「子どもたちの学力が危ない」――近年、この警鐘が教育界だけでなく、社会全体で響き渡っています。特に、スマートフォン(以下、スマホ)の普及と利用時間の増加が、その主要因の一つとして指摘されることが増えました。単なる憶測ではなく、最新のデータがその懸念を裏付けています。
本日(2025年8月1日)公表された文部科学省の「全国学力・学習状況調査(通称:全国学力テスト)」の結果は、この問題の深刻さを改めて浮き彫りにしました。本稿では、この最新の調査結果を基に、小中学生の学力低下とスマホ利用との複雑な関係性を深掘りし、その背後にある認知科学的、教育社会学的なメカニズム、そして多角的な要因について、プロの研究者としての視点から詳細に分析します。
結論から述べると、最新の全国学力テストの結果は、特に「思考力・表現力」を測る記述式問題において顕著な学力低下を示しており、この低下は子どもたちの「スマホ利用時間」および「スマホの所有そのもの」と統計的に強い相関があることが示唆されています。しかし、学力低下はスマホ利用のみに帰結する単純な問題ではなく、コロナ禍、デジタル教育環境の進展、そして授業形態の変化といった複数の要因が複雑に絡み合って生じている現象であると、我々は認識する必要があります。
この分析を通じて、私たちは子どもたちの未来のために、どのようにテクノロジーと向き合い、学びの質を向上させていくべきか、その具体的な手立てと深い洞察を提供します。
1. 全国学力テスト:日本教育の「健康診断」と進化する測定指標
まず、今回の議論の基盤となる「全国学力・学習状況調査」について、その意義と調査設計の専門的側面を解説します。
文部科学省は、平成19年度(2007年)から毎年この調査を実施しており、その目的は「全国的に子供たちの学力状況を把握する」ことにあります。
文部科学省では、全国的に子供たちの学力状況を把握する「全国学力・学習状況調査」を平成19年度から実施しています。
引用元: 全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等):文部科学省
この調査は、小学6年生と中学3年生の全児童生徒を対象とした「悉皆方式」で実施されます。
令和4年度全国学力・学習状況調査は、国語、算数・数学、理科の3教科で、小学校第6学年及び中学校第3学年の全児童生徒を対象とした悉皆方式により調査を実施しました。
引用元: 令和4年度全国学力・学習状況調査の報告書・集計結果について:文部科学省
「悉皆方式」とは、特定のサンプル抽出ではなく、対象学年の生徒全員を調査する手法であり、これにより日本全体の学力状況を網羅的かつ詳細に把握することが可能になります。これは、特定の地域や学校に偏ることなく、教育政策の効果を検証し、カリキュラムの改善に資する極めて重要なデータを提供します。対象学年が小学6年生と中学3年生であることも戦略的です。これらはそれぞれ義務教育課程の中間点と終了点に位置し、学習進度の節目において、基礎学力の定着度と、その後の学習への準備状況を評価するのに適しています。
教科に関する問題に加えて、学習習慣や生活習慣に関するアンケートも同時に実施される点が特筆されます。このアンケートデータは、学力スコアと生活様式との相関関係を分析するための貴重な情報源となり、まさに本稿の主題であるスマホ利用と学力の関係を解明する上で不可欠な要素です。
2. 最新の学力調査が示す学力構造の変化:記述式問題の重要性と危機
今回の最新調査で「小中学生の学力低下を示す調査結果が次々と出てきた」という報道は、私たちに具体的な懸念を抱かせます。
2025年7月、小中学生の学力低下を示す調査結果が次々と出てきました。まず14日に文部科学省は小学6年と中学3年を対象に実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、中学国語で記述式の平均正答[…中略…]
引用元: 小中学生の学力低下問題 原因はコロナ禍?デジタル教科書?塾が …
特に注目すべきは、中学国語の「記述式問題」における平均正答率の低下です。記述式問題は、単なる知識の有無を問う選択式問題とは異なり、与えられた情報を正確に理解し、それに基づいて論理的に思考し、自身の言葉で明確に表現する能力、すなわち「思考力」「判断力」「表現力」を総合的に測るものです。これは、国際的な学力評価であるPISA(OECD生徒の学習到達度調査)で重視される「読解力」や「問題解決能力」にも直結する、現代社会で最も求められる非認知能力の基盤となります。
記述式問題の正答率低下は、生徒たちが、複雑な文章を読み解き、自身の意見を構造化し、他者に伝わるように言語化する能力に課題を抱えている可能性を示唆します。これは、論理的思考の破綻、語彙力の不足、あるいは要約力や批判的思考力の未発達といった、より深い学習基盤の問題を示唆しているのかもしれません。このような能力の低下は、将来の学習や社会生活において、情報の本質を見抜き、他者と建設的な対話を行う上で重大な障壁となる可能性があります。この「思考し、表現する力」の危機こそが、冒頭で述べた結論の重要な裏付けとなります。
3. 「スマホの蔓延」と学力低下の深層メカニズム:相関を超えた因果への考察
全国学力テストと同時に実施されたアンケート調査は、スマホ利用と学力の間の衝撃的な相関関係を浮き彫りにしました。
小中学生の交流サイト(SNS)や動画の視聴時間が長くなっている。全国学力テストでは、長時間になるほど正答率が低下する傾向がみられた。
引用元: SNSの時間増えると正答率低下 小中学力テスト | nippon.com
この「長時間になるほど正答率が低下する傾向」は、直感的に理解しやすい相関ですが、さらに踏み込んだデータが、より複雑な問題を示唆しています。
文科省の担当者によると、スマホを持っていない生徒の方が正答率が高い傾向がみられたという。
引用元: SNSの時間増えると正答率低下 小中学力テスト | nippon.com
この「スマホを持っていない生徒の方が正答率が高い傾向」という発見は、単なる利用時間による影響を超えた、より本質的な問題を示唆します。これは、単に時間的な制約(学習時間の減少)だけでなく、認知機能、神経科学的なメカニズム、そして学習環境の質にまで影響が及んでいる可能性を示唆しています。
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認知機能への影響:注意散漫とワーキングメモリの負荷
スマホは、通知、新しいコンテンツ、無限のスクロールといった形で、常に即時的な刺激と報酬を提供します。このような環境に常時晒されることで、脳は「マルチタスク処理」に慣れ、一つの情報に深く集中し続ける能力が低下する可能性があります。認知科学的には、これは「注意の持続性」や「ワーキングメモリ(一時的な情報処理能力)」への負荷として説明されます。学習中に頻繁に注意が散漫になることで、情報の符号化(記憶への変換)が阻害され、深い理解や知識の定着が困難になります。まさに、脳の「RAM」が常にスマホアプリで占有され、新しい学習情報を処理する余地が少なくなっている状態です。 -
神経科学的影響:報酬系の変化と衝動性の増大
SNSや動画視聴は、脳の報酬系(ドーパミン系)を活性化させ、即時的な快感をもたらします。これにより、遅延報酬(学習による長期的な成果)よりも即時報酬を優先する傾向が強まり、学習へのモチベーション低下につながる可能性があります。また、睡眠サイクルの乱れ(ブルーライトの影響や夜間の利用)は、記憶の固定化や脳の休息を妨げ、翌日の学習パフォーマンスに直接的な悪影響を及ぼします。 -
学習環境と自己選択バイアス
「スマホを持っていない生徒の方が正答率が高い」という傾向には、自己選択バイアス、あるいは家庭環境の要因も考えられます。学習への意識が高い家庭や、集中力を重視する教育方針の家庭では、意図的に子どものスマホ利用を制限したり、所有させない選択をしている可能性があります。しかし、スマホの有無自体が、学習空間からの誘惑の排除や、学習に集中しやすい環境の提供に寄与していることも否定できません。
このような懸念は、以前から専門家によって警鐘が鳴らされていました。2016年に制作されたポスター「スマホの時間 わたしは何を失うか」は、まさにこの長期的な影響を予測していました。
脳機能。体 力。学 力。
出典:平成 26 年度 全国学力・学習状況調査結果のポイント(文部科学省/国立教育政策研究所).
引用元: 「スマホの時間 わたしは何を失うか」ポスター ※2016年12月制作
このポスターが示唆するように、スマホの過剰な利用は、単なる学力低下に留まらず、脳機能の発達阻害(特に前頭前野の実行機能や自己制御能力)、運動不足による体力低下といった、子どもの健全な成長全体に影響を及ぼす複合的な問題として捉える必要があります。
4. スマホだけではない:学力低下を多角的に捉える複合的要因
学力低下の原因をスマホのみに帰結させるのは、極めて短絡的な見方です。教育現場では、この数年間で前例のない変化が同時多発的に進行しており、これらの要因が複雑に絡み合い、学力に影響を与えていると考えるべきです。
小中学生の学力低下問題 原因はコロナ禍?デジタル教科書?塾が指摘する「小学校の探究や対話型授業」問題
引用元: 小中学生の学力低下問題 原因はコロナ禍?デジタル教科書?塾が …
上記引用が指摘するように、以下の要因も深く関与しています。
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コロナ禍の影響と学習機会の不均等
パンデミックによる突然の休校、オンライン授業への移行は、子どもたちの学習環境に甚大な影響を与えました。特に、オンライン学習へのアクセス環境、家庭でのサポート体制、そして生徒自身の自己調整学習能力には大きな格差が存在し、これが学習機会の不均等、ひいては学力格差の拡大につながった可能性があります。また、対面でのコミュニケーション機会の減少は、協同学習や社会情緒的スキルの発達にも影響を与え、学習意欲や集中力の低下を招いたケースも少なくありません。 -
デジタル教科書・GIGAスクール構想の光と影
GIGAスクール構想のもと、全国の小中学校で一人一台端末が普及し、デジタル教科書やオンライン教材の導入が急速に進みました。これは学習の個別最適化や情報活用能力の育成に大きな可能性を秘める一方で、課題も顕在化しています。- 適応の課題: 紙媒体での読解とデジタル画面での読解は、異なる認知プロセスを要します。デジタル読解では、情報の取捨選択や真偽の判断、複数の情報源からの統合といった高度なスキルが求められますが、これらのスキルが十分に育成されていない場合、情報過多の中で混乱し、深い理解に至らない可能性があります。
- 眼精疲労と集中力: 長時間のスクリーンタイムは、眼精疲労や集中力の低下を引き起こすことが指摘されており、学習効率に影響を及ぼす可能性があります。
- 教員の負担: 新しいデジタルツールや教授法への適応は、教員にとって大きな負担であり、十分な研修やサポート体制が整っていなければ、効果的な授業展開が困難になることも考えられます。
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「探究学習」と「対話型授業」の導入がもたらす課題
新学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」の推進が掲げられ、知識の習得だけでなく、探究活動や対話を通じて思考力・判断力・表現力を育むことが重視されています。これは思考力を育む上で極めて重要であり、国際的な教育の潮流に沿ったものです。
しかし、この移行期において、「塾が指摘する」ように、基礎的な知識やスキルが十分に定着する前に探究活動に重きを置くことで、学習の土台が揺らぐ可能性も指摘されています。例えば、基本的な読解力や計算能力が不十分なままでは、探究活動における情報収集や分析、論理的思考が困難になり、学びが表層的なものに留まってしまうリスクがあります。知識の系統的学習と、それを活用する探究学習のバランスをいかに取るかは、今後の教育改革における重要な課題です。
これらの複合的な要因は、互いに影響し合い、学力低下という複雑な現象を引き起こしています。スマホ利用の過剰は、これらの教育環境の変化の中で、学習効果をさらに減殺する方向に作用していると考えるのが妥当でしょう。
5. 未来への提言:デジタル時代における知性の再構築
今回の全国学力テストの結果は、私たちに「デジタル時代における知性のあり方」について深く再考する機会を与えています。スマホは現代社会において、情報収集、コミュニケーション、創造活動に不可欠なツールであり、その利便性を享受しつつ、その潜在的な負の側面を最小化することが求められます。
重要なのは、「スマホが悪者」という単純な二元論に陥るのではなく、「スマホとどのように共存し、学びと成長の機会を最大化するか」という問いに向き合うことです。
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家庭における「デジタルリテラシー教育」の実践
- 明確なルール作りと対話: 「使用時間」「使う場所」「見ていいコンテンツ」など、具体的なルールを子どもと一緒に話し合い、合意形成を図ることが重要です。単なる禁止ではなく、「なぜこのルールが必要なのか」を科学的根拠や社会的な文脈を踏まえて説明し、子ども自身が納得する形で内発的な動機付けを促します。
- メリハリのある利用習慣: 学習時間、食事中、就寝前など、特定の時間帯や場所ではスマホを置く習慣を徹底させます。これは脳が集中モードとリラックスモードを切り替える訓練となり、集中力向上に寄与します。
- スマホ以外の体験の積極的な提供: 外遊び、読書、ボードゲーム、自然体験、家族との会話など、スマホがなくても夢中になれる「リアルな体験」を増やすことで、子どもの興味関心を広げ、自然とスマホへの依存度を下げることができます。創造性や共感性を育む体験は、デジタル環境では得がたいものです。
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学校における「デジタル活用能力」と「メディアリテラシー」の育成
- デジタルデバイスの戦略的活用: 単にデジタル教科書を使用するだけでなく、デジタルツールを「思考を深めるための道具」として戦略的に活用する指導が求められます。例えば、情報検索能力、データの分析と可視化、プレゼンテーション作成など、デジタルを活用した探究学習の質を高める教育が重要です。
- メディアリテラシー教育の強化: インターネット上の情報の真偽を見極める力、多様な視点から情報を分析する力、そして自身の情報を適切に発信する能力など、批判的思考力を育むメディアリテラシー教育は不可欠です。
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社会全体での「知性」と「幸福」の再定義
学力テストのスコアは一つの指標に過ぎません。真に豊かな知性とは、知識の量だけでなく、変化の激しい社会で自ら課題を発見し、解決策を探り、他者と協働して新たな価値を創造する力です。そして、その過程で得られる「幸福」とは何かを、社会全体で再定義する必要があります。デジタルツールが提供する即時的な満足感に流されるのではなく、深く思考し、努力し、創造することから得られる充実感や達成感の価値を子どもたちに伝えることが重要です。
まとめ:子どもたちの未来のための知的な投資
今回の全国学力テストの結果と、そこから見えてきたスマホとの複雑な関係は、私たちに大きな問いを投げかけています。これは、単に「学力が下がった」という表面的な問題に留まらず、現代社会を生きる子どもたちの認知発達、学習様式、そして社会適応能力全体に関わる深い課題です。
子どもたちの「学ぶ力」は、未来を切り開くための最も大切な翼です。スマホは便利な道具ですが、その翼を広げるのを妨げたり、時に傷つけてしまうことがないよう、私たち大人、すなわち保護者、教育者、そして社会全体が、科学的知見に基づき、多角的な視点からアプローチし、継続的にサポートしていく必要があります。
本稿が、皆さんのご家庭や教育現場で「学力」と「スマホ」について深く話し合い、具体的な行動変容へと繋がるきっかけとなれば幸いです。未来を担う子どもたちの知性と健全な成長のために、今、知的な投資と戦略的な介入が求められているのです。
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