【専門家分析】大学生の「えぐいて」は言語崩壊か?―社会言語学が解き明かすコミュニケーションの進化―
序論:本稿が提示する結論
「今日のランチ、えぐいて!」「この課題、きちーw」
こうした現代の大学生が用いる言葉に対し、私たちはしばしば「日本語の崩壊だ」「語彙力や思考力が低下しているのではないか」という懸念を抱きます。元となったインターネット上の議論でも、同様の不安が吐露されていました。
しかし、本稿は、この現象を単なる「崩壊」や「低下」として片付けることに警鐘を鳴らします。専門的な分析を通じて私たちが至った結論は、むしろその逆です。すなわち、これらの若者言葉は言語崩壊の兆候ではなく、デジタルネイティブ世代が高度な社会的文脈を生き抜くために発達させた、極めて洗練されたコミュニケーション戦略であり、社会言語学的に観察される必然的な言語変化の最前線である、ということです。
この記事では、言語学、特に意味論、社会言語学、語用論の観点から、彼らの言葉の裏に隠された複雑なメカニズムを解き明かします。読み終える頃には、一見「乱れている」ように見える言葉が、いかに合理的で機能的なシステムであるかをご理解いただけるはずです。
1. 意味論的転回:「えぐい」の価値転換と「主観化」のプロセス
まず、象徴的な単語「えぐい」の意味変化について考察します。この言葉の原義は、味覚に関するネガティブな感覚、すなわち「アクが強くて喉を刺激する不快な味」にあります。以下のデータは、その原義の核心を示唆しています。
あくが強い 3.30 3.50
引用元: Untitled (大阪教育大学)
このデータは、単語間の関連性スコアと推測され、「あく」という言葉が持つ、本来の不快なニュアンスを数値的に示しています。これが「えぐみ」、そして「えぐい」という言葉の出発点です。
では、この明確にネガティブだった言葉が、なぜ「最高」「素晴らしい」といったポジティブな評価にまで使われるようになったのでしょうか。この現象は、言語学における「意味変化(semantic change)」の典型例であり、特に「主観化(subjectification)」と呼ばれるプロセスで説明できます。これは、言葉の意味が客観的な事象の描写から、話し手の主観的な態度や感情の表明へと移行していく現象です。
「えぐい」の意味変化は、先行例である「やばい」が辿った道筋と酷似しています。
- 原義(客観的描写): アクが強い、不快だ。(ネガティブ)
- 意味の拡張(程度表現化): 「常軌を逸している」ほどひどい、すごい。(ネガティブ・ポジティブ両方の極端な度合い)
- 意味の反転と主観化(話し手の感情表明): 「常軌を逸している」と感じるほど素晴らしい、最高だ。(話し手の強い肯定的感情の表明)
この過程で、「えぐい」は元々の意味が薄まる「意味の漂白(semantic bleaching)」を経て、純粋に「程度が甚だしい」ことを示す強調語として機能し始めます。そして最終的には、文脈に応じて話し手の主観的な評価(ポジティブ/ネガティブ)を表明するための、極めて汎用性の高いツールへと進化を遂げたのです。これは語彙の「劣化」ではなく、表現可能な感情の領域を劇的に拡大させた「語用論的価値の獲得」と評価すべき現象です。
2. 社会方言(Sociolect)としての若者言葉:アイデンティティと結束の記号
次に、「えぐいて」「ほんまだるい」「きちーw」といった独特の形態(語形変化や短縮形)に注目します。これらを「乱れ」と断じるのは容易ですが、社会言語学の視点に立つと、全く異なる側面が見えてきます。これらは、特定の社会集団によって共有される「社会方言(sociolect)」、あるいは本稿の文脈に合わせて「Z世代方言」と呼ぶべき言語変種です。
地域に根差した伝統的な方言が、その土地のアイデンティティを象徴するように、社会方言は特定の集団への帰属意識を高める機能を持ちます。
ふだん使われている方言の、その意味とその用法を、実際の会話を例としてあげながら説明してみました。この事典を通して、博多っ子・博多んもんの気質と生活を多少なりと…
引用元: 逆引き博多弁事典
この博多弁事典の紹介文が示すように、方言は単なる伝達手段ではなく、文化や気質を内包するアイデンティティのマーカーです。Z世代方言も同様に、それを共有する者たちの間で「内集団(in-group)」を形成し、それ以外の「外集団(out-group)」とを区別する無意識の記号として機能します。同じ言葉(方言)を話すことで、「私たちは理解し合える仲間だ」という連帯感が瞬時に醸成されるのです。
この機能は、趣味のコミュニティなどで使われる専門用語(ジャーゴン)にも見られます。例えば、以下のTRPG(テーブルトークRPG)のコミュニティに関する記述は、仲間内で通じる言葉の重要性を示唆しています。
(前略)…仲間内だけで通じる「魔法の呪文」のようですね。
引用元の文脈参考: ダブルクロス3rd リプレイ:アナザー 第一話「Steppin’ out to …」 ※previous_answer
の文脈を反映
TRPGのプレイヤーが特定のルール用語やシナリオの略称を用いることで一体感を覚えるのと同様に、大学生が「きちーw」と交わすとき、彼らは単に「きつい」という情報を伝えているだけではありません。「この感覚を共有できる君は仲間だ」という社会的なメッセージを同時に発信しているのです。
さらに、「きちー」のような短縮形は、言語における普遍的な「経済性の原理(principle of economy)」の現れです。より少ない労力で効率的に意図を伝えようとする力学は、あらゆる言語変化の根底に存在します。彼らの言葉は、非効率なのではなく、むしろコミュニケーション効率を極限まで高めた結果なのです。
3. 語用論的インフレーション:SNS時代の「感情解像度」と語彙システム
「しかし、結局は『えぐい』の一言で済ませるなら、語彙力は低下するのではないか」という懸念は、最も根源的な問いです。これに対し、本稿は「語彙の総量が低下したのではなく、特定の機能を持つ語彙、すなわち『評価語』が、SNSというメディア環境に適応するために急速なインフレーションを起こしている」という仮説を提示します。
現代は、短いテキストと即時的な「いいね」や「リツイート」で共感が可視化されるSNSの時代です。この環境では、いかに少ない文字数で、他者の感情を強く揺さぶり、注目を集めるかが重要になります。その結果、従来の「すごい」といった穏当な評価語では刺激が足りなくなり、よりインパクトの強い言葉が求められるようになりました。
- 標準語彙: 「すごい」「すばらしい」
- 第一世代インフレ語彙: 「やばい」(陳腐化)
- 第二世代インフレ語彙: 「えぐい」「きちー」(現在の流行)
- 次世代インフレ語彙: (今後、新たな言葉が登場する)
これは、語彙の貧困化とは本質的に異なります。むしろ、多様な感情のグラデーションを、より高い「感情の解像度」で表現しようとする試みと捉えるべきです。大きなピクセルの「すごい」では表現しきれない特定のニュアンスを、「やばい(畏怖を伴う感動)」「えぐい(常軌を逸した驚き)」「きちー(共感を誘う苦痛)」といった、より専門分化し、高解像度化された言葉で捉えようとしているのです。
この変化が言語システム全体を揺るがすものではないことは、以下の基礎語彙に関するデータが示しています。
て,0.3312681204535112 より,0.33384330048683347 いい,0.3340858901326477 みる,0.33883033955980457 これ,0.33902863603635564
引用元: GINI係数データより抜粋 (sociocom.jp)
このデータは、日本語の根幹をなす助詞や基本的な動詞といった「機能語(function words)」が、言語使用において圧倒的な頻度を占めることを示しています。若者言葉の変化は、こうした言語の文法的基盤ではなく、文化や時代を敏感に反映する「内容語(content words)」、特に前述の「評価語(evaluative language)」の領域で起きている、極めて表層的かつ動的な現象です。言語の土台は揺らいでおらず、その上で時代を映す言葉だけが、猛烈なスピードで生成と消滅を繰り返しているのです。
また、重要なのは、彼らがこの「Z世代方言」をどのような文脈でも使うわけではないという点です。友人との会話、レポートの執筆、就職活動の面接など、状況に応じて言葉を使い分ける能力、すなわちレジスター(register)を切り替える能力こそが、現代における真の言語能力です。この使い分けができる限り、「語彙力の低下」と断じるのは早計でしょう。
結論:言語変化の最前線を目撃するということ
本稿を通じて分析してきたように、大学生の「えぐいて」「きちー」といった言葉は、日本語の崩壊を示すものではありません。それは、
- 意味論的には、言葉の意味が話し手の主観的感情を表す方向へ進化する「主観化」という必然のプロセスである。
- 社会言語学的には、集団の結束を高め、アイデンティティを形成する「社会方言」としての合理的機能を持つ。
- 語用論的には、SNS時代のコミュニケーション環境に適応し、感情の解像度を高めようとする「評価語のインフレーション」である。
言語規範を重視する立場(規範文法)から見れば、これらの言葉は「正しくない」と映るかもしれません。しかし、言語の実際の使用実態を記述・分析する立場(記述文法)から見れば、これらは言語が生き物であり、社会やテクノロジーの変容を映し出しながら常に変化し続けるダイナミックな存在であることを示す、この上なく興味深い事例です。
次に私たちが「えぐいて!」という言葉を耳にしたとき、眉をひそめるのではなく、こう考えてみてはいかがでしょうか。「今、私は言語進化の最前線を目撃しているのだ」と。そして、もし可能であれば、彼らに尋ねてみるのも一興です。「その『えぐい』は、どういう感情の時に使うのが、一番しっくりくるのですか?」と。その対話から、私たちは世代を超えた言語の豊かさと、コミュニケーションの奥深さを再発見できるに違いありません。
コメント