古都京都に中国人観光客の数が「肌感で7割減」という声は、単なる一時的な市場変動を超え、日本の観光、特に京都が直面する構造的な課題と、オーバーツーリズムからの脱却という新たな局面を明確に示唆しています。この変化は、観光がもたらす経済的恩恵と引き換えに、地域住民の生活環境や文化財への負荷が増大していた状況に対し、観光のあり方を「量」から「質」へと転換し、持続可能性を追求する戦略的再編の喫緊の必要性を浮き彫りにしています。住民から発せられた「浄化される」という言葉の背景には、観光経済と地域社会の調和を再構築するという、古都にとっての重要な転換期が訪れていることを示唆しています。
1. 「肌感で7割減」が表す観光の新たな潮目：住民感情と量的変動の乖離
京都に暮らす人々から聞かれる「中国人観光客が消えて浄化される」「中国人だけ私の肌感で7割減しています」というX（旧Twitter）上での率直な声は、定性的であるものの、地元住民が抱える観光への複雑な感情を如実に物語っています。
京都 中国人観光客が消えて浄化される 京都民「中国人だけ私の肌感で7割減しています」
引用元: MATSUMOTO Yutaka (@yutakama) / Posts / X
この「浄化される」という表現の背後には、コロナ禍以前の「オーバーツーリズム」が引き起こした居住環境の悪化、具体的には混雑、ゴミ問題、騒音、マナー違反などによる住民の生活の質の低下に対する疲弊が読み取れます。観光学においては、このような住民の不満や反発を「ツーリズムフォビア（観光嫌悪）」と捉える研究も進んでいます。地域住民が許容できる観光客の量や行動様式の限界、すなわち「ソーシャルキャパシティ」の超過は、観光の持続可能性を脅かす深刻な問題へと発展する可能性があります。
この「肌感」は、コロナ禍で観光客が激減した時期の記憶と密接に結びついています。
2020年7月の訪日外国人旅行者数は、対前年同月比マイナス99.9％の3800人となり、4ヵ月続けて99.9％の下げ幅となった。
引用元: Withコロナ・afterコロナの日本の観光政策
パンデミックによる観光の「停止」は、一時的にせよ、京都に本来の静けさをもたらしました。この経験が、回復期における特定市場の偏重とその再燃する住民負担に対する敏感さを生み、現在の「7割減」という変化を「快適さの回復」として捉える心理的基盤となっていると考えられます。
さらに、この住民の「肌感」が、実際のデータと一致する可能性も示唆されています。
中国人観光客のキャンセル率、７割を超えました。
引用元: MATSUMOTO Yutaka (@yutakama) / Posts / X
このキャンセル率の高さは、旅行の意思決定に影響を与える外部要因、特に政策的・地政学的な要因や情報動向が非常に強く作用していることを示唆しており、旅行代理店や宿泊施設における具体的な予約データに裏付けられるものであれば、定性的な「肌感」が客観的な市場変動を正確に捉えていることの傍証となり得ます。これは市場の感応性が高く、観光流動が外的要因によって容易に変動する脆弱性をも同時に示しています。
2. 中国人観光客減少の多層的要因：地政学、経済、そして政策的影響
では、なぜこれほどまでに中国人観光客が減少しているのでしょうか。その背景には、国際情勢、経済状況、そして政策的な動きが複雑に絡み合っています。
中国、日本への渡航自粛を要請 / 2025年冬の国際定期便、過去最高の便数に ほか：インバウンド情報まとめ【2025年11月前編】
引用元: 中国、日本への渡航自粛を要請 / 2025年冬の国際定期便、過去最高の便数に ほか：インバウンド情報まとめ【2025年11月前編】 | 訪日ラボ
2025年11月時点の情報として、中国政府が日本への渡航自粛を要請していることが挙げられます。これは、単なる経済的判断を超えた、外交・地政学的な要因が深く関与している可能性が高いです。国際政治経済学の観点からは、国家間の関係悪化や特定の政治的イシュー（例: 環境問題、歴史認識問題）が、観光という人的交流に直接的なブレーキをかける「観光の政治化」と解釈できます。
過去の事例では、2003年のSARS流行時に、感染地域からの訪日外客数が5月に7割減少したことがありました。当時も、健康不安という直接的な要因に加え、政府による渡航制限や国民心理が大きく影響しています。今回も、政策的な動きが直接的な減少要因となっている可能性が高く、中国国内の経済成長の鈍化、若年層の消費マインドの変化、あるいは国内旅行重視へのシフトなども複合的に影響していると考えられます。興味深いのは、同じ情報で「2025年冬の国際定期便、過去最高の便数に」とある点です。これは、航空路線の供給能力は回復しつつも、中国からの需要が政策的に抑制されている、という市場の非対称性を示唆しています。
3. 「静けさ」の裏に潜む構造的課題：日本人観光客の「京都離れ」とインバウンド戦略の歪み
中国人観光客の減少という現象の裏側には、さらに深刻な構造的課題が隠されています。それは、日本人観光客の「国内旅行離れ」という広範なトレンドです。
日本人の国内旅行が減っている。2025年1〜7月では全体の7割超の35都道府県で前年同期よりも宿泊者が減った。インバウンド（訪日外国人）で観光地が混雑し、宿泊料も高騰しているため。海外旅行を選ぶ人も増えている。
引用元: 京都だけじゃない日本人観光客離れ 東京など35都道府県で宿泊者減少
日本経済新聞のこの報道は、京都に限らず全国的な現象であることを示しており、インバウンド重視の観光戦略がもたらした「オーバーツーリズムの外部不経済」が、内国人市場にも影響を及ぼしていることを浮き彫りにしています。観光地の混雑と宿泊料の高騰は、日本人観光客にとって「コストパフォーマンスの低下」を意味し、結果的に国内旅行よりも海外旅行を選択するインセンティブを高めています。これは、観光産業の市場セグメンテーション戦略において、内国人市場への配慮が不足していた可能性を示唆しています。
この状況に対する住民の声は厳しいものです。
中国人あてにして、 日本人が宿泊できない金額まで 釣り上げてきたんだから、 自業自得、因果応報です😏 これにより、 ホテルの宿泊料が…
引用元: MATSUMOTO Yutaka (@yutakama) / Posts / X
このコメントは、過去の観光政策における価格設定戦略、特にダイナミックプライシングが内国人市場に与えた影響への痛烈な批判を含んでいます。観光経済学では、需要と供給のバランスに基づいた価格設定は合理的とされますが、それが地域住民や内国人観光客のアクセスを阻害するほどに高騰すれば、観光の倫理的側面や社会的公平性が問われることになります。供給者（宿泊施設）の短期的な利益追求が、長期的な市場基盤（内国人観光客のロイヤルティ）を損なうリスクを露呈したと言えるでしょう。
このような過度なインバウンド誘致は、コロナ禍以前からリスクが指摘されていました。
京都では稼働率7割切りも…インバウンド急増とホテル建設ラッシュの裏にあるリスクとは／2020年の宿泊施設の都道府県別・稼働率予測
引用元: 京都では稼働率7割切りも…インバウンド急増とホテル建設ラッシュ | 訪日ラボ
ホテル建設ラッシュとそれに伴う供給過剰は、市場変動時の稼働率低下リスクを常に孕んでいました。特定の国籍市場への依存度が高まる中で、その市場が突然変動した場合、観光産業全体のサプライチェーン、特に宿泊施設や関連サービス業は深刻な打撃を受ける可能性があります。これは観光開発におけるリスクマネジメントの重要性を改めて浮き彫りにしています。
なお、京都市観光協会の2024年12月のデータでは、外国人延べ宿泊数は前年比40.8%増と全体としては回復傾向にあります。
外国人延べ宿泊数。519,229 泊。40.8%
引用元: 京都市観光協会データ月報（2024年12月および年次速報） | 公益社団法人 京都市観光協会（DMO KYOTO）
このデータは、「中国人だけ7割減」という声が、外国人宿泊者数全体の増加とは異なる、特定の国・地域からの客層の変化を反映していることを示唆しています。つまり、中国人観光客の減少分を、欧米豪や東南アジアなど他の国・地域からの観光客が補完している可能性が高いのです。しかし、住民の体感としては、これまで最も頻繁に目にしていた、あるいは特定の行動様式を持っていた層が減少したという変化が、より印象的に「浄化」として認識されているのかもしれません。これは、観光客数の量的回復と住民の観光受容性の質的側面との乖離を示すものでもあります。
4. 京都観光の未来戦略：持続可能性とレジリエンスの追求
中国人観光客の減少は、一見すると「浄化」というポジティブな側面を持つ一方で、観光都市・京都にとっては経済的な課題も突きつけます。
もし、特定の国籍の観光客減少が長期化すれば、宿泊施設の稼働率や地域の観光収入に影響が出ることは避けられないでしょう。かつて、2020年3月には、新型コロナウイルスの影響で旅行会社の旅行商品取扱額が前年比7割減という大打撃を受けました。
3月は7割減 「旅行商品取扱額」コロナショックで大打撃 、インバウンド向けも大幅減【観光庁：旅行業者取扱額2020年3月・2019年度総計】
引用元: 3月は7割減 「旅行商品取扱額」コロナショックで大打撃 | 訪日ラボ
このような経済的リスクを回避しつつ、「浄化された」という住民の肌感を尊重するには、京都の観光業は新たな方向性を模索する必要があるでしょう。これは、観光の経済的レジリエンス（回復力）を高めると同時に、地域社会のウェルビーイングを向上させるための戦略的転換点となります。
具体的には、以下の点が京都観光の未来戦略として不可欠です。
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特定の国籍に依存しない、多様な客層の誘致と市場ポートフォリオの最適化:
中国市場への過度な依存から脱却し、欧米豪からの富裕層や、東南アジアからの観光客など、より幅広い地域のニーズに応える戦略が求められます。これは、地域経済の安定化だけでなく、文化交流の多様化にも寄与します。DMO（Destination Management Organization）は、データ分析に基づき、ターゲット市場を細分化し、それぞれの市場特性に合わせたプロモーション戦略を展開する必要があります。 -
「量」から「質」への転換と高付加価値観光の推進:
単に観光客数を増やすだけでなく、滞在期間の延長や、高付加価値な文化体験、ウェルネスツーリズム、MICE（Meeting, Incentive, Convention, Exhibition）など、より質の高い体験を提供することで、観光消費額の向上を目指すアプローチが重要です。これにより、少数の観光客でも経済効果を最大化し、混雑を抑制しながら、持続可能な収益モデルを確立することが可能になります。例えば、伝統工芸体験、禅寺での瞑想、京料理の深度体験など、京都ならではのユニークなプログラム開発が求められます。 -
日本人観光客の再誘致と地域共存型観光の推進:
観光地の混雑や宿泊料の高騰が原因で「京都離れ」をしていた日本人観光客が、再び足を運びやすい環境を整備することも大切です。例えば、地元住民と観光客が共存できるような、時間帯やエリアを分けた「分散型観光」の推進、さらには地域住民向けの割引や優先利用枠の設定なども有効な施策となり得ます。京都市内中心部だけでなく、周辺地域への観光客誘導、あるいは季節ごとのテーマ設定により、需要を平準化する取り組みも重要です。 -
観光ガバナンスの強化とESG（環境・社会・ガバナンス）視点の導入:
地域住民、観光事業者、行政、そして観光客自身が、観光の持続可能性について共通認識を持ち、協働する体制（ガバナンス）を強化する必要があります。環境負荷の低減、文化財保護、住民生活への配慮といったESG視点を観光政策の基盤に据え、長期的な視点での観光開発を進めることが不可欠です。例えば、サステナブルツーリズムの認証制度導入や、環境教育プログラムの充実などが考えられます。
結論：古都の魅力を守り、未来へ繋ぐ：共創する持続可能な観光
京都に中国人観光客が「肌感で7割減」という声は、単なる一時的な市場の変動として片付けられない、古都の観光が直面する大きな構造的転換点を物語っています。この変化は、オーバーツーリズムの負の側面を経験した地域住民からの切実な声として、「静かで落ち着いた京都」を取り戻したいという願いが込められています。一方で、観光は京都にとって極めて重要な経済基盤であり、外国人観光客の減少は経済的な影響を伴います。
この変化を前向きな機会と捉え、京都が目指すべきは、古都の唯一無二の文化的、歴史的魅力を守りつつ、地域住民と観光客が共に豊かさを享受できる「持続可能な観光」の実現に他なりません。これは、単なる集客競争ではなく、地域社会、文化、そして環境との調和を重視し、地域全体の質を高める観光へのパラダイムシフトを意味します。
これからの京都観光は、「量」の追求から「質」の向上、そして短期的な経済効果から長期的な「持続可能性」への戦略的転換が求められます。私たち一人ひとりも、観光のあり方について深く考察し、地域住民、事業者、行政、そして観光客という多角的なステークホルダーが協働し、より良い未来を共創するための行動を起こす時が来ていると言えるでしょう。京都の静寂は、観光の真の価値と意義を再考する貴重な機会を与えてくれているのです。
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