近年、全国各地でクマによる人身被害や農作物への甚大な被害が後を絶たない。この未曽有の事態に対し、地域住民や行政が第一に頼るのが、長年の経験と専門的知識を有する猟友会である。しかし、近年、その猟友会の一部会員から、クマ駆除への消極的な姿勢、さらには「拒否」とも取れる反応が相次いでいるという報道は、事態の深刻さを物語っている。本稿は、この「クマ駆除拒否」という現象の背後にある、単なるハンターの個人的な不満に留まらない、現代社会における野生動物管理の根本的な課題と、猟師たちが抱える複雑な葛藤、そして本来あるべき人間と野生動物との共存のあり方について、専門的な視点から多角的に掘り下げ、その深層に迫る。結論として、猟友会の「クマ駆除拒否」は、単なる駆除の負担増への抵抗ではなく、野生動物との共存に向けた社会全体の認識の遅れと、行政と猟友会との間の非対称な関係性、そして狩猟文化の変容という複合的な問題が露呈したものであり、これを機に、我々は「駆除」中心の旧来の野生動物管理から、「管理・共存」へとパラダイムシフトを断行する必要に迫られている。
クマ被害の深刻化:環境変化と人為的要因の複合的影響
クマによる被害の増加は、単一の原因に帰結するものではない。地球温暖化や森林構造の変化、それに伴う餌資源の変動(例えば、ドングリなどの堅果類の豊凶サイクル)、さらには里山放棄や耕作放棄地の増加による生息環境の拡大・侵入といった環境要因に加え、人間活動による生息域の縮小や分断化、そしてクマの餌となる生ゴミや農作物の放置といった人為的要因が複合的に作用している。環境省の調査によれば、近年、クマの出没地域が拡大し、活動域が人里近くにまで及ぶ傾向が顕著である。このような状況下で、自治体や警察は、人命の安全確保と地域経済への打撃を最小限に食い止めるため、迅速かつ効果的なクマの駆除を猟友会に依頼するのが通例となっている。猟友会は、地域に根差した情報網と、世代を超えて受け継がれてきた狩猟技術、そして危険を顧みない勇気をもって、これらの要請に応えてきた。彼らの活動は、地域社会の安全維持における、まさしく「最後の砦」としての役割を担ってきたと言える。
「我々を都合よく利用するな」―現場ハンターの「拒否」に込められた切実な訴え
しかし、その「最後の砦」であるはずの猟友会から、近年、クマ駆除への消極的な姿勢や「拒否」とも取れる反応が相次いでいる。これは、単なるハンター個人の怠慢や、駆除作業の負担増への単純な抵抗ではない。その背後には、より根深く、構造的な問題が存在する。
1. 駆除の「質」と「倫理」への疑問:狩猟精神の希薄化と「殺害」への抵抗
「熊を殺すために許可を取ったわけではない。一方的な殺害は後味の悪い思いが残るだけです。そんなことをするために我々がいるのではありません」という現役ハンターの言葉は、現代のクマ駆除における「質」への深刻な疑問を呈している。かつて、「熊撃ち」は、熟練した技術と深い洞察力、そして獲物への敬意をもって行われる、高度な狩猟行為であった。山野を熟知し、獲物の習性を読み、時には危険な対峙を経て行われる「撃ち」には、狩猟者としての矜持が伴っていた。
しかし、現代のクマ駆除、特に箱罠にかかったクマを、遠距離から、あるいは安全な場所から一方的に射殺する状況は、その「質」を大きく損なっている。罠にかかり、逃げ場のない状態で、恐怖と苦痛に喘ぐクマを「手柄」のように撃ち、それを誇示するような風潮は、多くのハンターにとって、狩猟本来の精神や倫理観とはかけ離れたものに映る。彼らにとっては、それは「駆除」という名のもとに遂行される、単なる「殺害」であり、それ以上でもそれ以下でもない。このような行為は、狩猟文化の継承者としてのアイデンティティを揺るがし、虚無感や後味の悪さ、さらには精神的な疲弊感をもたらす。彼らは、自分たちの専門知識や技術が、このような「不本意な殺害」のために消費されることに、強い抵抗を感じているのである。
2. 行政との連携における「非対称性」:平時からの「共存」の視点の欠如
「何かあった時だけ我々を都合よく利用するのだけはやめてもらいたい」という訴えは、行政や地域社会との関係性における「非対称性」を浮き彫りにしている。クマが市街地に出没し、人命に関わるような緊急事態が発生した場合にのみ、猟友会に駆除を依頼する姿勢は、ハンターたちに「平時からの地域との連携や、クマとの共存に向けた根本的な対策がおろそかにされているのではないか」という不満を抱かせている。
野生動物との共存は、単に「駆除」という事後対応だけで達成されるものではない。それは、クマの生態や生息環境の理解に基づいた、積極的な「管理」と、人間活動との「緩衝地帯」の確保、そして市民一人ひとりの意識改革を伴う、社会全体で取り組むべき課題である。しかし、現状では、行政は、猟友会を「事後処理部隊」あるいは「緊急対応部隊」としてのみ位置づけ、その専門知識や経験を、平時からの野生動物管理計画の策定や、地域住民への啓発活動、さらには生息環境の保全といった、より建設的で長期的な視点での活用に活かそうとしていない。結果として、猟友会は、自分たちの労力や専門性が、単なる「問題解決の道具」として消費されていると感じ、その役割に対する不満や、より建設的な関わり方を求めているのである。
3. 猟友会組織内の「質」の懸念と権威の失墜
一部の会員が、単に箱罠にかかったクマを殺し、その数を誇るような行動をとっていることは、猟友会全体のイメージを損なうだけでなく、本来、狩猟の倫理観や技術を重んじるべき組織としての権威を失墜させる要因ともなり得る。このような行動は、一部のハンターにとっては、猟友会が本来持っていた「野生動物と向き合うプロフェッショナル集団」としての矜持を軽視する行為であり、組織内部での軋轢を生む原因ともなっている。これは、狩猟文化の変容と、それに伴う価値観の多様化が、組織内部で十分に消化されていない現状を示唆している。
本来あるべきクマとの「共存」への道:「管理」と「連携」のパラダイムシフト
現役ハンターたちの切実な声は、私たちがクマという野生動物とどのように向き合っていくべきか、という根源的な問いを投げかけている。それは、単なる「駆除」という行為に焦点を当てるのではなく、より包括的な「野生動物管理」の概念への移行を促すものである。
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「駆除」から「管理」へのパラダイムシフト:
単にクマを「駆除」するだけでなく、クマの生態、行動様式、そして生息環境の動態を科学的に理解し、人間とクマの衝突を未然に防ぐための「管理」の視点が不可欠である。これには、高度な情報収集・分析能力に基づいた「早期警戒システム」の構築、クマの食性や繁殖サイクルを考慮した「生息環境の保全・再生」、そして人間活動との「緩衝地帯」の確保といった、多岐にわたる施策が求められる。例えば、 GIS(地理情報システム)を用いた出没予測モデルの精度向上や、クマの糞分析による食性・行動パターンの詳細な把握、あるいは住民への積極的な情報提供による「クマへの無闇な接近防止」といった取り組みが挙げられる。 -
行政と猟友会の「建設的」かつ「対等」な連携:
行政は、猟友会を単なる「駆除部隊」としてではなく、長年の経験と地域への精通度を有する「野生動物管理の専門家集団」として位置づけ、その知見を最大限に活用すべきである。平時からの密な情報共有、野生動物管理計画の策定への参画、そして共同でのリスクコミュニケーションの実施など、より多角的で、対等なパートナーシップの構築が不可欠である。例えば、行政が主導する「クマ対策協議会」に猟友会の代表者が常時参加し、地域の実情に即した具体的な対策を共に立案・実施する体制の構築が考えられる。また、猟友会側も、最新の科学的知見を取り入れ、データに基づいた提案を行う姿勢が求められる。 -
市民への「主体的な」啓発と「共感」の醸成:
クマの生態や、クマと遭遇した場合の正しい対処法について、市民への啓発活動を強化することはもちろん重要である。しかし、それ以上に、クマという野生動物が、我々の生活圏に「侵入」してきた存在ではなく、本来そこに生息していた、生態系の一部であるという認識を醸成することが重要である。「クマ=脅威」という単純な図式から脱却し、彼らの生態や、人間との共存の難しさを理解するための「共感」を育むことが、持続可能な共存社会の実現に向けた礎となる。例えば、学校教育における野生動物との関わり方に関するプログラムの導入や、地域住民が主体的に参加できる「クマとの共存ワークショップ」の開催などが有効だろう。
結論:共存への道を共に拓く、新たな関係性の構築
猟友会の一部会員による「クマ駆除拒否」は、表層的な問題の顕在化に留まらず、現代社会における人間と野生動物との関係性のあり方、そして行政との連携のあり方、さらには狩猟文化の変容といった、より広範で複雑な課題を提起している。現役ハンターたちの「我々を都合よく利用するのだけはやめてもらいたい」という切実な声は、単なる感情論ではなく、彼らが担うべき役割とその責任に対する、深刻な認識のズレと、より建設的な関係性の構築を求める、社会全体へのメッセージとして受け止めるべきである。
私たちは、猟友会を「緊急時のみ頼りになる便利屋」としてではなく、野生動物管理における貴重なパートナーとして尊重し、彼らの専門性、経験、そして地域への深い洞察を活かすための、新たな関係性を築いていく必要がある。それは、行政が主体的に、猟友会との平時からの連携を強化し、彼らが持つ知識や技術を、単なる「駆除」という活動に限定せず、より広範な「野生動物管理」の領域へと拡張していくことを意味する。そして、この新たな関係性の構築は、猟友会だけでなく、行政、地域住民、そして私たち一人ひとりが、野生動物との共存という、困難ではあるが避けては通れない課題に対して、真摯に向き合い、共に汗を流し、共に未来を模索する覚悟を持つことから始まるのである。この「拒否」を、人間と野生動物がより賢明に、そして共存できる未来を築くための、歴史的な転換点とするために。


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