【専門家分析】国民負担率46.2%は「高い」のか? データが暴く日本の“負担構造の歪み”と“受益なき増税感”の正体
序論:「高い」という国民的感覚の根源を探る
「給料の半分近くが税金と社会保険料で消える」――この言説は、多くの給与所得者が抱く漠然とした不満を的確に捉えている。しかし、この「日本の税金は高すぎる」という感覚は、単なる感情論なのだろうか。
本稿の結論を先に述べる。この感覚の根源は、国民負担率という数値の絶対的な高さそのものよりも、むしろ日本の財政が抱える深刻な『負担構造の歪み』と、それに伴う『受益実感の希薄さ』に起因する。 具体的には、①少子高齢化を背景とした社会保障負担の現役世代への偏重、②所得再分配機能が十分に働いているとは言えない税制、そして③納めた負担に見合う公的サービスの質やアクセスが実感しにくいという、複合的かつ構造的な問題である。
本稿では、最新のデータを基にこの複雑な問題を多角的に分析し、私たちが直面する課題の本質を専門的な視座から解き明かしていく。
1. 国民負担率46.2%の深層分析:「潜在的負担」という不都合な真実
まず、議論の起点となる衝撃的な数値、国民負担率から見ていこう。これは国民全体の所得(国民所得)に対し、租税と社会保障負担が占める割合を示す、国家の「重税感」を測るマクロ指標である。
財務省は、2025(令和7)年度の国民負担率が、前年度の実際の負担率45.8%から0.4ポイント増加して46.2%となる見通しと発表しました。13年連続で40%台の高水準の数字となる見込みです。
引用元: 財務省発表 令和7年度国民負担率、46.2%に | 税理士法人山田&パートナーズ
この46.2%という数値は、私たちが稼いだ所得の半分近くが公的部門に移転されることを意味する。かつて重税の象徴とされた江戸時代の「五公五民」が比喩として語られるのも、この負担の重さを直感的に示すものだろう。
しかし、専門的な分析はここで終わらない。この「国民負担率」には、見過ごされがちな「将来への負担の先送り」が含まれていない。それが、財政赤字である。国債発行によって賄われる現在の行政サービスは、将来世代が税金で返済する義務を負う。この「先送りされた税金」を考慮に入れた指標が「潜在的国民負担率」だ。財務省の同発表によれば、2025年度の潜在的国民負担率は51.2%に達する見通しであり、これは所得の過半数が既に公的な負担によって拘束されていることを示唆する、極めて深刻なデータである。
2. 国際比較から見える日本の「立ち位置」と「構造的特異性」
では、この負担の重さは国際的に見てどう評価できるのか。財務省が公表するOECDのデータは、一見すると日本が突出して高いわけではないことを示している。
国民負担率の国際比較(2020年実績値)
* フランス: 69.9%
* デンマーク: 65.7%
* スウェーデン: 55.4%
* ドイツ: 54.9%
* イギリス: 46.1%
* 日本: 47.9%
* アメリカ: 32.3%出典: 国民負担率の国際比較(財務省)
※上記リンクは財務省の関連ページへのリンクです。引用データは2020年時点のものです。
このデータから、日本の負担率はフランスや北欧諸国より低く、OECD加盟国の中では中位(2020年時点で38カ国中22位)に位置することがわかる。この事実をもって「日本の負担は高くない」と結論づけるのは早計である。問題の本質は、負担の「水準」だけでなく、その「構成」と「使途」にあるからだ。
分析すべきは、高負担・高福祉の欧州諸国と日本の違いである。フランスやスウェーデンでは、高い負担の見返りとして、大学までの教育費完全無料化、手厚い失業保険、充実した育児・家族支援といった、国民がライフステージを通じて明確に享受できる「高福祉」が社会契約として成立している。一方、低負担・低福祉のアメリカでは、医療や教育は自己責任が原則であり、個人が市場でサービスを購入するモデルが基本だ。
対して日本は「中負担」でありながら、給付は高齢者関連(年金・医療)に著しく偏っており、現役世代や若者向けの教育・子育て支援への公的支出はOECD諸国の中でも低水準に留まる。これが「負担はするが、自分たちへの見返りが見えない」という「受益実感の希薄さ」を生む最大の要因となっている。
3. 負担増のメカニズム:主犯は「社会保険料」と構造的欠陥
なぜ私たちの負担感は年々増しているのか。その鍵は、国民負担率の内訳にある。
国民負担率とは、企業や個人が得た国民全体の所得総額である国民所得に対して、税金と社会保険料が占める割合をいいます。
引用元: 財務省発表 令和7年度国民負担率、46.2%に | 税理士法人山田&パートナーズ
この定義が示す通り、負担は「租税」と「社会保険料」から構成される。近年の負担率上昇を牽引しているのは、紛れもなく後者の社会保険料である。その背景にあるのが、もはや説明不要の「超少子高齢化」だ。
この構造的問題は、日本の社会保障制度、特に年金制度が採用する賦課方式(ふかほうしき)の限界を露呈させている。賦課方式とは、現役世代が納める保険料を、その時々の高齢者世代への給付に充てる仕組みである。人口ピラミッドが安定した成長社会では有効に機能するが、現在の日本のように高齢者が増え、支え手である現役世代が減少する社会では、現役世代一人当たりの負担が構造的に増大し続ける運命にある。
給与明細から天引きされる厚生年金保険料や健康保険料の料率が上昇し続けるのは、この人口動態と制度設計の必然的な帰結なのだ。この負担構造は、特定の世代に負担が集中する「世代間格差」という深刻な問題を内包しており、これが社会の分断と将来への閉塞感を生む一因となっている。
4. 考察:「負担と給付の再設計」に向けた3つの専門的論点
この複雑な課題を前に、「ただ税金が高い」と嘆くだけでは何も解決しない。求められるのは、負担と給付のあり方を根本から問い直す「社会契約の再構築」である。そのために不可欠な専門的論点を3つ提示したい。
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税制全体の再設計(タックス・ミックスの見直し)
日本の税制は、給与所得者から源泉徴収で確実に徴収できる所得税への依存度が高い。これが「サラリーマン増税」と揶揄される負担感の源泉の一つだ。公平性と経済活性化の観点から、①消費税の役割(安定財源としての利点と逆進性対策)、②形骸化が指摘される所得税の累進機能の強化、③そして格差是正に資する資産課税(金融所得課税や相続税)のあり方を一体で議論する、税制全体の最適な組み合わせ(タックス・ミックス)の再設計が急務である。 -
社会保障制度の持続可能性確保
賦課方式の限界が明らかないま、給付と負担のバランスを現実的な水準に調整する改革は避けられない。年金支給開始年齢のさらなる引き上げ、医療費における自己負担割合のあり方、そして健康寿命の延伸と予防医療へのインセンティブ設計など、痛みを伴うが持続可能性を確保するための国民的議論を開始する必要がある。 -
「賢い支出(ワイズ・スペンディング)」への転換
負担の議論は、必ず支出の議論とセットでなければならない。限られた財源をいかに効率的・効果的に配分するかという「ワイズ・スペンディング」の視点が不可欠だ。そのためには、政策効果をデータで客観的に評価するEBPM(Evidence-Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)を徹底し、旧来の慣習や既得権益に捉われない歳出改革を断行することが求められる。
結論:賢慮ある市民として、社会契約の再構築へ
本稿で分析してきたように、「日本の税金は高い」という感覚は、単なる主観的な不満ではない。それは、国民負担率46.2%(潜在的には51.2%)という客観的なデータと、その背後にある「負担構造の歪み(現役世代への偏重)」と「受益実感の希薄さ(給付の偏在)」という根深い構造的問題を映し出す、国民からの正当な問題提起である。
私たちは今、「中負担・低福祉(ただし高齢者向けは手厚い)」という歪な構造から、どのような社会を目指すのかという岐路に立たされている。高負担を受け入れてでも手厚い公的サービスを享受する「欧州型」か、自己責任を基本とする「米国型」か、あるいは日本独自の第3の道か。
この問いに答えるためには、私たち一人ひとりが賢慮ある市民として、政治や社会の議論に主体的に参加することが不可欠だ。選挙での一票は当然のこと、自らの資産形成(NISAやiDeCoなど)を通じて自助努力の範囲を理解し、その上で社会に求める共助・公助のあり方を考える。
「税金が高い」という叫びを、より良い未来を築くための建設的な対話へと昇華させること。それこそが、これからの時代を生きる私たちに課せられた、知的でかつ実践的な責務なのである。
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