性」といった要素と一体化し、「歌唱」や「メロディー」といった伝統的な音楽的価値軸から、「表現」や「体験」というより広範な概念へと拡張されています。
「音楽に関しては『一人でよい曲を踊ったりせず歌う正統派』が壊滅している。具体的な変化として『複数人で踊る』『奇抜な歌詞や曲で誤魔化す』というような戦略をとる人がやたら多い」というコメントは、この音楽の「エンターテイメント化」「パッケージ化」の傾向を的確に捉えています。また、「今の曲はアニソンボカロの延長上にあるから根本が昔と違う」という意見は、インターネットカルチャー、特にボーカロイド文化が、音楽制作の敷居を下げ、表現の自由度を高めた結果、既存の音楽ジャンルとは異なる新たな音楽様式を生み出していることを示唆しています。これは、音楽学における「ジャンルの越境」や「ハイブリッド化」という現象としても捉えられます。さらに、AIによる楽曲生成技術の進展は、今後、音楽の「形」や「作り手」の概念をも変容させていく可能性を秘めています。
まとめ:時代の鼓動を聴き取る、そして「私」の未来を歌う
「令和の音楽」と「平成の音楽」の比較は、単に音楽スタイルの移り変わりを論じるに留まりません。それは、私たちが生きる社会の構造変化、グローバル化とローカル化の相互作用、テクノロジーの急速な進化、そしてそれらが人々の価値観や心理に与える影響を浮き彫りにする、一種の社会文化的診断と言えます。
平成が、経済的・社会的な不安の中で「共感」「連帯」「希望」を希求し、それを「私たち」という集合体の物語として音楽に昇華させていたとすれば、令和は、個人化が進み、情報過多な現代において、自己のアイデンティティを確立し、「自分らしさ」を追求する「私」たちの内面世界、あるいは社会への不満や葛藤をストレートに表現する音楽へと移行しています。
音楽の移り変わりは、社会の「振り子」のような運動とも言えます。過去の共有された体験や価値観が希薄化する中で、人々はSNSという仮想空間や、個人の内面世界に、新たな「つながり」や「自己肯定」の源泉を求めています。そして、その過程で生じる葛藤や叫びは、現代の音楽という鏡に映し出され、私たちに、この時代を生きる人々の真実の姿を伝えてくれるのです。
音楽は、これからも時代の鼓動を聴き取り、社会の矛盾や希望、そして人々の隠された感情を、より多様で、よりパーソナルな形で表現し続けていくでしょう。そして、その音楽に耳を傾けるとき、私たちは、過去と現在、そして未来へと続く、音楽と社会のダイナミックな関係性を垣間見ることができるのです。
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