警察官の不倫と「降格」処分―なぜ上司の責任は重く、処分は異例の厳しさとなるのか?組織論と法制度から読み解く
【本稿の結論】
10代女性巡査との不倫関係を理由に30代の既婚者警部補が降格処分となった一件は、単なる職場のゴシップや個人の倫理問題として片付けられるべき事案ではない。これは、警察という組織が準拠する厳格な階級原理、公務員に課せられる法的・倫理的責任の重さ、そして組織の存続をかけた防衛メカニズムが凝縮された象徴的な事例である。本稿では、この「降格」という処分の背景にある「監督責任」「分限処分」、そして不祥事を生む組織構造を法制度的・組織論的観点から多角的に分析し、警察組織が抱える構造的課題を明らかにする。
昨今、警察組織内での不適切な男女関係が相次いで報じられている。中でも、10代の女性巡査と30代の既婚者である上司の警部補との不倫関係が発覚し、警部補が巡査部長へと「降格」されるという一件は、社会に大きな衝撃を与えた。
恋愛は個人の自由という見方が一般的な現代社会において、なぜこの不倫はキャリアを根底から覆すほどの重大な処分につながったのか。その答えは、警察組織の特殊性と、公務員に課せられた法の厳格さにある。
1. 処分の非対称性:階級社会における「監督責任」の重層的意味
今回の事案で多くの人が抱く素朴な疑問は、「なぜ上司である警部補の処分が一方的に重いのか」という点だろう。この処分の非対称性を理解する鍵は、警察組織における「監督責任」という概念にある。
警察組織は、自衛隊と並び、典型的な階級社会である。そこでは、部下の行動は上司の指導・監督能力の反映と見なされ、その責任は極めて重く問われる。特に、上司と部下という明確な力関係が存在する中での男女関係は、たとえ当事者間の合意があったとしても、地方公務員法第33条が禁じる「信用失墜行為」に該当する可能性が極めて高くなる。なぜなら、そこには常に「上司という優越的な立場を利用したのではないか」という疑義が伴うからだ。
この「上司への厳罰化」という傾向は、過去の事例からも明確に見て取れる。
不倫関係にあった愛媛県警の男女警官が処分された際、上司だった男性巡査部長(30歳代)は停職3か月、部下の女性巡査(20歳代)は減給の懲戒処分となり、上司だった男性をより重い処分とした。
引用元: 読売新聞オンライン「不倫関係の男女警官、勤務中の交番で性行為…女性が上司に相談し …」(筆者注:別事例においても)男性警部が減給処分だったのに対し、部下の女性巡査は「本部長訓戒」という、懲戒処分よりも一段軽い処分にとどまっています。
参照元: 神戸新聞NEXT (2019年9月28日付記事より再構成)
これらの事例は、処分量定において階級と立場が決定的な要因となることを示している。組織論的に見れば、上司は部下に対して公式の権威(Authority)を持つだけでなく、組織規範の体現者としての役割を期待される。その上司が規範を逸脱し、特に部下との私的な関係においてその立場を利用したと見なされれば、組織秩序そのものを揺るがす行為として、より厳しく断罪されるのは必然と言える。
2. 「降格」という異例措置:懲戒処分と分限処分の決定的違い
次に、「降格」という処分の意味を法制度的に深掘りする。一般に「降格」と聞くと厳しい罰のように感じられるが、その法的な位置づけを理解することが本件の核心に迫る上で不可欠だ。
公務員の処分には、大きく分けて「懲戒処分」と「分限処分」の二つが存在する。
- 懲戒処分: 過去の非違行為(義務違反)に対する制裁(罰)。免職、停職、減給、戒告の4種類があり、組織の規律と秩序を維持することを目的とする。
- 分限処分: 職員の勤務実績や適格性に問題がある場合に、その身分保障の例外として行われる措置。降任(降格)、休職、免職があり、公務の能率を維持することを目的とする。
今回の「降格」は、後者の分限処分に該当する。これは単なる罰ではなく、「警部補という階級に求められる職務遂行能力や適格性が、当該職員には欠けている」という組織による極めて重大な判断を意味する。不倫という私生活上の行為が、なぜ「適格性の欠如」とまで判断されるのか。それは、その行為が警察官としての信頼を根底から破壊し、「全体の奉仕者」(日本国憲法第15条)としての資質を欠くと見なされたからに他ならない。
この分限処分としての「降格」がいかに異例であるかは、以下の記録が物語っている。
警視庁が勤務規律違反(勤務中に不倫相手と密会)を理由に警部を警部補へ降任させる分限処分を行ったのは、なんと1958年以来だったという記録があります。
引用元: 日本経済新聞「警視庁警部を降格処分 勤務中に不倫相手と密会」
半世紀以上も適用例がなかったほどの稀な処分が下されたという事実は、今回の事案が単なる不倫ではなく、組織が看過できないレベルの悪質性や、警察官としての適格性を根本から問われる深刻な問題を内包していたことを示唆している。これは、組織からの「その階級にふさわしくない」という烙印であり、将来のキャリアパスを事実上閉ざすに等しい、極めて重い措置なのである。
3. 不祥事のメカニズム:警察組織特有の勤務環境と構造的課題
では、なぜこうした不祥事が警察組織で後を絶たないのか。その背景には、警察官という職業が置かれた特殊な環境がある。ある報道では、その要因として以下の2点が指摘されている。
① 男女バディ体制
パトロールや夜勤などを男女のペアでこなす「バディ体制」が増えたことで、閉鎖された空間で長時間、二人きりになる機会が多くなった。危険と隣り合わせの状況が、心理学でいう「吊り橋効果」を生み、恋愛関係に発展しやすい。② 懐事情
若い警察官は、外で頻繁にデートする経済的余裕がない場合も。そのため、職場である交番や警察署が逢瀬の場所になってしまうケースがある。
これらの指摘は、不祥事の発生メカニズムを理解する上で重要な示唆を与える。特に「男女バディ体制」は、女性警察官の増加に伴うダイバーシティ推進の観点からは不可欠な施策であるが、同時に新たなリスク管理の課題を生んでいる。社会学者のアーヴィング・ゴッフマンが提唱した「トータル・インスティテューション(全制的施設)」の概念を借りるなら、警察組織は外部社会から隔絶され、独自の規範や文化が形成されやすい環境にある。危険な任務を共有する中で生まれる強い連帯感や心理的吊り橋効果が、公私混同へとつながる危険性を常に内包しているのだ。
さらに深刻なのは、交番や警察署、公用車といった「公的空間・リソースの私物化」である。過去には「当直中に署内で性行為」(前掲 神戸新聞NEXT)や「公用車でラブホテルへ」(参照元: 京都新聞)といった、市民の信頼を根底から裏切る事件も発生している。これは単なる倫理観の欠如ではなく、公的存在としての自己認識の著しい欠落であり、組織として最も厳しく対処すべき規律違反である。
結論:個人の倫理を超えた、組織としての構造的課題
今回の警部補降格事案は、一人の警察官の過ちとしてではなく、警察という組織が直面する構造的な課題の表出として捉えるべきである。
- 厳格な階級原理は、上司に部下への絶対的な監督責任を課し、処分の非対称性を生む。
- 分限処分という制度は、単なる罰を超え、職員の「適格性」そのものを問い、キャリアに再起不能な打撃を与える。
- 閉鎖的で高ストレスな勤務環境は、公私混同や規律違反を生み出す土壌となり得る。
市民の生命と財産を守るという崇高な任務を担う警察官には、極めて高い倫理観が求められる。しかし、その倫理観を担保するのは個人の資質だけに依存するのではなく、組織全体の責務である。厳罰化による「見せしめ」の効果は一時的なものに過ぎない。
真に求められるのは、ダイバーシティが進む現代の組織に即した新たな倫理教育のあり方、若手職員が孤立しないためのメンタルヘルスサポート体制の充実、そして閉鎖的な組織風土を改革し、風通しの良い職場環境を構築していくという、より本質的な取り組みであろう。この一件は、私たち市民社会にとっても、治安の最後の砦である警察組織が健全に機能し続けるために何が必要かを、改めて問いかけている。
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