2025年8月10日、世界中で食を巡るニュースが注目を集めています。イタリアが誇る伝統パスタ料理のレシピを巡り、イタリアとイギリスの間で発生した激しい文化的な対立は、単なる料理法の違いを超え、国民の誇り、文化の重み、そして食に対する譲れない情熱という、より深遠なテーマを浮き彫りにしています。
この論争から導き出される重要な結論は、食文化における「伝統」とは、単なる過去の慣習や固定されたレシピではなく、現代における国民的アイデンティティを構築し、維持するための動的な概念であるという点です。その解釈や定義は時代や文脈によって変化しうるものであり、今回のイタリアとイギリスのパスタ論争は、この動的な「伝統」の定義を巡る文化的な緊張関係と、その尊重の重要性を鮮明に示しています。本稿では、この「パスタ戦争」の背景と核心を、美食学、歴史学、社会学の視点から深掘りし、食文化が持つ多層的な意味を探求します。
1. 「カチョ・エ・ペペ」論争の勃発:伝統への挑戦か、異文化理解の欠如か
今回の騒動の発端は、イギリスの人気料理サイト「Good Food」が掲載した、ローマの伝統料理「パスタ・カチョ・エ・ペペ」のレシピでした。このレシピに対し、イタリア国内から猛烈な怒りの声が上がり、ついにはイタリアの業界団体が英国大使館に抗議の書簡を送る事態にまで発展しました。
イギリスの人気料理サイト「Good Food」が、ローマの伝統料理「パスタ・カチョ・エ・ペペ」の誤ったレシピを掲載したことをめぐり、イタリア国内で怒りの声が広がっている。正しいオリジナルの材料が含まれておらず、簡単な料理だと軽んじているような表現があったという。
引用元: 英料理サイトのパスタレシピにイタリアで抗議の声 正しくない材料 … – BBCニュース
「Good Food」は、家庭料理愛好家向けのレシピを提供することで知られる大手メディアです。その影響力の大きさゆえに、掲載されたレシピが「誤っている」と認識された場合、それが広く普及してしまうことへの懸念が、イタリア側の反応を一層強くしたと考えられます。問題とされたGood Foodのレシピに含まれていたのは「パルメザンチーズ」「バター」、そして任意で「生クリーム」という材料でした。
この引用が示唆するのは、単なる材料の違い以上に、レシピが「簡単な料理だと軽んじているような表現があった」という点です。これは、料理の背後にある技術や哲学、そしてそれを育んできた文化への敬意の欠如と解釈され、イタリア人のプライドを深く傷つけました。伝統料理は、単なる食材の組み合わせではなく、その調理法自体が継承されてきた技であり、知識の体系であるため、それを「簡単」と矮小化する表現は、文化的な冒涜と受け取られるのです。
2. 「カチョ・エ・ペペ」の美食学的真髄:3つの黄金律が織りなす化学反応
では、イタリア人が主張する「正しい」カチョ・エ・ペペとは、具体的にどのような料理なのでしょうか。イタリアの二つ星イタリアン元料理人、マクリ・マルコ氏の言葉がその本質を端的に表しています。
「『カチョエペペ』といったら必ずペコリーノ(チーズ)、コショウ、トンナレッリ(パスタ)、絶対その3つだけで作らなければならない。生クリーム入れると」
引用元: 「サイト記載のパスタ調理法は間違い」イタリア業界団体が英国 … – asahi.co.jp
この発言が示す通り、本来の「カチョ・エ・ペペ」は、「スパゲッティ(またはトンナレッリ)」「黒こしょう」「ペコリーノチーズ」のたった3つの材料で構成されます。「カチョ(Cacio)」はチーズ、「ペペ(Pepe)」はコショウを意味し、料理名そのものがこの2つの主役を示しています。
このシンプルさの裏には、高度な美食学的原理と調理技術が隠されています。バターや生クリームを一切使わず、パスタの茹で汁とペコリーノチーズの乳化だけで、とろみのあるクリーミーなソースを作り出すのがこの料理の真髄です。
- ペコリーノ・ロマーノ(Pecorino Romano): イタリア産の羊乳から作られる熟成チーズであり、特有の強い風味と塩味、そして適度な脂肪分とタンパク質が、ソースの乳化を助けます。牛乳から作られるパルミジャーノ・レッジャーノ(パルメザン)とは風味が異なり、ペコリーノの持つ独特の旨味と塩気がこの料理の味の基盤となります。
- 黒こしょう: 挽きたての黒こしょうの香りが重要です。加熱によってその香りが引き立ち、チーズの風味と相まって複雑なアロマを形成します。
- パスタの茹で汁: ここが最も技術的なポイントです。パスタから溶け出したデンプンが豊富な茹で汁は、チーズのタンパク質や脂肪と結合することで、乳液のような滑らかなソースを形成します。このプロセスは「乳化」と呼ばれ、パスタの茹で加減と茹で汁の分量、そしてチーズの加え方が絶妙なバランスで要求されます。
バターや生クリームを加えることは、この繊細な乳化プロセスを回避し、人工的にとろみを加える行為と見なされます。これは、ローマの「貧しい料理(Cucina Povera)」の哲学とも対立します。限られた材料で最大限の美味しさを引き出す知恵と技術が、イタリア人にとっての「伝統」であり、その改変は「伝統の破壊」にも等しい、許しがたい行為と認識されるのです。
3. 食文化における「伝統」の重み:アイデンティティとしての食
今回の論争は、イタリア人が食の「伝統」をいかに重んじているかを明確に示しています。彼らは「味に保守的」と評されるほど、昔ながらの製法や材料を大切にします。
イタリア人って味に保守的ですよ。なぜイタリア料理が世界に多いかというと、
引用元: イタリアではケチャップがパスタに使われることは、まずないです … – detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
この「保守性」は、単なる頑固さではなく、食が国民的アイデンティティの中核をなしている証左です。食は、歴史、地域性、家族の絆、そして生活様式そのものを映し出す鏡であり、その核となる部分が変質することは、彼らにとって自己のアイデンティティが揺らぐことと同義なのです。
日本においても、例えば「味噌汁にマヨネーズを入れるなんて!」「お寿司にケチャップなんてありえない!」といった感情は、食文化における「タブー」や「規範」の存在を示しています。これらは、その料理が培ってきた歴史的背景や、その味覚が国民に深く根付いていることを物語ります。日本で親しまれている「ナポリタン」(ケチャップベース)や、生クリームたっぷりの「カルボナーラ」が、イタリア人から見れば「これじゃない!」となるのも、まさにこの「伝統」に対する認識の違いに起因します。海外でのイタリア料理のアレンジは、彼らの心に深い傷を残し、文化的な冒涜とさえ感じさせる可能性があるのです。
イタリアでは、このような食の伝統を保護するため、特定の食品や料理に対して「原産地名称保護(PDO: Protected Designation of Origin)」や「地理的表示保護(PGI: Protected Geographical Indication)」といった厳格なEUの制度を適用しています。これは、特定の地域で伝統的な製法に従って作られた製品のみがその名称を使用できるというもので、今回のカチョ・エ・ペペのような伝統料理にも、厳密な材料や調理法が暗黙の了解として存在しています。
4. イタリア料理の「伝統」概念の形成:近代における創造と確立
ここで、この騒動に新たな視点を与える興味深い情報に目を向けてみましょう。とあるX(旧Twitter)ユーザーの投稿です。
イタリア料理の「伝統」は実は1990年以降に確立したというこの説、すごくおもしろいと思うんだけど反応薄いな。
引用元: 栗原裕一郎 (@y_kurihara) / X
この説は、私たちが現在「伝統的なイタリア料理」と認識しているものが、実は比較的最近になって統一され、確立された側面があることを示唆しています。イタリアは1861年に統一された比較的新しい国民国家であり、それ以前は各地域が独自の言語、文化、そして食文化を持っていました。地域ごとの多様な料理が存在する中で、「イタリア国民料理」としてのアイデンティティが形成されたのは、以下の歴史的背景と関連づけられます。
- イタリア統一と国民国家の形成(19世紀後半〜20世紀初頭): 各地の郷土料理が存在する中で、国民統合の象徴として「国民料理」の概念が徐々に醸成され始めました。しかし、それはまだ明確な規範として確立されたものではありませんでした。
- 第二次世界大戦後の経済発展と国際化(1950年代〜1970年代): イタリア料理が世界中に広がるにつれて、その多様性が認識される一方で、海外での「イタリア風料理」の誕生が、本国における「真正なイタリア料理」への意識を高める契機となりました。
- スローフード運動と美食学の隆盛(1980年代〜1990年代): グローバル化とファストフードの台頭に対する反動として、イタリアで始まったスローフード運動は、地域の食文化、伝統的な製法、地元の食材の保護を強く提唱しました。この動きは、イタリア国内で「伝統的なレシピとは何か」という議論を活性化させ、料理書やメディアを通じて「正統な」イタリア料理の規範がより明確に確立されていくプロセスを加速させました。
もしこの説が正しければ、今回の「ブチギレ」は、単なる古代からの伝統への固執だけでなく、「近代において意図的に、そして主体的に確立されたばかりの我が国の食文化を、勝手に変えるな!」という、より強いプライドと、文化主権の主張の現れであると解釈できます。これは非常に興味深い視点であり、食文化が国家アイデンティティの形成に果たす役割を再認識させます。
5. 食文化のグローバル化と異文化間コミュニケーションの課題
今回のイタリアとイギリスの「パスタ戦争」は、一見すると些細な料理の論争に見えますが、その根底には、食文化のグローバル化が進む中で避けて通れない異文化間コミュニケーションの課題が横たわっています。
「アレンジ」と「冒涜」の境界線はどこにあるのでしょうか。多くの文化交流において、異文化を取り入れ、自国の風土や嗜好に合わせてアレンジすることは、新しい美味しさや創造性を生み出す源となってきました。しかし、そのアレンジが原点となる文化の核を損ねる、あるいは軽視するものであった場合、それは単なるアレンジを超え、「文化盗用」や「文化的な無理解」と認識されるリスクを伴います。
観光客や他国でのイタリア料理の需要は拡大の一途を辿る一方で、原産国としてのイタリアは、その文化的な純粋性と真正性を保護しようとします。これは、食が単なる商品ではなく、その国の歴史、人々の暮らし、そして魂そのものを体現するものであるという信念に基づくものです。
結論:食文化を巡る「伝統」の再定義と相互尊重の必要性
今回のイタリアとイギリスの「パスタ戦争」は、冒頭で述べたように、単なる料理法の違いに起因するものではなく、食文化における「伝統」の定義と、それが国民的アイデンティティに果たす役割を巡る深遠な議論を提起しています。食は、単なる栄養補給の手段ではなく、その土地の歴史、風土、人々の暮らし、そして集合的な記憶が凝縮された文化そのものです。だからこそ、国境を越えて料理をシェアする際には、その背景にある「伝統」や「こだわり」を理解し、尊重することが極めて重要となります。
現代のグローバル社会においては、食文化の交流は不可避であり、その中で新しいアレンジや融合が新たな美味しさを生み出すことも多々あります。しかし、その創造性の前提として、まずはオリジナルの料理が持つ歴史的背景、美食学的原理、そして文化的意味合いを深く理解し、その上で敬意をもって創造性を発揮することが、より豊かで持続可能な食の世界を築く第一歩となるでしょう。
食を通じて他文化を理解することは、相互尊重と平和な共存を育む上で不可欠な要素です。次にイタリア料理を食べる時、そして海外の料理に触れる時には、その背景にある「ストーリー」や「哲学」にも思いを馳せてみませんか。きっと、食事がもっと面白く、もっと味わい深いものになり、異文化理解への扉を開くきっかけとなるはずです。Buon appetito! (ボナペティート!=召し上がれ!)
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