序論:内なる認識と外部評価の乖離が示す現代社会の複雑性
現代社会において、各国が直面する課題は多岐にわたりますが、国民が自国の現状をどのように捉えているかは、その国の社会経済的な活力や政治的安定性を測る上で極めて重要な指標となります。先日、世界最大規模の世論調査会社イプソスが実施した大規模調査は、この国民感情に鋭く切り込みました。この調査は、日本を含む世界31カ国、2万3228人を対象に行われた「ポピュリズム」に関する広範な研究の一環として実施され、「自国は衰退している」と感じる人々の割合を国別にランキング化したものです。
本稿では、この調査結果が示す「国民の自国に対する悲観的な認識」と、驚くべきことに一部の国、特に日本が享受している「国際的な高い評価」との間の顕著なギャップに焦点を当て、その深層にある多角的な要因を専門的視点から掘り下げていきます。結論として、この「衰退実感」は必ずしも客観的な経済指標や国際的地位を直接反映するものではなく、むしろ長期的な社会経済的課題、政治への不信感、そしてメディアや情報環境が複合的に作用して形成される国民の集合的心理状態であり、それがポピュリズム台頭のリスクを高める可能性を秘めている、という複雑な現実を浮き彫りにしています。 このギャップを理解することは、各国が直面する内政課題を紐解き、より強靭な未来を築くための第一歩となるでしょう。
1. 意外な「衰退実感」上位国:フランスと日本の深層分析
イプソスの調査結果は、多くの人々の予想を裏切るものでした。「自国は衰退している」と感じる人の割合が最も高かったのは、華やかなイメージとは異なるフランスであり、続いてトルコ、そして私たち日本が上位にランクインしました。
1位のフランスは75%。2位トルコ71%、そして日本は3位で70%。51か国の平均は57%。世論調査会社イプソスの調査から。
1位のフランスは75%。2位トルコ71%、そして日本は3位で70%。51か国の平均は57%。世論調査会社イプソスの調査から。/「自国は衰退している」と感じる人が多い国ランキング! 1位は「フランス」。日本は何位? https://t.co/BjtF4GZE9Z
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この引用は、今回のランキングの中核をなすデータであり、特にフランスが日本を上回り1位になったという点は、国際政治経済学や社会学の観点から深く分析されるべき事象です。
フランスの「衰退実感」:歴史的背景と現代の課題
フランスが1位(75%)となった背景には、単なる経済指標だけでは捉えきれない複雑な要因が絡み合っています。伝統的に「自由、平等、友愛」を掲げるフランス社会は、近年、構造的な課題に直面しています。例えば、年金改革を巡る大規模なデモ運動は、社会保障制度への不信感と、政府の意思決定プロセスへの国民の不満を象徴する出来事でした。加えて、若年層の高い失業率、移民問題、テロの脅威、そして教育格差の拡大などが、社会の分断と閉塞感を深めています。
これらの問題は、国民が自身の生活水準や社会の将来に対する漠然とした不安を抱く原因となり、「衰退している」という集合的な感覚を醸成しています。フランスの「衰退実感」は、経済成長率の鈍化以上に、社会モデルの持続可能性や国家アイデンティティの揺らぎといった、より深い次元の不安を反映していると解釈できます。
日本の「衰退実感」:長期停滞と人口動態の重圧
そして、3位(70%)にランクインした日本の現状も、同様に多層的な分析を必要とします。
世界最大規模の世論調査会社イプソスは、日本を含む世界31カ国2万3228人を対象に実施した「ポピュリズム」に関する調査結果を公表しました。
引用元: 「自国は衰退している」と感じる人が多い国ランキング! 1位は …イプソスの調査が「ポピュリズム」と関連付けて行われたという点は極めて重要です。国民の「衰退実感」は、既存の政治体制や経済システムへの不満を募らせ、シンプルで過激な解決策を提示するポピュリズム的な動きへの支持を強める土壌となり得ます。
日本の場合、「失われた30年」と称される長期にわたる経済停滞、デフレからの脱却の困難さ、そして何よりも世界に類を見ない速度で進行する少子高齢化が、国民の将来不安を決定づけています。年金制度の持続可能性への疑問、医療費負担の増加、地方の過疎化、そして労働力人口の減少は、多くの国民にとって目の前の現実として重くのしかかっています。さらに、非正規雇用の拡大や賃金の上昇が見られない中で、実質賃金の低下は生活の苦しさを増幅させ、社会全体の活力を削いでいると言えるでしょう。
トルコの「衰退実感」:地政学的リスクと経済の不安定性
2位のトルコ(71%)もまた、その特殊な地政学的立場と国内の政治経済的混乱が「衰退実感」の背景にあります。高止まりするインフレ率、通貨リラの不安定さ、そして権威主義的な政治体制への国際的な懸念は、国民の生活と未来に対する大きな不安要素となっています。
これらの上位3カ国に共通するのは、単なる経済的指標だけでなく、社会構造、政治的安定性、そして国民の将来への期待といった、より根源的な要素が絡み合って「衰退実感」が形成されているということです。
2. 日本人の「衰退実感」の軌跡:データが示す深刻な兆候
日本の「衰退実感」が特に注目されるのは、その急激な上昇傾向にあります。
「自国は衰退している」と感じる日本人は70%に達し、31カ国の平均(57%)を大きく上回る結果に。2016年の調査開始時から30ポイント(約1.8倍)増加しました。
引用元: 「自国は衰退している」と感じる人が多い国ランキング! 1位は …そして、この傾向はイプソスの公式レポートでも裏付けられています。
「自国は衰退している」と感じている日本人は 68%、2016 年の 40%と比べて 1.7 倍に増加。
引用元: 希望する税金の使途 1 位は「貧困と社会不平等の緩和」
※数値に若干の差異がありますが、本稿ではより多くの情報源で示されている70%を主たる分析対象としつつ、イプソス公式PDFからの2016年40%という数字の重要性を強調します。この2016年からの急激な増加は、日本社会がこの数年で体験した複合的なショックと、それが国民心理に与えた影響を如実に示しています。
2016年以降の社会経済的変化と国民心理への影響
2016年以降、日本はアベノミクスによる金融緩和が限界を迎え、実質的な景気回復の実感が伴わない中で、消費税の再増税(2019年10%)を経験しました。さらに、2020年以降の新型コロナウイルス感染症パンデミックは、経済活動の停滞、サプライチェーンの混乱、そして人々の行動様式に大きな変化をもたらしました。その後のロシア・ウクライナ紛争の長期化は、エネルギー価格や食料品価格の高騰を引き起こし、世界的なインフレの波が日本にも押し寄せました。
長年のデフレ経済に慣れ親しんできた日本人にとって、急激な物価上昇は実質的な購買力の低下を意味し、生活費の増加は家計を圧迫しました。一方で、企業収益は堅調でも賃金上昇は限定的であり、欧米諸国のような賃金と物価のスパイラル的な上昇は起こりませんでした。このような状況下での円安の進行は、輸入品価格をさらに押し上げ、国民の生活不安を一層募らせる要因となりました。
加えて、政治に対する不信感も無視できません。度重なる政治資金問題、政策決定の不透明性、そして国民の声が政策に反映されにくいという閉塞感は、政治的アパシー(無関心)を招き、同時に既存のシステムへの不満を内包させます。メディアの報道もまた、これらの課題を繰り返し提示することで、国民の不安感を増幅させる一因となっている可能性も否定できません。
このように、2016年以降の約8年間で、日本は国内外からの多重的な経済的・社会的なプレッシャーを受け、それが国民の集合的な「衰退実感」として顕在化したと分析できます。
3. 「衰退」を感じつつも…世界が羨む「日本のブランド力」の真実
興味深いことに、国民の間に「衰退」の実感が強く存在する一方で、国際社会から見た日本の評価は極めて高いという、顕著なギャップが存在します。
世界的国家ブランド力調査「アンホルト-イプソス 国家ブランド指数(NBI)」2023レポート
世界60カ国中日本が国家ブランドランキング1位に初選出
引用元: 世界60カ国中日本が国家ブランドランキング1位に初選出 ~アジア …このアンホルト-イプソス国家ブランド指数(NBI)は、ガバナンス、輸出、文化、国民、観光、投資・移民の6つのカテゴリーから国家の魅力を総合的に評価する、国際的に権威のある調査です。日本が初の1位に輝いたという事実は、海外から見た日本のイメージが、国内の自己認識とは大きく異なることを明確に示しています。
国際社会から見た日本の「強み」
世界は、日本の以下の側面に高い価値を見出しています。
- 文化(Culture): アニメ、漫画、ゲームといったサブカルチャーだけでなく、伝統的な食文化(和食のユネスコ無形文化遺産登録)、茶道、武道、祭りなどが世界中で愛されています。
- 革新性・技術(Innovation/Technology): 先進的なロボット工学、自動車技術、電子技術など、日本の技術力は依然として国際競争力の中核をなしています。
- ガバナンス(Governance): 政治の安定性、法治国家としての確立、社会の秩序、治安の良さ、国民の礼儀正しさなどが高く評価されています。
- 観光(Tourism): 豊かな自然、歴史的な建造物、そして独特の文化体験が、海外からの観光客を強く惹きつけています。
- 製品・サービス(Exports): 高品質で信頼性の高い「メイド・イン・ジャパン」製品は、依然として国際市場で高い評価を得ています。
これらの要素は、海外の目には日本の揺るぎない「ブランド力」として映っています。すなわち、日本は「衰退している」と感じながらも、その文化、技術、社会秩序は国際的に高く評価され、世界中で模範とされている側面があるのです。
4. なぜこのギャップが生まれるのか?「衰退実感」と「国際評価」の認知不協和
この極めて対照的な自己認識と外部評価のギャップは、社会心理学、経済学、そしてコミュニケーション論の観点から深掘りする価値があります。なぜ、これほどまでにポジティブな国際評価があるにもかかわらず、多くの日本人が「自国は衰退している」と感じてしまうのでしょうか?
4.1. 経済的・社会構造的要因の持続性
国民が感じる「衰退実感」は、主に国内の経済・社会構造が抱える根深い問題に起因します。
- 実質賃金の停滞: 統計上のGDP成長や企業収益の改善があっても、それが個人の可処分所得や生活水準の向上に直結しない限り、国民は景気回復を実感できません。日本の場合、長年にわたる賃金の伸び悩みは、特に若年層や非正規雇用者にとって深刻な問題であり、将来への不安を増大させています。
- 社会保障制度への不安: 少子高齢化による社会保障費の増大と、それに伴う現役世代の負担増は、持続可能性への懸念を生んでいます。年金、医療、介護といったセーフティネットへの不信感は、国民の長期的な安心感を損ねます。
- グローバル化の負の側面: グローバル経済の進展は、一部の産業や企業には恩恵をもたらす一方で、国内産業の空洞化や雇用形態の多様化(非正規化)といった副作用ももたらし、社会内での格差拡大に繋がっているとの認識も強いです。
4.2. 情報環境とメディアの影響
今日の情報化社会では、メディアやSNSが人々の認識形成に大きな影響を与えます。
- ネガティビティ・バイアス: 人間は一般的に、ポジティブな情報よりもネガティブな情報に注意を向けやすい傾向があります(ネガティビティ・バイアス)。メディアは視聴率やクリック数を獲得するため、社会の課題や問題点を強調する傾向があり、これが国民の悲観的な見方を助長する可能性があります。
- 社会比較と理想とのギャップ: SNSを通じて諸外国の先進的な事例や豊かな生活様式が容易に可視化されることで、自国の現状と比較し、「日本は遅れている」「衰退している」と感じやすくなる可能性もあります。
- 政治報道の偏り: 政治報道が、政策の中身よりも政治家のスキャンダルや党派間の対立に焦点を当てがちな場合、国民の政治不信を深め、既存の体制全体への不満を募らせる結果となり得ます。
4.3. 心理的・文化的要因
日本特有の文化的・心理的特性も、このギャップの一因かもしれません。
- 自己謙遜と内省: 日本文化には、自己を過小評価したり、謙遜したりする傾向が根強くあります。また、集団主義的な傾向が強く、社会全体の調和や課題解決への意識が高いゆえに、個人の不満が社会全体の「衰退」として捉えられやすい側面もあるかもしれません。
- 過去の成功体験への固執: 高度経済成長期の輝かしい成功体験が、その後の「失われた30年」との落差を際立たせ、「日本はかつての栄光を失った」という認識を強化している可能性も指摘できます。
4.4. ポピュリズム台頭への示唆
国民の間に広がる「衰退実感」と既存体制への不満は、ポピュリズムの温床となり得ます。ポピュリズムは、複雑な問題を単純化し、「エリート対民衆」といった構図で対立を煽り、既存の政治家や制度への不満を吸収しようとします。
もし国民が自身の苦境を「既存の政治家や社会システムが悪いためだ」と結論づければ、強力なリーダーシップや過激な改革を掲げるポピュリズム的な動きが支持を集める可能性が高まります。この調査結果は、日本社会においてポピュリズムが台頭しうる潜在的なリスクがあることを示唆している、と専門家は警鐘を鳴らしています。結論:悲観を超え、多角的視点で紡ぐ日本の未来
今回の「自国は衰退している」と感じる国ランキングは、単なる順位付け以上の深い意味を持っています。フランスが1位、日本が3位という結果は、私たちが自国に対して抱く内なる感情の複雑さと、国際社会が日本に抱く期待の大きさとの間に存在する、顕著なギャップを明確に示しました。
冒頭で述べたように、この「衰退実感」は、客観的な経済指標のみでは説明しきれない、国民の集合的心理状態であり、長期的な社会経済的課題、政治への不信感、そして情報環境が複合的に作用して形成されるものです。
この調査結果は、日本が本当に「衰退」していると断じるものではありません。むしろ、国民の間に存在する不安感を直視し、その根本原因を多角的に分析し、具体的な対策を講じることの重要性を浮き彫りにしています。同時に、世界から高く評価されている日本の強み、すなわち文化、技術、治安、そして国民性といった「国家ブランド力」を再認識し、国内における自信の回復に繋げていく視点も不可欠です。
私たちは、漠然とした不安に囚われるだけでなく、データという客観的な事実と、海外からのポジティブな視点という二つのレンズを通して、自国の現状を見つめ直す必要があります。経済の構造改革、少子高齢化への具体的な対策、政治の透明性向上と国民との対話促進、そしてメディアの役割の再考など、多岐にわたる課題に前向きに取り組むことが、国民の「衰退実感」を払拭し、真に持続可能で活力ある未来を切り開く鍵となるはずです。
この複雑なギャップを乗り越え、自己認識と国際評価の間に整合性をもたらすための対話と行動が、今、日本に求められています。本稿が、皆さんが自国について、そして世界についてより深く考える一助となれば幸いです。
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