2025年11月07日
『チェンソーマン』の登場人物の中でも、特に読者の間で熱い議論を巻き起こすのが「支配の悪魔」マキマです。彼女の行動原理は一見すると矛盾に満ちているようにも見え、「世界をより良くしたい」という壮大な目的と、「チェンソーマン(ポチタ)との幸せな生活」、あるいは「チェンソーマンに支配されたい」という個人的な願望のどちらが彼女の真の目的だったのか、という問いは常に論点の中心にあります。
本稿の結論として、マキマの目的は、単純にどちらか一方が他方を上回るというものではなく、「支配の悪魔」としての本質的な孤独と「承認されたい」という根源的な個人的願望が、「チェンソーマンに支配されることによる幸福」という形で具現化され、その個人的願望を達成し、かつ自身の存在意義を確立するための壮大な手段として「恐怖なき理想世界の創造」が位置づけられていた、と考察します。つまり、彼女の行動は、個人的な幸福の追求が、世界変革という大義名分によって駆動された、極めて複合的かつ階層的な目的構造を有していたと言えるでしょう。
1. マキマが構想した「恐怖なき世界」の哲学と倫理
マキマが目指した「理想の世界」とは、人類が長年にわたり抱えてきた戦争、飢餓、差別といった負の概念、そしてそれらを生み出す悪魔をチェンソーマンの能力によって消滅させた世界でした。彼女は具体的に、ナチス、ホロコースト、エイズ、原子爆弾といった、人類史における悲劇の根源となった概念そのものを抹消しようとしました。これは単なる悪魔の駆逐を超えた、世界そのものの「改変」を意味します。
1.1. 概念抹消がもたらす「恐怖なき世界」の功罪
マキマのこの構想は、最も多数の幸福を追求する功利主義的(Utilitarianism)な思想と一部合致するとも言えます。しかし、彼女が目指したのは、単に苦痛を減らすだけでなく、苦痛の「記憶」や「概念」そのものを消し去るという点で、極めて全体主義的な色彩を帯びています。
「恐怖なき世界」は、一見すると平和で幸福な楽園のように思えますが、これは同時に、人類が過去の過ちから学び、成長する機会を奪い、多様な感情や価値観を画一化するディストピア(Dystopia)に他なりません。人間にとって、痛みや悲しみ、恐怖といったネガティブな感情は、幸福や喜びを認識するための対比項であり、また、自己と他者の存在を認識し、共感を生み出す上で不可欠な要素です。それらを根こそぎ消し去ることは、人間性の本質的な部分を削ぎ落とす行為であり、自由意志の剥奪や個性の喪失に繋がりかねません。マキマが目指したのは、人間の「管理された幸福」であり、そこに個人の自由や選択の余地はほとんどありませんでした。
1.2. 他作品における類似概念との比較
このような「理想郷」の実現は、フィクション作品においてしばしば批判的に描かれます。例えば、『PSYCHO-PASS サイコパス』におけるシビュラシステムは、人間の心理状態を数値化し、犯罪係数の高い人間を排除することで治安を維持しますが、その代償として個人の自由な意思決定や多様性を抑圧します。また、『攻殻機動隊』のテーマの一つである、集合的無意識へのアクセスや情報統合による進化は、個の境界線を曖昧にする可能性を内包しています。マキマの計画も、これらのように、より大きな「善」の名のもとに個々の存在意義や自由を犠牲にする倫理的課題を抱えていました。彼女にとっては、個々の苦痛や犠牲は、目的達成のための「必要悪」であり、結果としての全体的な安寧が倫理的に正当化されると考えていた節があります。
2. 支配の悪魔の「孤独」と「承認」への歪んだ渇望
一方で、マキマの行動は「世界を良くする」という大義名分だけでは説明しきれない、チェンソーマンへの尋常ならざる執着を見せていました。その根底には、「支配の悪魔」としての彼女の存在論的な孤独と、それに起因する「承認」への渇望がありました。
2.1. 支配の悪魔としての存在論的孤独
マキマは「支配の悪魔」という性質上、常に他者を支配する立場にあります。これは彼女の能力であり、悪魔としての自己同一性(identity)を構成する核です。しかし、この「支配する」という特性は、同時に「対等な関係を築けない」という深い孤独を生み出しました。支配する側とされる側には、常に力関係が存在し、真の意味での相互理解や共感は成立しにくい。彼女は作中で「誰からも愛されたことがない」「誰とも対等な関係を築けない」と示唆しており、これは悪魔としての特性ゆえの宿命的な孤独であったと言えます。
2.2. 承認欲求の特殊な発現:「支配されたい」というパラドックス
この孤独の裏返しとして、マキマはデンジ(チェンソーマン)に対し「チェンソーマンに支配されたい」という衝撃的な願望を吐露します。これは、マズローの欲求段階説における「愛と所属の欲求」や「承認欲求」が、支配の悪魔という存在の中で極めて歪んだ形で発現したと解釈できます。
通常、承認欲求とは、他者から認められ、尊重されたいという願望です。しかし、支配の悪魔であるマキマにとって、他者を支配することはできても、彼らから真に「認められる」ことは困難でした。そこで彼女が求めたのは、自らを凌駕する絶対的な力を持つ存在――チェンソーマンによって「支配される」ことでした。これは、支配されることで初めて、自らの「支配の悪魔」という宿命から解放され、対等ではないが故に、ある種の「究極的な受容」や「一体化」を経験できると考えたのかもしれません。彼女にとっての「幸せな生活」とは、一般的な意味での平穏な家庭ではなく、チェンソーマンという絶対的な存在に自身の全てを委ね、その一部となることで得られる、歪んだ形での安寧だったのです。これは、エリック・フロムが提唱した「自由からの逃走(Escape from Freedom)」における、個人の自由からくる重圧からの解放を、権威への服従によって求めようとする心理にも通じるものがあります。
3. 目的と手段の倒錯:二つの願望の階層的構造
マキマの「理想の世界」への願望と、「チェンソーマンに支配されることでの個人的な幸福」という二つの目的は、どちらが根源的で、どちらが手段だったのでしょうか。本稿の冒頭で述べたように、これらは相互に不可分な、しかし階層的な関係にあったと考えられます。
3.1. 個人的な願望の根源性
マキマの根源的な動機は、おそらく「支配の悪魔」としての孤独からの解放と、それによって得られる「承認」や「幸福」といった個人的な願望にあったと考えるのが自然です。作中で、彼女がデンジに「チェンソーマンに支配されたい」と直接的に語ったこと、そして「誰にも愛されたことがない」という示唆は、この個人的な渇望の深さを物語っています。
チェンソーマンは、その「存在を消滅させる」という能力によって、マキマが目指す「恐怖なき世界」を実現できる唯一の存在でした。しかし、同時にチェンソーマンは、マキマが唯一「支配されたい」と願う、彼女の個人的な渇望を満たす存在でもありました。この二重性は、チェンソーマンがマキマにとって、世界変革の「手段」であると同時に、個人的な「目的」そのものでもあったことを示唆しています。
3.2. 世界変革という「大義名分」と「存在意義」
「世界を良くしたい」という壮大な目標は、マキマの個人的な願望を正当化し、自身の「支配の悪魔」としての能力を最大限に活用する「大義名分」としての役割を担っていました。彼女は世界を客観的に見つめ、その不完全さや痛みに苦しむ人々へのある種の「慈悲」も持ち合わせていたのかもしれませんが、それが彼女の行動の第一義的な動機であったと断じるのは難しいでしょう。
むしろ、世界をより良くするという「善」の概念を掲げることで、自身の強大な力を振るうことに倫理的な意味を与え、自身の存在意義を確立しようとした側面が強いと言えます。彼女は自身の孤独を満たすためにチェンソーマンを求め、そのチェンソーマンを手に入れるための壮大な舞台装置として「理想の世界の創造」を企図した、と解釈することも可能です。
4. 結論:支配の悪魔が求めた「幸福」の多層性
『チェンソーマン』のマキマは、「世界を良くしたい」という壮大な理想と、「チェンソーマンに支配されることでの個人的な幸福」という深い願望という、二つの強力な動機を抱えていました。これら二つの目的は、どちらか一方が他方を完全に凌駕するものではなく、彼女の複雑な内面と、支配の悪魔という存在としての特性から必然的に生まれた、相互に深く絡み合った、しかし階層的な関係性を持っていたと考察できます。
マキマの行動は、自身の根源的な孤独と、誰にも愛されず、誰とも対等になれないという悪魔の宿命を埋め、承認されたいという根源的な欲求が、世界を巻き込む壮大な計画へと昇華された結果として捉えることができます。彼女の動機は極めて多層的であり、一見冷徹に見えるその言動の裏には、人間的な感情が歪んだ形で存在していたと言えるでしょう。
最終的にデンジがマキマを「食べる」という行為によって、マキマはチェンソーマンと文字通り「一体化」し、彼女が求めた究極の「支配」と「承認」、そして「幸福」を得たのかもしれません。これは、支配の悪魔が求めた幸福が、一般的な「愛」や「承認」とは異なる、極めて独特な形で達成されたことを示唆しています。マキマというキャラクターは、悪魔の業と人間の普遍的な感情(承認欲求、孤独感)が複雑に交錯する存在として描かれ、読者に「幸福とは何か」「支配とは何か」といった哲学的な問いを投げかける、非常に深遠なキャラクターであったと言えるでしょう。


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