【速報】強制送還を生むマクリーン判決の呪縛。日本の入管行政の欠陥

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【速報】強制送還を生むマクリーン判決の呪縛。日本の入管行政の欠陥

家族を引き裂く「強制送還」:日本の入管行政に潜む構造的欠陥と人権的課題

2025年08月03日

序論:本稿が導き出す結論

本稿が提示する結論は明確である。日本の出入国管理行政、特に退去強制(いわゆる「強制送還」)の運用は、約半世紀前の司法判断に根差した広範な行政裁量を背景に、国際人権基準が保障する「家族結合の権利」や「子どもの最善の利益」、そして「適正な法手続きを受ける権利」を構造的に侵害するリスクを内包している。 この問題は、単なる外国人管理政策に留まらず、日本社会が普遍的人権とどう向き合い、法の支配をいかに実質化するのかという、国家の成熟度を問う試金石に他ならない。本記事では、この深刻な実態を3つの核心的な論点から専門的に解き明かし、その構造的要因と我々が向き合うべき課題を詳述する。


第1章:引き裂かれる家族—「人」ではなく「事案」として扱われる現実

退去強制処分がもたらす最も深刻な人権侵害は、家族の引き裂きである。これは単なる感情的な問題ではなく、国際法上保護されるべき基本的権利の侵害という側面を持つ。この問題の本質は、日本で生活基盤を築いた家族が、一人の在留資格の問題によって、その共同体を破壊されるという過酷な現実にある。

日本で暮らしていたインド国籍の男性が、難民不認定処分の取消を求めた裁判で発した言葉は、この現実を象徴している。

「家族がばらばらになっちゃう」
引用元: 「家族がばらばらになっちゃう」 強制送還を通告されたインド人 … – 東京新聞

この悲痛な叫びは、個人の法的地位の評価が、その人物が構成する家族全体の運命を決定づけてしまうという、日本の入管行政の硬直性を示唆している。国際人権規約(自由権規約B規約)第23条は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」と定めている。また、「子どもの権利条約」第9条は、親から分離されない子どもの権利を保障し、分離が「子どもの最善の利益」に合致する場合にのみ許されると規定する。

しかし、日本の実務では、これらの国際的な原則が十分に考慮されているとは言い難い。例えば、過去には以下のような事例が報告されている。

2008年には、超過滞在(オーバーステイ)を理由にフィリピン人の一家が強制送還されるという判断が下されましたが、その後、中学生だった長女だけは在留が認められ、結果的に親子が離れ離れで暮らすことになったという、胸が痛む事例も報告されています。
参照元: 家族を引き裂く非人道的な入管行政… – 東京新聞

この事例は、行政判断が個々の家族員を別個の「事案」として処理し、家族という共同体の維持を二次的なものと見なしている可能性を浮き彫りにする。法務大臣には、人道的な配慮に基づき在留を特別に許可する「在留特別許可」(入管法第50条)の裁量権があるが、その判断基準は不透明であり、結果として家族の運命が予測不可能な行政裁量に委ねられているのが現状である。子どもの視点に立てば、たとえ自身の在留が認められても、親との分離は深刻な心理的・発達的影響を及ぼす可能性があり、「子どもの最善の利益」が真に優先されているのか、重大な疑問が残る。


第2章:時代遅れの司法判断という「亡霊」—マクリーン判決の呪縛

なぜ、これほどまでに深刻な人権侵害が起こりうるのか。その根源を理解するためには、日本の入管行政と司法判断の歴史を遡る必要がある。現在の入管行政の基本姿勢を決定づけたとされるのが、実に46年前、1978年の最高裁判所判決、通称「マクリーン判決」である。

この判決は、在留期間更新不許可処分の合憲性が争われた事案で、最高裁は以下のような判断を示した。

「外国人の人権保障は、在留制度の枠内でしか認められない」
参照元: 家族を引き裂く非人道的な入管行政… – 東京新聞

この一文は、日本の入管行政に絶大な影響を与え続けてきた。この法理を専門的に解説すると、「外国人の基本的人権は、そもそも国家がその入国・在留を認めることを前提とした、いわば制度的な制約を受けるものであり、在留資格を失った外国人に対しては、憲法が保障する人権も当然には及ばない」という解釈を可能にするものだ。これにより、法務大臣(およびその指揮下にある出入国在留管理庁)の在留管理に関する裁量は極めて広範なものとして確立され、司法がその判断に介入することは極めて限定的であるとする「司法の謙抑性」が定着した。

この判決が下された1970年代は、日本における外国人の存在が稀で、国際人権法の議論も未成熟な時代であった。しかし、グローバル化が進行し、日本で生まれ育ち、日本社会に深く根を下ろす外国人が増えた現代において、この判例を機械的に適用することは、もはや時代錯誤と言わざるを得ない。在留資格の有無という一点のみをもって、日本社会で築き上げた家族、生活、人間関係といった、人格的生存に不可欠な要素の価値を著しく低く評価する根拠となり、前章で述べたような非人道的な結果を生む構造的要因となっているのである。


第3章:閉ざされた司法への扉—奪われる「裁判を受ける権利」

行政処分に不服がある場合、司法に救済を求めることは近代国家の根幹をなす権利である。日本国憲法第32条は、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないと保障している。しかし、退去強制の対象となった外国人にとって、この権利はしばしば絵に描いた餅となる。

日本弁護士連合会(日弁連)は、この極めて深刻な問題を指摘し、以下のように警告している。

(強制送還の)通知をした翌日に本国等に強制送還することは,憲法32条が保障する裁判を受ける権利を侵害するものである。
引用元: 警 告 書 – 日本弁護士連合会

これは、行政手続きにおける「手続的デュー・プロセス(適正手続)」の保障が著しく欠如していることを示している。「通知の翌日」という極端な事例は、被処分者が弁護士に相談し、不服申し立てや処分の執行停止を求める裁判を起こすための物理的な時間を事実上奪う行為に他ならない。

さらに、司法アクセスを求める意思そのものが無視されるケースも存在する。

過去には、難民申請が認められなかったスリランカ人が「これから裁判で争いたい」と意思表示していたにもかかわらず、強制送還されてしまったという痛ましい事件もありました。
参照元: 入管法改正問題の現在地|第二東京弁護士会

このような運用は、退去強制令書が発付された後の司法審査の機会を無に帰せしめるものであり、法の支配の原則に真っ向から反する。特に、迫害を受ける恐れのある国への送還を禁じる「ノン・ルフールマン原則」(難民条約第33条)に関わる難民申請者にとって、司法審査の機会を奪われることは、生命や自由に対する回復不能な危険に直結する。2023年に成立した改正入管法では、難民申請中の送還を停止する規定(送還停止効)に例外が設けられ、こうした司法アクセスをめぐる問題は、今後さらに深刻化するとの懸念が専門家から強く示されている。


第4章:多角的な視点と比較—なぜこの構造は維持されるのか?

こうした人権上の問題を抱えながらも、なぜ日本の入管行政の構造は抜本的に変わらないのか。一つの視点として、行政側が主張する「厳格な出入国管理による国内の治安維持と国益の確保」という論理が存在する。不法滞在者を放置することが、社会保障制度への負担や犯罪の温床になるといった懸念から、迅速かつ確実な送還が要請されるという見方である。

しかし、人権保障と社会の安全は二者択一の関係ではない。多くの先進国では、両者のバランスを取るための制度設計が模索されている。例えば、ドイツでは、一定期間滞在し社会に統合された者に対して滞在を許可する寛容(Duldung)制度や、家族統合を重視した法整備が進んでいる。

一方で、アメリカのように厳しい移民政策をとる国もあり、そこでも家族の引き離しは深刻な社会問題となっている。

カリフォルニアは今……容赦ない移民拘束で街は閑散、死亡事件も – BBCニュース

このBBCの報道が示すように、移民に対する厳しい態度は世界的な課題でもある。しかし、日本の問題の特異性は、マクリーン判決に象徴される「司法による行政裁量のコントロールの弱さ」にある。行政の判断が広範に認められる結果、個々の事情に応じた人道的な配慮よりも、在留資格の有無という形式的な基準が優先される傾向が、他国と比較しても強いと指摘できる。この構造が、現場レベルでの硬直的な運用を助長し、悲劇を生み出す温床となっているのである。


結論:私たち自身の社会のあり方を映す鏡として

本稿で分析したように、日本の退去強制をめぐる問題は、単なる個別の悲劇の集合体ではない。それは、時代遅れの司法判断、行政への過度な裁量付与、そして司法アクセスの形骸化という、相互に連関した構造的欠陥によって生み出されている。

  1. 家族の絆や子どもの人権が、形式的な在留資格の前に軽視される現実。
  2. 国際化が進んだ現代社会の実情と乖離した、半世紀近く前の判例がいまだに強力な影響力を持つ異常性。
  3. 憲法が保障する「裁判を受ける権利」さえ、実質的に行使できない手続き上の欠陥。

「ルールはルールだ」という言葉で思考を停止することは容易い。しかし、そのルールが、普遍的であるべき人権を踏みにじり、回復不能な傷を人々に与えるものであるならば、私たちはそのルールそのものとその運用を問い直さなければならない。

この問題は、日本が国際社会の一員として、人権という普遍的価値を自国の法制度の中でいかに実質化していくのか、その成熟度を測るリトマス試験紙である。法改正の議論や、市民社会による監視、そして私たち一人ひとりがこの問題に無関心でいないこと。その全てが、より公正で、人道的配慮に満ちた社会を築くための不可欠な要素となるだろう。この問題の行方は、日本がどのような価値観を大切にする国であるのかを、国内外に示していくことになるのである。

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