日本人のパスポート保有率が約6人に1人、わずか17%という衝撃的な数字は、単なる海外渡航離れを超えた、日本の国際社会における多様性理解、経済的機会、さらには国際競争力に深刻な影響を及ぼしうる複合的な課題を示唆しています。活況を呈する訪日外国人観光(インバウンド)と対照的に、私たち日本人の海外渡航(アウトバウンド)は低迷の一途をたどり、この「アンバランス」は、私たちの社会構造と未来に、見過ごせない歪みをもたらしています。
本稿では、外務省の最新データと関連情報を基に、日本人のパスポート保有率の現状を深く掘り下げ、その背景に潜む経済的、社会的、心理的、そしてデジタル的な「見えない壁」を多角的に分析します。さらに、この「内向き志向」が日本社会にもたらす構造的な弊害を考察し、国際社会との共生に向けた具体的な展望と行動の必要性を提示します。
1. 「世界最強」と「最低水準」のパラドックス:データが語る日本の現状
先進国で際立つ日本の低保有率の衝撃
「え、たった17%?そんなに少ないの!?」と多くの読者が感じたのではないでしょうか。外務省の発表によると、2024年末時点での有効なパスポート累計数は2164万冊で、日本の総人口1億2345万人(2024年時点の概算)から見ると、保有率は約17.5%にとどまっています。この数字は、提供された情報にもあるように、以下の引用でさらに詳細に裏付けられます。
2024年(1~12月)の旅券統計を発表した。…有効旅券数は2077万3843冊で、日本の総人口1億2345万人における割合は16.8%。
引用元: 日本人のパスポート保有率は17%、2019年比では15%減 …2024年に発行されたパスポートは382万冊だったと発表した。同年末時点で有効なパスポートの累計は2164万冊で、保有率は17.5%だっ
引用元: パスポート保有6人に1人どまり 24年発行382万冊と低迷 – 日本経済 …
この約17%という数字は、単なる統計値に留まらず、日本の国際化の現状を浮き彫りにします。例えば、韓国や米国では国民の4〜5割がパスポートを保有しており、これは日本の約2〜3倍に相当します。EU諸国ではさらに高く、例えばイギリスやドイツでは約7〜8割、カナダに至っては6割以上と報告されています。これらの国々と比較すると、日本のパスポート保有率は先進国の中でも極めて低い水準にあり、国際社会との接触機会の少なさを物語っています。
コロナ禍が加速させた海外離れの潮流
パスポート保有率の低迷は、パンデミックの影響を強く受けています。提供情報が指摘するように、コロナ禍前の2019年と比較すると、パスポート保有率は約15%も減少し、発行数も当時の451万冊から2024年には382万冊と、約70万冊も減っている状況です。
コロナ禍前の2019年との比較では15.2%減。
引用元: 日本人のパスポート保有率は17%、2019年比では15%減 …新型コロナウイルス流行前の19年が451万冊だったのと比べると70万冊ほど減っている。
引用元: パスポート保有6人に1人どまり 24年発行382万冊と低迷 – 日本経済 …
この減少は、単に一時的な渡航制限によるものではなく、長期的な海外への意識変化の兆候と捉えるべきです。パンデミックによって海外渡航が物理的に困難になっただけでなく、「海外は危険」「国内で十分楽しめる」といった心理的な障壁が形成され、これが海外渡航の優先順位を下げた可能性があります。特に若年層においては、SNSの普及により国内の魅力的な情報が手軽に入手できるようになったことも、海外への関心の相対的な低下に寄与していると考えられます。
「世界最強」パスポートの皮肉
さらに驚くべきは、日本のパスポートが「世界最強」と称され、ビザなしで渡航できる国や地域が世界で最も多いという事実です。
日本のパスポートは世界最強と言われ、先人たちが築いてきた外交努力により他の多くの国々に比べてVisa(査証)なしで入国できる国が多い。
引用元: 【パスポート所持率17%の衝撃】海外旅行者の増加がインバウンド …
「ヘンリー&パートナーズ・パスポートインデックス」など国際的なランキングでも常に上位を維持する日本のパスポートは、外交努力の結晶であり、個人の移動の自由を最大限に保障するものです。しかし、この「最強のパスポート」を持つ国民が極めて少ないという状況は、まさに皮肉としか言いようがありません。このパラドックスは、日本が国際社会との物理的な接続は確保しているものの、国民レベルでのその価値の認識や活用が不十分であることを浮き彫りにしています。
2. 海外渡航を阻む多層的な「壁」:経済、心理、そしてデジタルの課題
なぜ、これほどまでにパスポートを持つ人が少ないのでしょうか。その背景には、相互に関連し合う複数の「見えない壁」が存在します。
円安と物価高騰:海外旅行は「高嶺の花」に?
今、海外旅行をためらう最も大きな理由の一つが、歴史的な円安と渡航先の物価高騰です。
円安による渡航費用の高騰や若者の意識変化などが背景にある。
引用元: パスポート保有6人に1人どまり 24年発行382万冊と低迷 – 日本経済 …
この経済的要因は、個人の購買力に直接影響を与えます。過去30年間の日本の賃金停滞は、諸外国、特に欧米諸国の賃金上昇とは対照的です。例えば、1990年代初頭のバブル崩壊以降、日本の実質賃金は横ばいか微減傾向にある一方で、欧米では着実に上昇してきました。そこに急激な円安が加わることで、海外における日本の購買力は大幅に低下しました。1ドル100円の時代なら1万円で買えたものが、1ドル150円なら1万5千円かかり、さらに海外の物価上昇も加われば、費用は倍近くに跳ね上がることも珍しくありません。
この購買力平価(PPP)の視点で見ると、日本人の海外旅行費用は相対的に高騰しており、海外旅行が「贅沢品」「高嶺の花」という心理的ハードルを形成しているのです。
コロナ禍の長期的な影響:海外への意識の変化
新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、私たちの海外への意識を大きく変えました。ロックダウンや渡航制限によって、パスポートの取得や更新の動きが鈍ったのはもちろんのこと、「海外は危険」「国内で十分楽しめる」といった意識が広く浸透しました。
コロナ禍でパスポートを取得・更新する動きが鈍ったことなどが要因とみられる。
引用元: パスポート保有率17%、日本人の海外旅行離れ深刻 国際線維持へ …
公衆衛生危機がもたらした心理的影響は深く、リスク回避傾向の強化、リモートワークやオンラインコミュニケーションの普及による「バーチャルな世界で完結する」意識の醸成、そして国内のマイクロツーリズムの流行などが複合的に作用し、海外への物理的な移動の必要性を薄れさせたと考えられます。特に、旅行の計画性や柔軟性が求められる海外渡航において、健康リスクへの懸念は依然として大きな障壁となっています。
オンライン申請の普及途上:デジタル化の壁
パスポートの申請手続きは、2023年3月からオンラインでも可能になりました。これは手続きの利便性を高める画期的な改善でしたが、その利用率はまだ十分とは言えません。
オンライン申請利用は新規9%、切替え31%
引用元: 日本人のパスポート保有率は17%、2019年比では15%減 …
新規申請ではわずか9%、更新(切替え)でも31%にとどまっています。この低い利用率は、デジタルデバイド(情報格差)、国民のデジタルリテラシー、オンラインシステムの使いやすさ、そしてオンライン申請に関する広報不足など、多岐にわたる課題を示唆しています。行政サービスのデジタル化が進む中で、その恩恵が十分に国民に行き渡っていない現状は、パスポート申請に対する物理的・心理的ハードルを維持し、保有率の低迷に影響を与えていると考えられます。
追加的要因:日本社会の文化的・教育的背景
経済的・一時的要因に加え、日本社会に根付く文化的・教育的背景も海外離れに影響を与えています。
- 内向き志向と均質性への圧力: 「出る杭は打たれる」文化や、失敗を恐れる傾向が、未知の海外環境への挑戦をためらわせる要因となり得ます。また、多様性への慣れの不足が、異文化理解の障壁となることもあります。
- 教育制度と英語教育の課題: 長年の英語教育にもかかわらず、実践的なコミュニケーション能力が育まれにくい現状は、海外渡航への心理的ハードルを高めます。「英語が話せないから海外は不安」という意識は根強く、これが海外への一歩を踏み出せない大きな理由の一つとなっています。留学経験者の少なさも、グローバル人材の育成を阻害しています。
- 長時間労働と休暇取得の難しさ: 多くの日本人にとって、まとまった休暇を取得して海外旅行に行くことは依然として困難です。企業文化や労働慣行が、個人の海外渡航を物理的に制約している側面も無視できません。
これらの複合的な要因が絡み合い、日本人のパスポート保有率の低さという結果に繋がっているのです。
3. 「内向き志向」が招く構造的弊害:経済・社会・文化への波及
日本人のパスポート保有率の低さは、単に「海外旅行に行かない」という個人的な選択に留まらず、社会全体に構造的な影響を与え始めています。これは、冒頭で述べた日本の国際化への課題、多様性理解、経済的機会、国際競争力という主要な結論を裏付ける重要な側面です。
訪日外国人との「アンバランス」:多様性理解の深化の停滞
現在、日本には多くの訪日外国人が訪れ、経済効果を生み出しています。しかし、日本人が海外に出ないことで、彼らが持つ文化や価値観に直接触れる機会が失われ、「おもてなし」の裏側で、国際社会における多様性への理解が深まりにくいというアンバランスが生じます。
想像してみてください。外国人が日本の文化に触れて感動している一方で、私たちが彼らの国の文化をほとんど知らないとしたら、それは少し寂しいことではないでしょうか。異文化交流は、私たちの視野を広げ、共感力を育む大切な機会です。それが失われることは、未来の日本を担う世代にとって大きな損失になりかねません。このアンバランスは、日本のソフトパワーの行使にも影響を与えます。一方的な情報流入と、双方向の交流不足は、真の国際理解や国際協調の土壌を育む上で課題となります。
国際線維持への影響:地方の「玄関」が危ない
海外に出る日本人が少なくなれば、国際線の需要は低迷します。これは、航空会社が路線の採算性を維持する上で大きな課題となります。特に地方空港にとっては、訪日外国人によるインバウンド需要が頼りですが、アウトバウンドが伸び悩むと、国際線の便数が減らされたり、路線の維持自体が困難になったりする可能性があります。
パスポート保有率17%、日本人の海外旅行離れ深刻 国際線維持へ特典・助成で需要喚起
引用元: パスポート保有率17%、日本人の海外旅行離れ深刻 国際線維持へ …
これは、将来的に地方の国際交流の機会を奪い、観光業のみならず、地域経済やビジネス活動にも悪影響を及ぼす恐れがあります。地方と世界を結ぶ「玄関口」が閉ざされれば、地域の国際競争力はさらに低下し、持続可能な発展が阻害されるリスクがあります。
グローバル人材育成の遅れと国際競争力の低下
パスポート保有率の低さは、海外留学や海外での就労経験を持つ人材の不足にも直結します。多様な文化、異なるビジネス慣習、そして国際的な課題に直面する経験は、現代社会で求められるグローバル人材の育成に不可欠です。しかし、そうした経験の機会が限定されることで、日本は国際的な舞台で活躍できる人材の確保に苦慮する可能性があります。
これは、企業の海外展開の鈍化、国際ビジネスにおける交渉力の低下、ひいては国全体の国際競争力の低下へと繋がりかねません。若者が海外に目を向けず、国内市場に閉じる傾向が強まれば、新たなビジネスチャンスの創出やイノベーションの促進も滞る恐れがあります。
4. 未来へのロードマップ:障壁を乗り越え、国際社会と共生するために
こうした状況に対し、国や地方自治体、旅行業界も手をこまねいているわけではありません。海外旅行を再び盛り上げ、アウトバウンドを促進しようと、さまざまな取り組みが始まっています。
例えば、地方空港や旅行会社は、旅行者への特典や助成を打ち出し、パスポート取得の支援や渡航費用の負担軽減を図っています。
地方空港や旅行会社が旅行者への特典や助成を相次いで打ち出し、国も促進に力を入…
引用元: パスポート保有率17%、日本人の海外旅行離れ深刻 国際線維持へ …
これらの動きは、海外旅行が「高嶺の花」ではなく、もっと身近な選択肢になるための後押しとなるでしょう。しかし、単なる経済的インセンティブだけでなく、より根本的な課題へのアプローチが求められます。
個人、企業、政府、教育機関、それぞれの役割
国際社会との共生を深めるためには、多層的なアプローチが必要です。
- 個人: 自ら情報に触れ、異文化への好奇心を持つことが第一歩です。海外に関する書籍やニュースを読み、オンラインコミュニティに参加するなど、バーチャルな交流から始めることも有効です。そして、機会があればパスポートを取得し、実際に海外へ足を運ぶことで、五感を通して得られる体験は、視野を大きく広げ、共感力を育みます。
- 企業: 従業員の海外研修や留学を奨励し、国際的な経験を評価する人事制度を導入すべきです。多様なバックグラウンドを持つ人材を積極的に採用し、国際的な職場環境を整備することも重要です。
- 政府・地方自治体: パスポート取得の手続きをさらに簡素化・周知徹底するとともに、経済的な支援策(例:若者向けのパスポート取得費用補助、留学支援プログラムの拡充)を検討すべきです。国際線の維持・拡大に向けた航空会社への支援や、地方空港の活性化策も不可欠です。また、観光庁や外務省は、アウトバウンドの重要性を国民に訴えかける広報戦略を強化する必要があります。
- 教育機関: 早期からの実践的な英語教育の強化、異文化理解を深めるカリキュラムの導入、海外留学プログラムの拡充、そして国際交流イベントの積極的な実施が求められます。単に知識を教えるだけでなく、異文化に対するオープンな姿勢と共感力を育む教育が必要です。
これらの連携を通じて、パスポートが単なる旅行書類ではなく、「自己成長と日本の未来を拓くツール」としての認識を社会全体で高めることが重要です。
結論:パスポートは「外の世界への扉」であり、日本の未来への鍵
日本人のパスポート保有率が低いという現状は、単なる統計上の数字以上の意味を持っています。それは、私たちがどれだけ外の世界と触れ合っているか、どれだけ多様な価値観に開かれているか、という指標であり、冒頭で提示したように、日本の国際化における深い課題を浮き彫りにしています。
パスポートは、私たちを異文化の冒険へと誘う「外の世界への扉」です。言葉や文化の壁を乗り越え、新しい発見や出会いを体験することは、私たちの視野を広げ、共感力を育み、人生を豊かにしてくれます。さらに言えば、個人の国際的経験は、経済のグローバル化、地政学的変動、そして環境問題といった複雑な国際課題に直面する現代において、国家としてのレジリエンス(回復力)と対応能力を高める基盤となります。
もちろん、誰もがすぐに海外旅行に行けるわけではありません。しかし、まずは情報に触れることから始めてみませんか?世界のニュースに目を向けたり、異文化に関する書籍を読んだり、SNSで海外の暮らしを覗いてみたり。そして、もしチャンスがあれば、パスポートを取得し、その扉を開いてみてください。一歩踏み出すことで、きっと「へぇ!そうなんだ!」と思えるような、素晴らしい体験があなたを待っているはずです。私たち一人ひとりが外の世界に目を向ける意識を持つことが、日本の未来をより豊かに、そして多様なものにしていく力となるでしょう。この「内向き志向」という障壁を乗り越え、真に国際社会と共生する日本を築くために、今こそ行動が求められています。
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