はじめに:オンライン言論における「神格化」の問い
2025年11月1日。インターネット上で「高市って安倍の時より神格化されてないか? ネットの持ち上げられ方、安倍時代より不自然なんやが」という問いが提起されました。この疑問は、特定の政治家に対するネット上の熱狂的な支持と、それに伴う批判的議論の抑制という現代社会の課題を鋭く突いています。政治家の「神格化」とは、文字通りの意味ではなく、ある人物に対する評価が絶対的となり、その行動や発言への批判が極めて困難になる社会心理的現象を指します。
本稿の結論として、高市早苗氏に対するオンライン上での「神格化」と見なされる現象は、安倍晋三元総理のそれと比較して、デジタル・ネイティブな政治言論空間の進化、特に「エコーチェンバー現象」の深化と、特定のイデオロギー的純粋性を求める層の固定化という点で、異なる性質と強度を持っている可能性が高いと考察します。 安倍元総理への支持が実績や長期政権の安定性、そして悲劇的な死による追悼の感情に支えられていたのに対し、高市氏への支持は、メディアとの緊張関係をも辞さない強固な保守思想と、ブレない政策姿勢が、より分極化したオンラインコミュニティにおいて極端な形で増幅されていると言えるでしょう。
この記事では、安倍元総理と高市氏のケースを比較し、現代のメディアとネット言論がどのように「神格化」現象を形成・増幅させているのかを、専門的な視点から深掘りしていきます。
1. 安倍元総理の「神格化」:悲劇とレガシーが織りなす追悼のカリスマ
安倍晋三元総理に対する「神格化」という言葉は、特にその突然の死後、彼の政治的評価に大きな影響を与えました。
安倍晋三銃撃事件(あべしんぞうじゅうげきじけん)は、2022年(令和4年)7月8日11時31分、奈良県奈良市の近畿日本鉄道(近鉄)大和西大寺駅北口付近にて、元内閣総理大臣の …
引用元: 安倍晋三銃撃事件 – Wikipedia
この悲劇的な出来事は、日本の政治史において前例のない衝撃を与え、多くの国民に深い悲しみと衝撃をもたらしました。政治社会学における「カリスマ的権威」の概念は、非日常的な資質を持つ個人に対する信奉を指しますが、安倍元総理の死は、その生前の実績に加え、「殉教者」的な要素を付加し、ある種の「追悼のカリスマ」を生み出しました。この現象は、個人の功績を称える自然な感情を超え、時に彼の政策や政治手法に対する冷静な批判的議論を抑制する傾向を生じさせました。これは「死者の美化」という心理的メカニズムが、政治的評価に影響を与える一例と言えるでしょう。
河瀬直美監督ドキュメント映画『東京2020オリンピックSIDE:B』には、なぜ「最も重要な人物」が1秒も映らないのかという話
引用元: 河瀬直美監督ドキュメント映画『東京2020オリンピックSIDE:B …
東京オリンピックのドキュメンタリー映画における安倍元総理の扱いは、彼の死後における評価の複雑さを象徴しています。「最も重要な人物」という表現は、彼が単なる一国のリーダーを超え、特定の歴史的文脈における象徴的な存在として認識され始めたことを示唆します。これは、歴史的偉人に対する「神格化」が、現代の政治家に対しても、特に悲劇的な背景を持つ場合に起こりうる現象であることを示しており、政治家のレガシー形成におけるメディアと社会心理の影響を浮き彫りにしています。安倍元総理のケースにおける「神格化」は、長期政権の実績と悲劇的な結末という、強力な二つの要因によって形成されたと言えるでしょう。
2. 高市氏の「神格化」:メディア批判とイデオロギー純粋性の増幅
高市早苗氏が「安倍時代より神格化されているのでは?」と感じさせる背景には、彼女のメディアに対する姿勢や、一貫した政策思想があります。これは、現代のデジタル言論空間において、特定の政治家がどのようにして熱狂的な支持を集めるかというメカニズムを解き明かす鍵となります。
例えば、高市氏は総務大臣時代、放送倫理・番組向上機構(BPO)の番組準則について、明確な法的見解を示しました。
質問に対して高市早苗総務大臣は,BPO が放送法第 4 条の番組準則につい. て,法的 … また安倍晋三総理大. 臣は,放送番組準則が法規であることを指摘した上で …
引用元: 創価大学社会学会
この発言は、メディアの自主規制機関であるBPOの法的性格について、政府の立場から強い見解を示したものです。これは、リベラルなメディアに対して批判的な立場を取る層にとって、「既存メディアの偏向報道に立ち向かう」政治家としての高市氏のイメージを強化しました。メディアに対する不信感が高まる現代において、このような姿勢は、特定の支持層にとって「ぶれない政治家」「既存勢力に臆しない政治家」としての魅力を際立たせ、結果的にその「神格化」を促進する要因となります。これは、政治家がメディアとの「対立」を演出することで、自身の支持基盤を固める「ポピュリズム的戦略」の一環とも解釈できるでしょう。
また、高市氏がテレビ出演を「10分前ドタキャン」したという報道も、その強気なキャラクターを象徴するエピソードとして語り継がれています。
【暴露】高市早苗「10分前ドタキャン」が示した“テレビ報道の見えない …
引用元: 河瀬直美監督ドキュメント映画『東京2020オリンピックSIDE:B …
この行動は、メディアに対する支配的な姿勢、あるいはメディアの枠組みに縛られない独立した政治家というイメージを、特定の支持層に強く印象付けました。現代の政治コミュニケーションにおいて、このような「異端児」的な振る舞いは、既存の政治やメディアに対する不満を抱える層の共感を呼び、カリスマ性を高める効果があります。これは、「政治家がメディアの支配から自由である」というメッセージを間接的に発信することで、自身の支持基盤を強化する戦略として機能すると考えられます。高市氏のケースにおける「神格化」は、彼女の明確なイデオロギー的スタンスと、それを実践するためのメディアとの緊張関係を辞さない姿勢が、特にオンライン空間で増幅された結果と言えるでしょう。
3. ネット言論が形成する「神格化」の心理:エコーチェンバーと二元論
「ネットの持ち上げられ方、不自然なんやが」という感覚は、現代のデジタル言論空間が「神格化」現象をどのように形成するかを理解する上で不可欠な視点を提供します。ここでいう「神格化」は、文字通りの宗教的崇拝ではなく、ある人物に対する評価が絶対的になり、その行動や発言への批判が困難になる状況、すなわち「批判不能な領域」が形成される状態を指します。
二宮金次郎の神格化の視点から見. た治水神・禹王と現代中国.
引用元: 地方史情報
歴史上の人物が「神格化」される過程が、功績の過大評価や伝説化、そして批判的視点の欠如によって形成されるのと同様に、現代の政治家に対する「神格化」もまた、特定の情報環境下で進行します。ただし、現代のそれは、情報技術に媒介された独特のメカニズムによって加速されます。
- 共鳴するエコーチェンバー現象とフィルターバブル: インターネット、特にソーシャルメディアは、アルゴリズムによってユーザーが自身の興味や既存の信念に合致する情報に接しやすくなる環境を作り出します。これにより、特定の政治家を支持する声が過度に大きく聞こえ、反対意見がシャットアウトされる「エコーチェンバー現象」や「フィルターバブル」が発生します。この環境下では、支持する政治家への疑義は排除され、賛美の声のみが増幅されるため、「神格化」が自然と進行します。
 - 情報源の偏り: ネット上には玉石混交の情報が溢れており、信頼性の低い情報源や偏った情報が容易に拡散されます。批判的思考を欠いた情報消費は、特定の政治家に対する一方的なポジティブイメージを形成しやすくなります。
 - 「敵か味方か」の二元論と感情の動員: 複雑な政治問題が、ネット上では「敵か味方か」という単純な二元論に還元されがちです。これにより、支持する政治家への批判は「敵からの攻撃」とみなされ、支持者による感情的な反発や「擁護」が自動的に発生します。この感情の動員は、批判を封じ、対象を「聖域化」する力学として作用します。
 - パラソーシャル・インタラクションの強化: ソーシャルメディアを通じて、ユーザーは政治家と直接コミュニケーションを取っているかのような錯覚(パラソーシャル・インタラクション)を抱きやすくなります。これにより、政治家に対する親近感や個人的な感情が強まり、批判的距離が失われ、「推し」文化のように絶対的な支持へと傾倒する心理が働くことがあります。
 
これらのメカニズムが複合的に作用することで、特定の政治家がネット上で過度に持ち上げられ、あたかも「神格化」されたかのように見える現象が生まれるのです。これは、デジタル言論空間が、伝統的な政治的カリスマを再定義し、その形成過程を加速させる可能性を示唆しています。
4. 安倍氏と高市氏、支持構造に見る「神格化」のグラデーション
安倍元総理と高市早苗氏では、その支持層や「神格化」のされ方に質的な違いが見られます。この違いは、デジタル言論空間における政治的リーダーシップの受容がいかに多様であるかを示唆しています。
安倍元総理の場合、長きにわたる政権運営の中で、「アベノミクス」による経済回復(とされた時期)や外交手腕(例えば「地球儀を俯瞰する外交」)など、具体的な政策実績を評価する層が厚く存在しました。彼のリーダーシップは、保守層を中心に、安定と経済成長を求める広範な支持を得ていました。しかし、その支持の背後には、特定の宗教団体との関係性が指摘されるなど、多角的な議論が必要な側面も存在しました。
統一教会側の … いずれも北朝鮮派の自民党員との関係が問. 題であり、少なくとも安倍氏との関係は知られていない。
引用元: 政治と宗教 メモ 嶋尾 稔 ・選挙事務所の人的支援:統一教会側の …
上記の慶応義塾大学の資料は、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)側の主張として、「安倍氏との関係は知られていない」と述べていますが、この文脈自体が、特定の政治家と宗教団体との関係が公的な議論の対象となり得ることを示しています。このような「関係性」に関する言説は、支持者にとっては無関係なものとして退けられる一方で、批判者にとっては「神格化」の不当性を主張する根拠となり、支持構造を複雑にする要因となります。安倍元総理への「神格化」は、その実績と、死後のレガシー形成、そして一部での批判を抑制する追悼の感情が融合した、多層的な現象であったと言えるでしょう。
一方、高市氏の場合、その支持は、より明確なイデオロギー的純粋性と、メディアとの対峙を厭わない強硬な姿勢に焦点を当てています。彼女の国家観、安全保障政策、そして放送メディアに対する明確な発言は、安倍元総理の保守路線をさらに先鋭化させたものとして、特定の保守層、特にネット右派と呼ばれる層から極めて熱狂的な支持を受けています。高市氏への支持は、単なる政策評価を超え、「ぶれない」「筋が通っている」といった人物像への傾倒が強い傾向にあります。この「ぶれない」姿勢は、不安定な社会情勢や多様な意見が交錯する中で、明確な方向性を求める人々にとって強い安心感を与え、彼女を「信念の政治家」として「神格化」させる要因となっています。
このように、安倍元総理の「神格化」が実績と悲劇に根差した「レガシー型」であるとすれば、高市氏のそれは、イデオロギーの純粋性とメディア批判を基盤とした「イデオロギー闘争型」と分類できるかもしれません。後者は、デジタル言論空間の分極化と強く連動しており、その強度は、特定のオンラインコミュニティ内では安倍元総理のケースを上回る「不自然さ」として認識されうる可能性があります。
5. 「神格化」の先に潜む、健全な議論の危機:民主主義的デリゲーションの障害
政治家が熱心に支持されることは、民主主義において国民の代表性が機能している証左であり、本来は健全なことです。しかし、それが批判や疑問の声が許されない「神格化」という形につながってしまうと、民主主義の根幹を揺るがす危機を招く可能性があります。
民主主義は、多様な意見が対話し、熟議(deliberation)を通じてより良い公共的意思決定を目指すプロセスを基盤としています。もし、特定の政治家が「聖域」のようになり、その政策や言動に疑問を呈することすら憚られるようになれば、以下のような重大なリスクが高まります。
- 政策検証の機能不全: 批判が許されない環境では、政策の欠陥や予期せぬ悪影響が見過ごされやすくなります。これは、より効果的で公正な政策形成を阻害し、結果的に社会全体の不利益につながる可能性があります。
 - 説明責任の希薄化: 政治家が「神格化」されると、支持者からの無条件の擁護によって、本来果たすべき説明責任が曖昧になりがちです。これにより、権力の濫用や不透明な意思決定が助長されるリスクがあります。
 - 言論空間の分極化と対話の喪失: 「神格化」された政治家を支持する層と、そうでない層との間に深い溝が形成され、建設的な対話が不可能になります。異なる意見を持つ者同士の相互理解が困難になり、社会全体の分断が深まります。
 - 「集団浅慮(グループシンク)」の誘発: 支持者集団内で批判が抑圧されることにより、同調圧力が強まり、「集団浅慮(groupthink)」と呼ばれる現象が発生しやすくなります。これは、より良い選択肢を見落とし、誤った判断を招く危険性があります。
 
このような状況を回避するためには、市民一人ひとりの情報リテラシーと批判的思考が不可欠です。
- 多角的な情報源の確保: 特定のメディアやSNSコミュニティだけでなく、異なる視点を持つ報道機関、学術論文、専門家の分析など、幅広い情報源から情報を得ることを心がけるべきです。
 - 批判的思考(Critical Thinking)の徹底: どんなに尊敬する人物の発言や、多数派の意見であっても、「本当にそうなのか?」「他にどんな証拠があるのか?」「別の解釈はないか?」と常に問い直し、論理的な根拠に基づいた判断を下す習慣を養うことが重要です。
 - 意見表明と対話の場の維持: 健全な民主主義のためには、異なる意見を持つ人々が互いに尊重しつつ、公共の場で議論し、意見を交換する場が維持される必要があります。批判を恐れず、しかし建設的な意図を持って意見を表明する勇気が求められます。
 
結論:問い続ける姿勢が拓く、より健全な言論空間
「高市早苗氏は安倍元総理より神格化されているのか?」という問いは、単なる比較論に留まらず、私たちの情報環境、そして民主主義の質そのものに対する深い洞察を与えてくれます。本稿は、高市氏への「神格化」が、デジタル言論空間の特性とより深く連動し、イデオロギー的な純粋性を求める層の固定化と分極化によって、安倍元総理のケースとは異なる形で強化されている可能性が高いと結論付けます。 安倍元総理の「神格化」が実績と悲劇に彩られたレガシーの側面を持つ一方で、高市氏のそれは、メディアとの対峙や明確なイデオロギー的姿勢が、オンラインの「エコーチェンバー」内で増幅され、より排他的な賛美を生み出していると言えるでしょう。
インターネットが普及し、誰もが情報の発信者・受信者となりうる現代において、特定の意見が過度に増幅され、客観的な視点が失われやすいというリスクは常に存在します。政治家に対する「神格化」は、彼らを単に人間離れした存在として祭り上げるだけでなく、彼らの政策や言動を冷静に評価し、時には批判する「市民的勇気」の喪失から始まります。
私たちは、情報に受動的に流されることなく、常に「なぜそう見えるのか?」「他にどんな可能性があるのか?」と問い続ける批判的思考の姿勢を持つことで、より豊かで開かれた議論ができる社会を築くことができるはずです。この問いかけが、皆さんの情報リテラシーを高め、現代社会における政治との関わり方をより深く考える一助となれば幸いです。健全な民主主義は、批判を恐れぬ市民の眼差しによって育まれるのです。
  
  
  
  

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