序論:安易な「包囲殲滅陣」が露呈する、戦術的リアリズムとフィクションの乖離
皆さん、こんにちは。プロの研究者兼専門家ライターの〇〇です。今日のテーマは、Web小説プラットフォーム「小説家になろう」の作品で頻繁に登場し、時に読者からの厳しい視線に晒される「包囲殲滅陣」という戦術についてです。
「我々は敵を包囲殲滅する!」――このセリフは、主人公の卓抜した軍事的天才性を象徴するかのようです。しかし、SNSや掲示板では「またか…」「さすがになろう」といった揶揄の声が少なくありません。一体なぜ、歴史上「最強」と謳われるこの戦術が、特定の文脈で批判の対象となるのでしょうか。
本記事の結論から先に述べましょう。なろう作品における「包囲殲滅陣」の描写が批判される主要因は、その戦術的・戦略的実現性の希薄さと、作品世界内での説得力の欠如にあります。 歴史上の成功事例が示す極めて高い難度と、それを可能にするための綿密な準備や特殊な条件が、多くの「なろう」作品では簡略化され、ご都合主義的に描かれがちであるため、読者の軍事リテラシーとの間に乖離が生じるのです。
この記事では、この「包囲殲滅陣」が持つ真の奥深さを、歴史上の戦術、軍事原則、そしてフィクションにおける描写のリアリティラインという多角的な視点から深掘りしていきます。読者の皆さんが、ファンタジー作品の軍事描写をより深く、批判的かつ建設的に楽しむための一助となれば幸いです。
1. 「包囲殲滅陣」の真髄:歴史に刻まれた究極の戦術思想
まず、提供情報にもある「包囲殲滅陣」の基本定義と、その歴史的意義から掘り下げていきましょう。
「エパミノンダスの斜線陣の頃から基本は拘束、包囲、殲滅の3ステップ両翼か片翼かの違いはあれど、相手の動き縛り、回り込んで、叩く。これ、最強」
引用元: 歴史上の戦術まとめ的な本は予備知識が無いと「うまいこと敵を …
この引用が示す通り、「拘束、包囲、殲滅」という三段階は、紀元前の古代ギリシア、テーベの将軍エパミノンダスの時代から、基本的な軍事思想として確立されていました。エパミノンダスがレウクトラの戦い(紀元前371年)で用いた「斜線陣」は、敵の戦列に対し、自軍の一翼(多くは左翼)に兵力を集中させ、楔を打ち込むように突撃させます。これにより、敵の主力を「拘束」し、その間に別の部隊が側面や背後へと回り込む「包囲」態勢を形成。最終的に、多方向からの攻撃で敵を「殲滅」するという、後の戦術の基礎を築いた画期的なものでした。
この戦術が「最強」とされる理由は、単に敵兵を殺傷するに留まらない、戦略的な効果にあります。敵軍を完全に包囲し、退路を断ち、組織的抵抗を不可能にすることで、物理的だけでなく心理的にも徹底的に打ち破ることが可能になります。兵士の士気は崩壊し、指揮系統は麻痺し、捕虜や物的資源も大量に奪取できるため、敵の再起を長期的に不能にすることができます。これは、単なる「撃退」や「局所的勝利」とは一線を画す、戦争全体の帰趨を決するほどの絶大な影響力を持つのです。
しかし、この「最強」の称号は、その実行の困難さを伴います。部隊の連携、地形の利用、タイミングの正確性、そして敵の心理の読み合いが完璧に機能して初めて、歴史に残る成功例となり得るのです。
2. 「300 vs 5000」が暴く、リアリズムとの「圧倒的」乖離と兵力比の鉄則
提供情報で指摘されている「なろう作品」が叩かれる核心的な理由の一つは、その非現実的な兵力差にあります。
「ん?300人で5000人を包囲殲滅⁉️」
ネタ系なろう作品のアニメ化投票
↖️ #黙れドン太郎
これがすべてを物語っている
↗️ #マサツグ様
王、そして神になられるお方だぞ‼️
↙️#キンキンキン太郎
おらおらどうした?キンキンキン❗
↘️#包囲殲滅陣
ん?300人で5000人を包囲殲滅⁉️⬇️引用元をタップして投票してね https://t.co/SZtHlEbjdY pic.twitter.com/0uZI3ZcR1b
— うまるーん (@PhUasPDhc5ak8Wy) February 19, 2021
この疑問は、軍事的な常識から見れば極めて妥当です。300対5000という兵力比は、包囲殲滅陣においては論理的に破綻しています。
2.1. 軍事原則としての兵力比の重要性
軍事学において、攻撃側が防御側を突破したり、包囲を維持したりするためには、一般的に最低でも3対1の兵力比が必要とされます。これは、戦線を維持し、敵の反撃を吸収し、さらに予備兵力を展開するための絶対的な要件です。包囲殲滅陣のように、複数の方向から敵を攻撃し、かつ敵の脱出を防ぐには、さらに高い兵力比、例えば5対1、あるいはそれ以上が望ましいとされます。
もし300人で5000人を包囲しようとすれば、一人当たりの担当する戦線長が異常に長大となり、部隊密度は極めて希薄になります。このような「スカスカ」の包囲網は、敵が組織だって突破を試みれば容易に破られ、戦術は失敗に終わるでしょう。クラウゼヴィッツの『戦争論』が説く「摩擦(Friction)」の概念を援用すれば、計画通りに進まない戦場の不確実性や偶発的な事態が加われば、わずかな兵力差でも破綻のリスクは飛躍的に高まります。
2.2. 「なろう」フィルターと読者のギャップ
「普通ならな、でもここに【なろう】が付けばあら不思議」
引用元: 包囲殲滅陣 | やる夫 ANKこの引用は、まさに「なろう作品」というジャンルが持つ特性を鋭く突いています。多くのなろう作品は、主人公の圧倒的な能力や運、あるいは「チート」と呼ばれる特殊な力によって、現実の制約を軽々と超えてしまう展開を描くことを得意とします。読者は、主人公の快進撃にカタルシスを感じる一方で、あまりにも現実離れした戦術描写には疑問を呈するようになるのです。
兵力差の克服には、主人公の超人的な身体能力、魔法や特殊能力、地形の極限利用、あるいは敵の極端な愚鈍さなど、何らかの説得力ある理由付けが必要です。しかし、多くの場合、この理由付けが不十分であるか、あるいは「主人公だからできる」という安易な帰結に陥りがちです。ここに、読者が「さすがになろうだな…」と皮肉るギャップが生まれるのです。
3. 「超絶難度」:真の包囲殲滅陣に不可欠な戦略的要素
「囲んで棒で叩く」というシンプルな最強理論の裏側には、提供情報が示唆する通り、想像を絶する困難さが横たわっています。
「真面目な話していい? ナポレオンがアウステルリッツでやった作戦が理解できない。どこまでが必然でどこからが偶然か分かんねえ。」
引用元: なろうで『包囲殲滅陣』が出てくるとだいたい馬鹿にされる : 同人速報この引用は、ナポレオンのような軍事的天才でさえ、その作戦が「必然」と「偶然」の複雑な織りなす芸術であったことを示唆しています。アウステルリッツの戦い(1805年、三帝会戦)は、ナポレオンの生涯でも最も輝かしい勝利の一つとして知られ、包囲殲滅陣の理想的な成功例とされますが、その実現には以下のような極めて多岐にわたる要素が不可欠でした。
3.1. 緻密な情報収集と地形の完璧な利用
ナポレオンは、敵の戦力、配置、進路、そして将校の性格に至るまで、徹底的な情報収集を行いました。アウステルリッツでは、戦略的に重要なプラツェン高地を意図的に空けて敵を誘い込み、自軍の強固な防御線を形成する一方で、側面には隠蔽された部隊を展開させることで、地形を最大限に利用しました。これは、敵の動きを予測し、自軍に有利な戦場を作り出す高度な洞察力なくしては不可能です。
3.2. 兵站(ロジスティクス)の確保と指揮統制(C2)
大軍を動かす上で、食料、水、弾薬などの物資補給(兵站)は生命線です。ナポレオンは、兵站線を確保しつつ、迅速な部隊移動を可能にする「軍団制」を確立していました。また、当時の限界的な通信手段(伝令や信号)の中で、膨大な部隊を正確なタイミングで連携させる「指揮統制(Command and Control)」は、まさに芸術的な手腕を要しました。各部隊が司令官の意図を正確に理解し、自律的に判断し、適切なタイミングで行動することが求められたのです。
3.3. 欺瞞と心理戦
アウステルリッツでは、ナポレオンはあえて兵力不足を装い、講和交渉を持ちかけることで敵に油断をさせ、有利な戦場に誘い込みました。また、自軍の一部をわざと後退させることで、敵に側面攻撃を仕掛けさせるような心理的な罠を仕掛けました。このような欺瞞と心理戦は、敵の判断を誤らせ、自軍の戦術を成功させる上で決定的な役割を果たします。
3.4. 偶発性への対応とリーダーシップ
「戦争は偶然の領域である」というクラウゼヴィッツの言葉が示す通り、戦場では予期せぬ事態が常に発生します。ナポレオンは、戦況の急変に対し、瞬時に的確な判断を下し、柔軟に作戦を変更する類稀なるリーダーシップを発揮しました。彼自身の存在が、兵士たちの士気を鼓舞し、不可能を可能にする原動力となりました。
なろう作品で主人公が「包囲殲滅陣だ!」と宣言するだけで、これらの超絶難度を伴う要素が省略され、簡単に成功してしまうと、その「超絶難度」を知る読者からは、当然のように「そんな簡単にいくわけないだろ!」というツッコミが入るのです。これは、単なる「ご都合主義」批判に留まらず、軍事学的なリアリズムと作品描写の整合性への問いかけと言えます。
4. ルルーシュは絶賛、なろう主人公は酷評…その「説得力」の境界線
元記事の概要にあった「ルルーシュ『包囲殲滅陣だ!』←絶賛される何故なのか?」という問いは、フィクションにおける軍事描写の「説得力」の核心を突いています。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』において、主人公ルルーシュ・ランペルージが「包囲殲滅陣」を宣言する場面は、視聴者から絶大な支持を得ました。彼となろう主人公との決定的な違いは、「世界観とリアリティラインの整合性」、そして「説得力のある描写の積み重ね」にあります。
4.1. ルルーシュの「チート」がもたらす説得力
ルルーシュの場合、彼が持つ「ギアス」という「絶対遵守」の能力は、現実の軍事における最大の課題の一つである指揮統制(C2)の摩擦をほぼ完全に排除します。敵の司令官やキーパーソンに直接命令を下すことで、情報収集、敵の行動予測、内部からの攪乱といった、現実の軍事作戦で極めて困難な要素を「魔法」のように解決します。これは、現実の戦術における「情報優位」「心理戦」「精密なタイミング」を、ギアスという特殊能力によって「作品世界内で再現可能」にしているのです。
さらに、人型兵器「ナイトメアフレーム」という超技術が存在します。これは、現実の戦術における「部隊の機動性」「火力」「偵察能力」を飛躍的に向上させ、地形の制約を緩和し、迅速な包囲網形成や突破を可能にします。また、ルルーシュ自身の天才的な頭脳と、それを裏付ける綿密な計画、そしてキャラクターとしての人間的な葛藤や成長が丁寧に描かれているため、彼の作戦が成功しても、それが単なる「ご都合主義」ではなく、「彼の能力と世界の法則の中で必然的に起こり得る」という説得力が生まれるのです。
4.2. 「なろう」作品における説得力不足の構造
一方、なろう作品で批判される「包囲殲滅陣」は、この「説得力」の構築が不十分な場合が多いです。主人公がチート級の能力を持っていても、それが具体的な戦術の実行にどう影響するのか、圧倒的な戦力差や地形の不利をどうやって埋めるのか、その過程がご都合主義的に省略されてしまうと、読者は物語に没入できず、批判的な視点を持つようになります。
例えば、
- 主人公の「圧倒的なカリスマ」で兵士が超人的な力を発揮する、とするが、そのカリスマが具体的にどう伝わり、どう作用したのか描写が薄い。
- 敵が「主人公の作戦」に都合よく引っかかり、まるで待ち伏せされているかのように行動するが、その理由付けが「敵が愚かだから」で片付けられる。
- 地形の利用や情報戦の描写がなく、いきなり「気づけば包囲されていた」という結果だけが提示される。
といった描写は、読者の期待する「論理的な展開」を裏切り、結果として「この作品の軍事描写はリアリティがない」という評価に繋がってしまいます。
要するに、戦術そのものの「カッコよさ」だけでなく、それが「なぜ、どのようにして可能になったのか」という作品世界内での「説得力のあるプロセス描写」こそが、読者の評価を分ける境界線だと言えるでしょう。
5. 深化する読者体験と創作への示唆:知識が広げるファンタジーの地平
これまでの議論を通じて、なろう主人公の「包囲殲滅陣」がなぜ叩かれるのか、その深層的な理由が見えてきたはずです。それは、決して「包囲殲滅陣」という戦術が悪いわけでも、ファンタジー作品全体を否定するものでもありません。問題は、その歴史的・軍事的な超絶難易度と、それを作品内で実現するための前提条件が、読者が納得できる形で十分に描かれていないことにあるのです。
この分析は、読者にとってファンタジー作品の軍事描写をより深く、多角的に楽しむための視点を提供します。これからは、なろう作品で「包囲殲滅陣」という言葉を見かけたら、単に「またご都合主義か」と切り捨てるのではなく、一歩踏み込んで考えてみてください。
- 「この主人公は、どうやってこの圧倒的な兵力差を覆し、包囲網を構築するのだろう?」
- 「地形や情報、特殊能力をどのように活用して、敵を誘い込み、拘束し、包囲するプロセスを描くのだろうか?」
- 「その作戦が成功するまでに、どのような困難や予想外の事態が発生し、それをどう乗り越えるのだろうか?」
このように、現実の軍事原則や歴史的背景の知識をフィルターとして作品を読み解くことで、物語の奥深さや、作者が描写に込めた工夫、あるいは限界に気づくことができます。それは、単に物語を消費する以上の、より能動的で知的な読書体験へと繋がります。
また、これは「なろう」の作者にとっても重要な示唆を与えます。読者の軍事リテラシーが向上している現代において、安易な戦術描写は批判の対象となりやすい一方で、工夫された描写は高い評価を得る可能性があります。例えば、超能力や魔法といったファンタジー要素を、単なる万能な「チート」としてではなく、現実の軍事原則が抱える課題(情報不足、兵站の困難、指揮統制の摩擦など)を解決するための具体的な「ツール」として位置づけ、その使用の限界や代償をも描くことで、作品世界に独自の説得力と深みを与えることができます。
結論:ファンタジーとリアリズムの懸け橋となる「説得力」の探求
本記事を通して、なろう主人公の「包囲殲滅陣」がなぜ叩かれるのか、その背景には歴史的軍事原則との乖離、兵力比の非現実性、そして作戦実行の「超絶難度」を乗り越えるための「説得力」のある描写が不足している、という構造的な問題があることを解説しました。
戦術描写の深掘りは、単に「史実通りに描け」というリアリズム至上主義を提唱するものではありません。むしろ、ファンタジーというジャンルが持つ自由度の中で、いかにして「作品世界内での整合性と説得力」を構築し、読者の知的好奇心と感情移入を両立させるかという、創作における重要な課題を浮き彫りにします。
現実の戦術の奥深さを知ることは、ファンタジーの世界をより深く、多角的に楽しむための強力な「チート能力」となります。そして、この知識は、作者がより洗練された、読者を納得させる軍事描写を創造するためのインスピレーションとなるでしょう。ファンタジーとリアリズムの間に、いかにして説得力の懸け橋を架けるか。この探求こそが、物語の地平をさらに広げ、読者と作者双方にとってより豊かな体験をもたらす鍵となるはずです。これからも、共に物語の世界を深掘りし、その可能性を探求していきましょう。
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