「将来受け取る年金額より、今払っている保険料の方が少なくない?」「つまり、払っているだけ損なんじゃないか?」――こうした疑問や不安は、SNSを中心に若い世代の間で頻繁に聞かれます。公的年金制度に対する、こうした「損得勘定」に基づいた疑問は、一見もっともに聞こえるかもしれません。しかし、厚生労働省は一貫して「年金制度は損得ではなく『安心』を提供するもの」と強調しています。この「損得」と「安心」の認識の乖離は、一体どこから生じ、そして厚生労働省がなぜ「損得論」に警鐘を鳴らすのでしょうか。本稿では、提供された情報に基づき、この複雑な問題を専門的な視点から深掘りし、年金制度の真の価値と、それが提供する「安心」の本質を詳細に解説します。
1.「損得勘定」の根源:若年世代が抱く「将来への懸念」とその分析
多くの若い世代が「年金は払うだけ損」と感じる背景には、将来の年金受給額と納付保険料との比較、そして少子高齢化による制度持続性への不安が複雑に絡み合っています。
厚生労働省のウェブサイト「20代の皆さんへ | いっしょに検証! 公的年金」では、公的年金の制度の解説の中で、将来受け取る年金額と納付する保険料の単純比較が、「若い世代は、これから納めていく保険料よりも将来受け取れる年金額の方が少ない」という見方につながり、それが「損」という声の根拠となっていることを示唆しています。
「若い世代は、これから納めていく保険料よりも将来受け取れる年金額の方が少ないから、払うだけ損だ」という意
この指摘は、年金制度における「賦課方式(ふかほうしき)」の側面を反映しています。賦課方式とは、現在の現役世代が納めた保険料を、現在の高齢者世代の年金給付に充てる仕組みです。この方式では、現役世代が納付する保険料総額と、自身が将来受け取る年金総額を単純に比較した場合、現役期間の人口比率や賃金水準、平均余命などの要因によって、世代間で「収支」が変動しうるのです。特に、出生率が低下し、高齢者の人口比率が増加する少子高齢化社会においては、現役世代一人あたりの負担が増加する一方で、将来受け取る年金給付額は、その時点の経済状況や制度設計によって影響を受けるため、「損」と感じる世代が現れやすくなります。
このような状況について、NIRA総合研究開発機構は次のように述べています。
少子高齢化が進んで保険料を納める現役世代が少なくなると、財源となる保険料収入も減少して給付額に満たなくなり、制度を維持できなくなる。
この引用は、賦課方式の持続可能性に対する根本的な課題を明確に示しています。現役世代の減少は、年金財源の枯渇リスクを高め、将来世代の給付水準の低下や保険料負担の増加につながる可能性を示唆しています。このようなマクロ経済的な視点からの懸念が、個々の若年世代の「損得勘定」をさらに増幅させていると考えられます。
2.「損得論」の壁を越える:年金制度が提供する「安心」の多層的価値
厚生労働省が「損得ではない」と強調する背景には、年金制度が単なる経済的取引を超えた、社会保障としての本質的な機能と価値を持っているからです。その価値は、以下の3つの側面から分析できます。
2-1. 万が一への備え:不可侵の「セーフティネット」としての役割
年金制度の最も根源的な役割は、個人が予測不可能な困難に直面した際に、最低限の生活を保障する「セーフティネット」としての機能です。病気、障害、あるいは老齢により働けなくなった場合でも、一定の所得が保障されることで、個人の尊厳を維持し、社会からの孤立を防ぐことができます。
厚生労働省の「20代の皆さんへ | いっしょに検証! 公的年金」では、このセーフティネットとしての側面を強調し、保険料の納付が困難な場合のサポート制度にも触れています。
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ここで言及されている「猶予制度」「免除制度」「若年者納付猶予制度」などは、まさにこのセーフティネット機能を具現化したものです。これらの制度は、経済状況によって保険料の納付が免除されたり、猶予されたりすることで、保険料の未納による将来の受給額の減少や、制度から排除されるリスクを低減します。これは、経済的な余裕がない場合でも、社会全体で最低限の生活基盤を保障するという、社会保障思想の核心部分です。単に「払った金額」と「もらえる金額」を計算するだけでは、この「もしも」の時の経済的・精神的な支えという、計り知れない価値を見落としてしまいます。
2-2. 社会連帯の具現化:「相互扶助」の精神と世代間契約
年金制度は、単に個人が将来のために積み立てる私的貯蓄とは異なり、社会全体で互いを支え合う「相互扶助」の原理に基づいています。これは、現役世代が過去の世代(現在受給している高齢者)を支え、将来、自分たちが高齢になった際には、次の現役世代が自分たちを支えるという「世代間扶助」の概念です。
南国市役所の議事録では、この相互扶助の観点から「損得論」に警鐘を鳴らしています。
現行制度には、年金給付を自動的に抑えるマクロ経済スライドの仕組みがありますので、年寄りは得、若者は損、厚生労働省が言うように損得論だけで年金を語ることはよくない …
この引用で触れられている「マクロ経済スライド」は、まさに世代間の公平性を図るための制度設計の一例です。マクロ経済スライドとは、賃金や物価の変動に応じて年金額を自動的に調整する仕組みであり、経済成長率が鈍化した場合などには、年金額の伸びを抑えることで、将来世代の負担増加を緩和し、制度の持続可能性を高めることを目的としています。この仕組みの存在は、年金制度が「年寄りが得、若者が損」という単純な構図ではなく、世代間のバランスを考慮した複雑なメカニズムで成り立っていることを示唆しています。私たちが納める保険料は、現在の社会を支えるための「投資」であり、それは将来、私たち自身が支えられるための「権利」へと繋がる、一種の社会契約なのです。
2-3. 長期的な視点:制度の持続可能性を高めるための「工夫」
年金制度は、社会状況の変化に対応し、将来にわたって安定した給付を維持するための継続的な改革や工夫が施されています。厚生労働省の「年金制度基礎資料集」は、その具体策の一部を示しています。
公的年金制度の持続可能性を高め、将来世代の給付水準を確保するため、年金額の改定に際して、以下の措置を講じる。(1) マクロ経済スライドについて、年金の名目額が …
この資料にあるように、「マクロ経済スライド」は、先述した通り、少子高齢化による給付水準の低下を防ぎ、制度の持続可能性を確保するための重要なメカニズムです。さらに、年金額の計算基礎となる過去の報酬の評価方法も、経済状況に応じて見直されています。
さらに、年金額計算の基礎となる受給者の過去の標準報酬月額(月収)を現役世代の賃金の伸びに応じて再評価することとした。国民年金では、厚生年金と均衡をとって年金水準 …
この「標準報酬月額の再評価」は、現役世代の賃金上昇が年金額に反映されるようにする措置であり、単に過去の物価水準で計算するのではなく、現在の経済状況に即した形で年金額を算定することで、将来世代の給付水準を維持しようとする努力の一環です。これらの制度的工夫は、目先の「損得」ではなく、将来にわたる「安心」を確保するための、長期的な視点に立った政策設計であることを示しています。
3.「損得」を超えたメッセージ:年金制度が約束する「未来の安心」
厚生労働省が「損得ではない」と繰り返し訴えるのは、年金制度が単なる経済的な損得勘定では測れない、社会全体の「約束」であり、国民一人ひとりの「未来への安心」を担保するものであるからです。
公的年金は基礎年金部分に限定して、報酬比例部分の厚生年金は廃止し、民営化すべきとの意見があるが、どう考えるか。 Q8, 40年保険料を納めて支給される基礎年金の額が、 …
この引用は、年金制度に対する様々な意見や議論が存在することを示唆しています。制度のあり方や将来像については、常に社会的な議論が必要であり、その中で「基礎年金」や「報酬比例部分」といった要素、さらには「民営化」といった選択肢も議論の対象となり得ます。しかし、どのような議論があっても、公的年金制度の根幹にあるのは、国民皆保険・皆年金という理念に基づき、国民一人ひとりの老後の生活を保障し、社会全体の安定を図るという目的です。
私たちが納める保険料は、社会保障という大きな枠組みの中で、互いを支え合うための「拠出」であり、それは将来、私たちが安心して生活できるための「権利」となります。短期的な経済的収支で判断すれば「損」に見える側面もあるかもしれませんが、その本質は、病気、障害、老齢といった人生のあらゆるリスクに対する、社会全体による「安心の保証」なのです。
結論:年金は「未来への投資」、そして「安心という名の保険」
「年金、払うだけ損?」――この疑問は、現代社会における多くの若年世代が抱える、切実な不安の表れです。しかし、年金制度を短期的な経済的収支の観点だけで評価することは、その本質を見誤ることになります。
年金制度は、私たちが人生の様々な困難に直面した際の「セーフティネット」であり、社会全体で互いを支え合う「相互扶助」の精神を具現化したものです。そして、少子高齢化といった構造的な課題に対応するための継続的な制度設計や工夫が施されており、将来にわたって「安心」を提供するための「未来への投資」と捉えることができます。
それは、単なる「貯蓄」ではなく、社会という共同体の中で、互いの尊厳と生活を保障し合うための、最も包括的で強固な「保険」なのです。この機会に、年金制度の多層的な価値を理解し、ご自身の、そして大切な人たちの「安心」への確かな一歩として、その意義を再認識していただければ幸いです。
[執筆日] 2024年06月18日
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