【話題】LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶が問う法の倫理

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【話題】LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶が問う法の倫理

「正義とは何か?」「法は本当に完璧なのか?」──これらは、人類が長らく問い続けてきた根源的な問いです。この問いに対し、エンターテインメントの枠を超えて深く切り込む作品が、木村拓哉さん主演の人気ゲームシリーズ最新作『LOST JUDGMENT:裁かれざる記憶』(ロストジャッジメント)です。

本記事の結論として、『LOST JUDGMENT』は、法が本質的に不完全な「人間が作った制度」であることを鮮烈に描き出し、その限界がもたらす倫理的ジレンマ(特に「裁かれざる悪」に対する個人の正義と私刑の誘惑)を浮き彫りにします。そして、この不完全な法と向き合い、社会の公正を追求するためには、個人の倫理的探求と、真実を追求する不断の努力が不可欠であるというメッセージを私たちに提示していると言えるでしょう。

多くのプレイヤーが「やっぱり法ってのは不完全だな」と口にするこのゲームは、元弁護士である主人公・八神隆之を通して、法の内側と外側から真実と正義を追究することの困難さと重要性を問いかけます。今回は、プロの研究者兼専門家ライターの視点から、『LOST JUDGMENT』が提示する「法の不完全性」と、それに伴う人間の複雑な感情、そして現代社会における「正義」への多角的な考察を深掘りしていきます。


1. 法の根源的限界:「人間が作った不完全なシロモノ」が示す複雑性

私たちが社会の秩序維持の基盤として信頼する「法」。しかし、『LOST JUDGMENT』は、その法が持つ根源的な「脆さ」と「限界」を容赦なく暴き出します。このセクションでは、法がなぜ不完全であるのか、その構造的・哲学的な側面を深掘りし、冒頭で述べた「法は人間が作った制度である」という結論を具体的に解説します。

物語の核心に触れる言葉として、あるブログではこう表現されています。

「やっぱり法ってのは融通がきかないし不完全なシロモノだよな裁くべきを」
引用元: ロストジャッジメント:ネタバレ感想・考察|ああああ

この「融通がきかない」という指摘は、成文法(制定法)が持つ普遍性と安定性という利点と表裏一体の課題を示唆しています。法は、予測可能性と公平性を担保するために、一般的なルールとして抽象化され、特定多数の事案に適用されるよう設計されています。しかし、個別の事案においては、その複雑性や微細な感情、状況の機微を完全に捉えきれず、結果として「融通が利かない」と感じられることがあります。例えば、急激な社会の変化(サイバー犯罪の出現やAI倫理問題など)に法整備が追いつかない「法の空白」領域や、複雑な人間関係から生じる微妙な加害性(いじめなど)を既存の法が裁ききれないケースがこれに該当します。法学における「法の解釈」の重要性も、この融通のなさを補完しようとする試みですが、それでもなお限界は存在します。

さらに、別のブログでは、その本質をより哲学的に言い当てています。

「法律」という絶対的に見えて実は不完全なものを軸に、人によって「正義」の意味が全く異なりぶつかる物語
引用元: 『ロストジャッジメント』ゲームプレイ②:失う正義(※ネタバレ …

この引用は、法が目指す「普遍的・客観的な正義」と、個々人が抱く「主観的・感情的な正義」との間の深い溝を指摘しています。法は、例えば「デュー・プロセス(適正手続)」や「法の前の平等」といった手続き的正義を重視し、客観的な証拠に基づいて判断を下そうとします。しかし、人々が感じる「正義」は、個人的な経験、倫理観、文化、価値観に深く根ざしており、功利主義的(最大多数の最大幸福)な見方もあれば、義務論的(普遍的道徳法則に従う)な見方、あるいはアリストテレス的(各人にふさわしいものを与える)な見方など多岐にわたります。ゲーム内で描かれるように、被害者感情が重視する「報復としての正義」や、加害者側の事情を考慮する「更生としての正義」など、多様な正義観が衝突する中で、法がその全てを満足させることは極めて困難なのです。

そして、法の不完全性がどこから来るのかという問いに対し、決定的な答えを提供しています。

「法は神が作ったものではなく、不完全な人間が作ったものなので完全なものじゃないん」
引用元: 『LOST JUDGMENT: 裁かれざる記憶』 プレイ日記 6日目 | あくまで …

この発言は、法の「実定法(Positive Law)」としての性格を端的に示しています。法は、超越的な存在(神)によって与えられたものではなく、特定の時代、特定の社会において、不完全な人間が合意形成を経て制定・運用しているルールシステムです。立法の過程には政治的駆け引きや、当時の社会認識、倫理観が反映されます。また、法の運用においても、警察、検察、裁判官、弁護士といった個々の人間の判断や解釈、バイアスが介在し、これが法の最終的な結果を左右します。法の制定者や運用者がいかに客観的であろうとしても、人間の認識能力や予見能力には限界があり、全ての状況に対応できる完璧な法を設計することは不可能です。主人公の八神隆之が元弁護士であることは、彼が法の専門家としてその限界を深く理解し、ゆえに弁護士を辞して「法の外」から真実を追う探偵という道を選んだ、という物語の根幹を補強しています。これは、法というシステムに内在する不完全性を最も近くで見てきた者としての、彼なりの結論と行動原理を示唆しているのです。

2. 「裁かれざる記憶」と私刑の誘惑:いじめ問題が炙り出す法の盲点

冒頭の結論で述べた「裁かれざる悪」に対する倫理的ジレンマは、『LOST JUDGMENT』の物語において、特に根深い「いじめ問題」を通じて具体的に描かれます。法が介入しにくい、あるいは裁ききれない領域において、人間の心に芽生える「私刑」という名の闇は、法の不完全性を最も痛烈に私たちに突きつける要素です。

ゲームが描く現代社会のいじめ問題について、このような指摘があります。

「今も昔も、いじめ問題ってのは変わっていかない現状があるからなあ。」
引用元: 『LOST JUDGMENT: 裁かれざる記憶』 プレイ日記 6日目 | あくまで …

残念ながら、この指摘は現実社会においても非常に重い意味を持ちます。いじめ問題は、その性質上、加害行為が多岐にわたり、証拠の確保が困難であるという法的解決の難しさを抱えています。特に、精神的な苦痛を与えるいじめや、集団で行われるいじめの場合、具体的な犯罪構成要件に当てはめにくく、民事賠償を求めるにしても立証のハードルが高いのが現状です。また、未成年者間の問題であるため、刑法の適用にも慎重な判断が求められ、結果として「法では裁かれない」加害者が存在するケースが多発します。「いじめ防止対策推進法」などの法整備は進みつつありますが、それでもなお被害者の心の傷が深く残る一方で、加害者が何事もなかったかのように社会生活を送るという現実が、法への不信感と不満を生み出す温床となっています。

このような法が機能しない、あるいは法の機能が及ばない領域において、人々の心には「私刑」という名の誘惑が芽生えます。インターネット上でも、「国が何とかしてくれないなら自分達が手を下すしかないって気持ちは分かる」といった声が見受けられるように、これは多くの人が抱える心の叫びであり、法が提供できない「正義」への渇望の表れと言えるでしょう。この感情は、法の欠陥を個人の手による報復で補おうとする衝動へと繋がりかねません。

ゲームに登場する主要人物の一人、便利屋の桑名仁は、まさにこの「いじめ問題」をきっかけに、法で裁かれない悪人への私刑(しけい)、すなわち「法律に基づかずに個人が勝手に行う刑罰」を下す私刑執行人となっていきます。

深掘り解説:桑名の行動原理と私刑の倫理
桑名の行動は、単なる復讐ではなく、法の限界に対する絶望から来る「法の代替手段」としての私刑という、より深い問題を提起します。提供情報によれば、桑名には衝撃的な過去が明かされています。

楠本玲子の弱みを握りたい黒幕によって、…高校教師時代に受け持ちクラスで起こったイジメをきっかけに、全国のイジメ加害者を殺害して回る、私刑執行人となっていた。一方、厚労省事務次官の楠本玲子は、息子をイジメ自殺に追いやった主犯格を、桑名と共に殺害した過去があった。
引用元: ロストジャッジメント 11章~最終章感想 – 魂の文学的良心

この情報は、桑名と楠本が共有する「裁かれざる記憶」が、単なる感情的な報復に留まらない、法制度では救済されなかった悲劇の清算を目的としていることを示唆しています。彼らにとって、法は息子を救えず、加害者を罰することもしなかった。その結果、「正義」を実現するためには、自らの手で「法外の裁き」を下すしかなかった、という絶望的な選択肢へと追い込まれたのです。しかし、私刑は法の支配が保証する秩序を根本から揺るがし、最終的には報復の連鎖を生み、社会の安定を破壊する危険性を孕んでいます。法学的な観点から見れば、私刑は自己救済を原則的に禁止する法治国家の根幹を否定する行為であり、たとえ動機が正義感に基づいていたとしても、その手段は社会全体にとって容認しがたいものです。この葛藤こそが、冒頭の結論で触れた「倫理的ジレンマ」の核心であり、本作の最も大きなテーマの一つと言えるでしょう。

3. 八神探偵の「法の外の正義」:真実の追求と倫理的判断

法の不完全性と私刑の誘惑という極限状況の中で、冒頭の結論で述べた「個人の倫理的探求と、真実を追求する不断の努力」を体現するのが、主人公・八神隆之です。彼は、法の専門家でありながら、その限界を知るがゆえに、私刑という安易な道を選ばず、自らの「正義」の形を模索し続けます。

八神の立ち位置について、引用元では以下のように述べられています。

ター坊(八神)も法が不完全なことを分かってて、そこを逃れた悪人を制裁する桑名…
引用元: 魂の文学的良心

八神は、法が不完全であるという現実を直視しつつも、私刑という手段を断固として否定します。彼のこの態度は、法が人間社会の秩序を維持し、人々の基本的な権利を保護するための、不完全ながらも不可欠なシステムであるという深い理解に基づいています。私刑は、個人の感情や主観的な判断によって行われるため、客観性や公平性を欠き、誤った裁きや過剰な報復を招くリスクが極めて高いからです。また、私刑が横行すれば、誰もが自らの「正義」を盾に他者を罰するようになり、社会は無秩序な暴力の世界へと堕落しかねません。八神は、弁護士時代に冤罪を生み出してしまった経験から、法の持つ力と同時にその危うさも痛感しており、だからこそ、手続き的正義の重要性を重んじ、社会秩序の維持を放棄する私刑の道を選ばないのです。

では、八神は「法の外の悪」にどう向き合うのでしょうか? 彼の選んだ道は、弁護士として法廷で戦うことでも、私刑執行人として直接手を下すことでもありません。「探偵」として徹底的に真実を追い求めることこそが、彼の「正義」の核心です。隠された事実を暴き、証拠を集め、それを白日の下に晒すこと。これによって、たとえ法的な裁きが下されなかったとしても、社会的な非難や倫理的な責任を追及し、悪の存在を公に知らしめることで、間接的にではあるが、被害者の尊厳回復と、将来的な同様の悲劇の抑止に貢献しようとします。これは、法廷という「公式の場」の外で、ジャーナリズムにも通じる「情報公開による正義」を追求する姿勢とも言えるでしょう。

このゲームは、私たちに具体的な問いを投げかけます。

  • 法の外に存在する悪に対して、どう向き合うべきか?
    • これは、現代社会におけるモラルハラスメント、ネットリンチ、組織的な隠蔽など、法的な立証が困難な悪行に対する共通の課題です。八神の物語は、法的な解決が難しい場合でも、倫理的な責任追及や社会的な監視、真実の追求を通じて、悪の存在を許さないという個人の強い意志の重要性を示唆します。
  • 個人の正義は、どこまで許されるのか?
    • 個人の正義は、しばしば感情や特定の状況に強く影響されます。しかし、法治国家においては、個人の正義感が社会全体に適用される普遍的なルールと衝突する場合、秩序維持のためにも一定の制約を受けるべきだと考えられます。この問いは、個人の倫理観と公共の利益との間の緊張関係を浮き彫りにします。
  • 本当に完璧な「裁き」は存在するのか?
    • 法的な裁きは、手続き的正義と客観的な証拠に基づくものであり、道徳的・感情的な意味での「完璧な裁き」とは異なる場合があります。真に完璧な裁きは、被害者の心の回復、加害者の真の更生、そして社会全体の安定と公正の実現という多角的な側面から評価されるべきものであり、単一の手段で達成されるものではないのかもしれません。

八神探偵の葛藤と行動は、これらの問いに対する一つの模範的な答えを提示してくれます。それは、たとえ法が不完全であっても、人間が真実を追求し、倫理的な判断を下し続けることの重要性を示唆しているのです。彼の「正義」は、決して感情に流されることなく、しかし人間の尊厳と社会の公正を諦めない、困難な道のりを選び取ることにあると言えるでしょう。


結論:不完全な法と向き合い、私たち自身の「正義」を考える

『LOST JUDGMENT:裁かれざる記憶』は、単なるアクションゲームの枠を超え、現代社会が抱える倫理的な問題を深く問いかける、極めて示唆に富んだ作品です。本記事冒頭で提示した結論、すなわち「法は本質的に不完全な人間が作った制度であり、その限界がもたらす倫理的ジレンマ(裁かれざる悪に対する個人の正義と私刑の誘惑)に対し、個人の倫理的探求と、真実を追求する不断の努力が不可欠である」というメッセージは、ゲームの物語全体を貫く核心であることが、これまでの深掘りを通じて明らかになりました。

「やっぱり法ってのは不完全だな」という率直な感想は、このゲームが多くの人の心に深く響き、法と正義に対する普遍的な問いを投げかけた証拠でしょう。法は完璧ではありません。それは、人間が社会を円滑に運営するために、時に妥協や限界を抱えながら作り上げてきたシステムである以上、常に進化し続ける必要があります。この不完全さを受け入れた上で、いかにしてより良い社会を築き、一人ひとりが納得できる「正義」を見つけていくか──これこそが、私たちがこのゲームから学ぶべき最大の教訓です。

八神探偵の物語は、法の限界に直面した時、私たちは安易な私刑に走るのではなく、むしろ真実を徹底的に追求し、倫理的な判断を下し続けることの重要性を示唆しています。この「真実の追求」は、個人の行動に留まらず、報道機関の役割、市民社会の監視機能、そして一人ひとりの倫理的成熟へと繋がる、広範な社会的な努力を必要とします。

ゲームをプレイしたことがない方も、もし機会があれば、ぜひこの「裁かれざる記憶」の物語に触れてみてください。それは、法と正義に関するあなたの固定観念を揺さぶり、私たち自身の心の中にある「正義」とは何か、そして不完全な世界でどのように公正さを追求していくべきかについて、深く考えるきっかけを与えてくれるはずです。この作品は、法という制度の未来、そして人間社会のあり方について、私たち自身に問い直しを迫る、現代社会への鋭い眼差しと深い洞察に満ちた傑作と言えるでしょう。

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