【専門家解剖】「日本語わかりません」は司法の抜け穴か?外国人事件と不起訴の構造的課題
結論から述べる。被疑者の「日本語がわからない」という供述は、法的に無罪を約束する”魔法の言葉”では断じてない。しかし、それは日本の司法システムが抱える「言語の壁」という深刻な構造的課題を浮き彫りにし、結果として「嫌疑不十分」による不起訴処分の一因となり得る。本稿では、福岡で起きた衝撃的な事件を起点に、この複雑なメカニズムを刑事司法、社会心理、そして国家政策の三つの視点から徹底的に解剖し、我々が向き合うべき真の論点を提示する。
序章:日常を破壊した事件と、一つの言葉が投じた波紋
2025年7月29日、多くの人々が日常的に利用する福岡県のJR駅ホームで、社会に衝撃を与える事件が発生した。帰宅途中の女子高校生が、面識のない外国人男性からわいせつ行為を受けるという、許しがたい蛮行である。
警察によりますと、29日午後7時50分ごろ、筑後市のJR筑後船小屋駅のホームで帰宅中の女子高校生がベンチに座って列車の到着を待っていたところ、男が隣りに座り、突然、太ももをなめてきました。
引用元: 「娘が太ももをなめられた」母親が110番通報 駅ホームで女子… (TNCテレビ西日本/2025年7月30日)
被害者の迅速な通報と母親の冷静な対応により、ネパール国籍の容疑者は不同意わいせつの現行犯で逮捕された。しかし、彼の「日本語わかりません」という供述は、事件そのものの衝撃とは別に、社会に大きな疑念と不安を投げかけた。この言葉は、日本の司法プロセスにおいて、一体どのような意味を持つのか。専門的な視点からその深層を掘り下げていく。
第1部:刑事司法の原則 ― 「通訳を受ける権利」の光と影
多くの人が抱く「日本語がわからなければ罪を逃れられるのではないか」という懸念は、日本の刑事司法制度の根幹を理解することで解消される。
日本の刑事訴訟法は、被疑者・被告人の権利保障を重要視しており、国語に通じない者には通訳を付すことを明確に定めている。
刑事訴訟法 第175条
国語に通じない者に陳述をさせる場合には、通訳人に通訳をさせなければならない。
これは、被疑者が自身の嫌疑に対し、言語のハンディキャップなく的確な防御を行うための、憲法37条3項に由来する極めて重要な権利である。つまり、「日本語わかりません」という主張は、捜査を終了させる宣言ではなく、通訳人を介した適正な手続きを開始するための合図となる。
しかし、この制度の運用には理想と現実のギャップが存在する。これが「抜け穴」と誤解される構造的要因の一つだ。
- 司法通訳の質の担保: 司法通訳は、単なる言語の置き換えではない。法律用語の正確な理解、被疑者の文化的背景を踏まえたニュアンスの伝達、そして何より厳格な中立性が求められる高度な専門職である。しかし、現状では公的な資格制度が確立されておらず、通訳人の技能や倫理観にはばらつきがある。不正確な通訳は、供述調書の信用性を根本から揺るがしかねない。
- リソースの限界: 希少言語の通訳人不足は深刻な問題である。迅速に通訳人を手配できなければ、捜査は遅延し、勾留期間が不必要に長期化する。これは被疑者の人権侵害につながるだけでなく、捜査機関にとっても大きな負担となる。
したがって、「日本語わかりません」という言葉は、捜査を停止させるのではなく、むしろ手続きをより複雑化させ、司法システムのリソースに負荷をかける。そして、この負荷が次の論点である「不起訴」の問題に繋がっていくのである。
第2部:「不起訴」のメカニズム ― なぜ外国人事件で囁かれるのか
ソーシャルメディアでは、本件に対し即座に以下のような反応が見られた。
外国人犯罪は不起訴になるんだろうね 厳罰にしないといけないのに!
引用元:">小鉄 on X (2025年7月30日) https://twitter.com/0sJbaTrFcOfLqxw/status/1950402312083820692
この「どうせ不起訴」という言説は、司法への不信感の表れだが、その背景にあるメカニズムを正確に理解する必要がある。検察官が下す不起訴処分には、主に「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」の三種類がある。
外国人関連事件で特に注目すべきは「嫌疑不十分」である。これは、犯罪の疑いは存在するものの、裁判で有罪を立証するための証拠が決定的に不足している状態を指す。言語の壁は、この「証拠の不足」を構造的に生み出しやすい。
- 供述証拠の脆弱性: 前述の通訳の問題に加え、文化的なコミュニケーションスタイルの違い(例:直接的な表現を避ける、沈黙の意味合いが異なる等)が、捜査官による供述の解釈を誤らせるリスクがある。これにより、作成された供述調書の信用性が公判で争われ、証拠価値が失われる可能性がある。
- 客観的証拠への依存: 供述証拠が脆弱になるほど、防犯カメラ映像やDNAなどの客観的証拠の重要性が増す。本件のように、明確な映像証拠や被害者の揺るぎない証言があれば立証は比較的容易だが、そうでない場合は困難を極める。
実際に、政府の報告書においても、証拠上の問題が不起訴に繋がるケースが示唆されている。
(中略)証拠上の問題等により不起訴処分となった者が12人、(後略)
引用元: 人身取引(性的サービスや労働の強要等) 対策に関する取組について… (人身取引対策推進会議)
この記述は、人身取引という特定の文脈におけるものだが、言語や文化の壁が「証拠上の問題」として顕在化する普遍的な課題を示している。結論として、「外国人だから」という理由で検察が意図的に甘い処分を下すわけではない。むしろ、現行の司法システムが、言語や文化の多様性という壁に直面した際に、有罪立証に必要な証拠を固めることが構造的に困難となり、結果として「嫌疑不十分」による不起訴を選択せざるを得ないケースが存在する、というのが専門家としての見解である。
第3部:社会的文脈の分析 ― 「岸田の宝」という言葉が映す社会の不安
今回の事件に関連し、インターネット上では「これぞ岸田の宝」といった、政府の外国人材受け入れ政策を批判する言説が散見された。この表現は、岸田文雄首相がかつて外国人材を「我が国の宝」と述べたことに由来する、皮肉を込めたネットスラングである。
この反応は、単なる排外主義的な感情論として片付けるべきではない。それは、政府が進める政策と、一部国民が抱く生活安全への不安との間に生じた深刻な乖離を映し出している。
日本政府は、深刻な労働力不足を背景に、特定技能制度の対象分野拡大など、外国人材の受け入れを積極的に推進している。これは経済合理性に基づいた不可避な選択ともいえる。しかし、急激な受け入れ拡大に対し、治安の悪化や文化摩擦を懸念する声が高まっているのも事実である。
ここで重要なのは、犯罪と国籍を安易に結びつけることの危険性である。警察庁の統計データを見ても、来日外国人全体の犯罪率が日本人全体のそれと比較して突出して高いという事実は存在しない。しかし、人間は統計データよりも、本件のような衝撃的で感情に訴えかける「物語」に強く影響される。これは「アベイラビリティ・ヒューリスティック」と呼ばれる認知バイアスの一種であり、想起しやすい鮮烈な事例によって、対象全体の確率を過大評価してしまう心理的傾向である。
このバイアスを乗り越え、建設的な議論を行うためには、犯罪は国籍を問わず個人の問題として厳正に処罰されるべきであるという大原則に立ち返る必要がある。その上で、外国人材受け入れという国家政策が、司法、教育、地域社会のインフラ整備といった「受け皿」の構築と一体で進められているか、という点を冷静に検証することが求められる。
結論:事件が我々に突きつける、多文化共生社会の司法が乗り越えるべき課題
本稿で分析してきたように、JR駅で起きたこの卑劣な事件は、単一の犯罪行為に留まらない、日本の構造的課題を映し出す「リトマス試験紙」である。
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司法の課題: 「日本語わかりません」は抜け穴ではない。しかし、司法通訳制度の脆弱性は、適正手続きの理念を揺るがし、結果として「嫌疑不十分」という意図せざる結果を招きかねない。司法通訳の国家資格制度の創設や、言語の壁がある事件こそ取り調べの全面可視化を徹底するなど、制度的アップデートが急務である。
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社会の課題: 犯罪を国籍と結びつける感情的なラベリングは、問題の本質を見誤らせる。我々が向き合うべきは、特定の国籍を持つ人々ではなく、「言語と文化の壁」という非個人的な障壁である。
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政策の課題: 経済的要請に基づく外国人材の受け入れは、彼らが日本の法規範を理解し、社会に円滑に適応するための教育・支援体制の整備とセットでなければならない。そのコストを社会全体でどう負担するのか、国民的合意の形成が不可欠だ。
今回の被害者と母親の毅然とした行動は、私たち市民が持つべき防犯意識と勇気の重要性を示した。同時に、この事件が明らかにした司法システムの課題に対し、私たちは感情論ではなく、事実とデータに基づいた冷静な議論を深めていく必要がある。それこそが、真に安全で公正な多文化共生社会を築くための第一歩となるだろう。
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