【速報】なぜ円高も円安も批判?為替変動の受益者と受苦者から解明


なぜ日本人はかつて円高を憎み、今は円安を嘆くのか?為替変動の「受益者」と「受苦者」から読み解く経済構造の変焉

2025年07月24日
執筆:専門研究員

導入:結論から先に読む、為替感情の「ねじれ」の正体

「昔の日本人『円高容認の民主党許さん。円安にしろ』今の日本人『円安容認の自民党許さん。円高にしろ』」

この鋭い問いは、近年の日本における国民感情の複雑な変遷を的確に捉えています。本記事では、この一見矛盾する感情の「ねじれ」の核心に迫ります。

結論から述べると、この現象は国民の気まぐれなどではなく、日本の経済構造が「輸出主導・製造業中心」から「内需依存・サービス業中心」へと大きくシフトし、それに伴い為替変動によって利益を得る層(受益者)と不利益を被る層(受苦者)の構成が根本的に変化したことを映し出す鏡です。かつて円高は「雇用の喪失」という痛みを、そして現在の円安は「生活コストの高騰」という、より広範な国民層に直接的な痛みをもたらしています。

本稿では、この構造変化を軸に、民主党政権下の「円高不況」と自民党政権下の「悪い円安」を専門的見地から再検証し、為替を巡る国民感情の深層を解き明かしていきます。

第1章:「円高は国難」- 民主党政権下で輸出産業が悲鳴を上げた時代 (2009-2012)

時計の針を2009年に戻すと、日本は「円高地獄」と呼ばれる未曾有の状況にありました。この時代、なぜ国民の怒りは「円高」と、それを容認すると見なされた民主党政権に向けられたのでしょうか。

1-1. リーマン・ショックと「避難通貨」としての円高メカニズム

2008年のリーマン・ショックは世界経済を揺るがし、投資家はリスク資産から資金を引き揚げ、より安全と見なされる資産へと逃避しました。当時、日本は世界最大の対外純資産国であり、経常収支も黒字基調でした。この信認から「安全な避難通貨」として日本円が世界中から買われ、1ドル=70円台という超円高が進行しました。これは、低金利の円を借りて高金利通貨で運用する「円キャリー取引」の急速な巻き戻し(ポジション解消のための円買い)によって、さらに加速されました。

1-2. 「円高容認」と見なされた政権と市場の反応

この異常な円高に対し、2009年に発足した民主党政権の対応は、市場から「円高容認」と受け止められました。その背景には、政権交代直後の政策スタンスが大きく影響しています。

市場関係者の間では、民主党主導の新政権は円売り・ドル買い介入に傾かないとの見方が広がっている。党の政策集は政府のドル資産への過度な運用偏重を問題視しており、これが円高容認姿勢と受け止められている。
(引用元: 民主政権は円高容認、90円突破でも介入せず-市場関係者 – Bloomberg)

このブルームバーグの記事が示すように、市場は民主党の過去の主張から「為替介入に消極的」というシグナルを読み取りました。当時の藤井裕久財務大臣(当時)による「過度な円高は憂慮するが、為替は市場に委ねるのが基本」といった発言も、この見方を補強しました。結果として、投機筋は「日本政府・日銀は強い抵抗を示さない」と判断し、さらなる円買いを仕掛けやすい地合いが形成されたのです。

1-3. 痛みの所在:「産業空洞化」と「雇用の喪失」

この超円高の「痛み」を最も直接的に受けたのは、トヨタやパナソニックに代表される日本の輸出産業でした。製品の価格競争力が失われ、収益が急減。さらに深刻だったのは、企業が採算の取れない国内工場を閉鎖し、生産拠点を海外へ移転させる「産業の空洞化」の加速です。

当時の経済界では、この円高に「高い法人税率」「厳しい労働規制」などを加えた「六重苦」という言葉が叫ばれ、日本の製造業の存続そのものが危ぶまれました。この時代、国民にとっての最大の懸念は、製造業の衰退がもたらす「雇用の喪失」と地域経済の疲弊でした。痛みの所在が明確に「輸出企業とその従業員」にあったため、「円高は国難」であり、円安への転換を求める声が国民的なコンセンサスとなったのです。

第2章:「円安は善」- アベノミクスがもたらした期待とコンセンサス (2012年以降)

2012年末、自民党への政権交代とともに「アベノミクス」が始動し、為替市場の風景は一変します。「円高は悪、円安は善」という新たなコンセンサスは、どのようにして形成されたのでしょうか。

2-1. 「異次元の金融緩和」という劇薬

アベノミクスの「第一の矢」は、日本銀行による「大胆な金融緩和」、すなわち量的・質的金融緩和(QQE)でした。これは、市場に供給するお金の「量」を飛躍的に増やすと同時に、国債だけでなくETF(上場投資信託)など、よりリスクの高い資産も買い入れるという、前例のない政策でした。

この政策の狙いは、①実質金利の低下を通じて設備投資や消費を刺激すること、そして②「デフレ脱却のためには何でもやる」という政府・日銀の強い意志を示すことで人々の期待(インフレ期待)に働きかけ、円安を誘導することにありました。

2-2. 円安シフトの実現とその効果

政策の効果は絶大でした。為替レートは急激な円安方向にシフトします。

2012年末の第二次安倍政権発足以降、大胆な金融緩和を背景に、為替レートは1ドル80円前後から2014年には115円を超える水準まで円安が進行した。
(引用元: 円安になりやすい時間帯は存在するか?-米ドル/円の「時間効果」を計測してみる – ニッセイ基礎研究所)

このニッセイ基礎研究所のレポートが示す通り、円安は極めて短期間で実現しました。これにより、円高に苦しんでいた輸出企業の収益はV字回復を遂げ、株価は大幅に上昇。企業業績の改善が経済全体を潤し、やがては賃金上昇にもつながるという「トリクルダウン」への期待が、社会全体で「円安は善」というコンセンサスを醸成しました。この時期、円高を批判していた声はほぼ消え、円安こそが日本経済を救う処方箋であると信じられていたのです。

第3章:「悪い円安」の時代 – 自民党政権下で国民生活を蝕むインフレ (2022年以降)

しかし、長く続いた「円安は善」の時代は、2022年を境に終焉を迎えます。今度は、自民党政権が推進してきた円安が「悪い円安」として、国民の生活を脅かす元凶と見なされるようになりました。

3-1. 世界的インフレと日米金利差という「エンジン」

背景にあるのは、コロナ禍からの経済再開やロシアのウクライナ侵攻に端を発する世界的なインフレと、それに対応する各国中央銀行の政策転換です。米連邦準備制度理事会(FRB)などがインフレ抑制のために急速な利上げを行う一方、日銀は長短金利操作(YCC)を維持し、低金利政策を継続しました。この日米の金利差拡大が、より高い利回りを求める投資家の「円売り・ドル買い」を爆発的に加速させ、1ドル=160円台に迫る歴史的な円安を招いたのです。

3-2. 痛みの所在:「交易条件の悪化」と「実質賃金の低下」

かつて「善」とされた円安が「悪」と呼ばれるようになった根源は、日本経済の構造変化にあります。

  • 輸入依存体質と交易条件の悪化: 日本はエネルギーや食料品など、生活必需品の多くを輸入に頼っています。円安はこれらの輸入物価を直接的に押し上げます。専門的には、これは「交易条件の悪化」(輸出品の価格よりも輸入品の価格が相対的に大きく上昇し、貿易による利益が減少する状態)を意味し、日本から海外へ国富が流出する構図を生み出しました。
  • 円安の恩恵の限定化: 第1章で述べた産業の空洞化の結果、企業の海外生産比率は高止まりしたままです。そのため、円安になっても国内の設備投資や雇用、賃金への波及効果(トリクルダウン)が限定的になりました。恩恵は一部の輸出大企業やインバウンド関連産業に偏在し、多くの中小企業や国民は、賃金が物価上昇に追いつかない「実質賃金の低下」という形で、円安のデメリットを直接的に被ることになったのです。

この状況下で、国民の怒りは「生活苦」を生み出す円安と、それを事実上放置する自民党政権に向けられています。興味深いのは、市場が政治の動きを敏感に織り込んでいる点です。

仮に、衆院選挙の結果、政権交代が起こり、立憲民主党が主導する政権が誕生する場合には、為替市場は円高で反応する可能性が考えられる。アベノミクス路線の見直しが、新政権の経済政策の柱の一つとなる可能性が考えられるからだ。
(引用元: 衆院選挙の行方と金融市場・金融政策:日銀は日米の選挙結果と為替に翻弄される – 野村総合研究所(NRI) 木内登英)

野村総合研究所の木内登英氏のこの分析は、市場が「現政権の政策=円安」「政権交代=円安是正(円高)」という図式を強く意識していることを示唆します。これは、過去の民主党政権のイメージ(円高容認)と、現在の円安からの転換期待が複合的に作用した結果であり、為替が極めて政治的なマターとなっていることの証左です。

結論:為替の「正義」は一つではない。求められるは変動に強い経済構造

「昔の円高批判」と「今の円安批判」。本稿で詳述してきた通り、この二つの国民感情は矛盾するものではなく、それぞれの時代における経済的な「痛み」の所在の変化を正確に反映したものです。

  • 民主党政権期(円高)の構図

    • 受苦者: 輸出大企業、関連下請け企業、その従業員(雇用の喪失)
    • 受益者: 輸入業者、海外旅行者、消費者全般(輸入品価格の低下)
    • 国民感情: 産業の根幹が揺らぐ「国難」として、円安を渇望。
  • 自民党政権期(円安)の構図

    • 受苦者: 国民の大多数(物価高による生活苦)、輸入依存企業
    • 受益者: 一部の輸出大企業、インバウンド関連産業
    • 国民感情: 日々の生活を圧迫する「元凶」として、円高への是正を希求。

結局のところ、国民が真に求めているのは「円高」や「円安」という特定の為替水準そのものではなく、「予測可能で安定した経済と、豊かさを実感できる暮らし」に他なりません。極端な為替変動は、どちらに振れても必ず経済に歪みを生み、その時々の立場の弱い層を直撃します。

この「ねじれ」の歴史が我々に教える最も重要な教訓は、為替水準を操作する対症療法的な政策には限界があるということです。日本が真に目指すべきは、円高にも円安にも過度に揺さぶられないレジリエンス(強靭性)の高い経済構造の構築です。具体的には、付加価値の高い製品・サービスを生み出すための生産性向上、国内に富を還流させるための国内投資の促進、そして国民が豊かさを実感できる持続的な実質賃金の上昇こそが、為替を巡る不毛な対立に終止符を打つ唯一の道筋となるでしょう。

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