導入:怒りの不在という「物語的現象」の核心
「週刊少年ジャンプ」で連載中の『ONE PIECE』は、その壮大なスケールと緻密な世界観で、世界中の読者を魅了し続けています。物語の根幹をなす「天竜人」による絶対的な支配体制は、しばしば読者の倫理観に問いを投げかけ、激しい感情的反応を引き起こす要因となります。しかし、注目すべきは、彼らによる「先住民一掃大会」のような極めて非道な行為に対し、一部の読者からは「なぜか怒りがこみ上げてこない」という、一見矛盾した、しかし極めて興味深い意見が表明されている点です。本稿では、この「怒りの不在」という現象を、単なる読者の感性の問題として片付けるのではなく、物語論、社会心理学、そして「悪」の構造に関する専門的な視点から深掘りし、その核心に迫ります。結論から言えば、天竜人の非道な行為に対する怒りの不在は、読者が物語世界と現実世界との間に無意識的に設定する「物語的距離」、天竜人という存在が内包する「構造的悪」という特殊性、そして作品全体が提示する「解放への希望」という強力な期待感の複合的な作用によるものです。
1. 感情移入の障壁:遠隔された「異世界」という認識
読者が天竜人の非道な行為に対して直接的な怒りを感じにくい第一の理由として、「物語的距離」の存在が挙げられます。これは、単にフィクションであるという事実以上に、読者が物語世界をどのように認識し、自己と結びつけているかという心理的な問題に深く関わっています。
- 「異世界」という設定の機能: 『ONE PIECE』の世界は、物理法則、社会構造、さらには生命のあり方までもが我々の現実世界とは根本的に異なります。空に浮かぶ島々、超人的な能力をもたらす「悪魔の実」、そして「天竜人」という、文字通り「神」のごとく振る舞う特権階級の存在は、物語を強力なフィクションとして読者の意識に刻み込みます。これは、認知心理学における「スキーマ」の観点から見れば、読者が現実世界の倫理観や共感のメカニズムを、この異世界にそのまま適用することを躊躇させる要因となります。読者は、この非現実的な設定の中で描かれる出来事を、現実の社会問題や歴史的な悲劇とは異なる、「物語の論理」に従うものとして捉えがちです。
- 「自己と懸け離れた」事象としての認知(補足情報の分析): 引用されている「虐殺大会なんてあまりにも自分と懸」という読者の言葉は、この「物語的距離」を端的に表しています。これは、社会心理学における「自己関連性」の低さを示唆します。我々が不正義や暴力に対して強い怒りを感じるのは、それが自己の尊厳、安全、あるいは所属する共同体への脅威と認識される場合です。天竜人の「先住民一掃大会」は、その規模と非道さにおいて想像を絶しますが、読者個人の現実生活や直接的な経験とはあまりにもかけ離れた出来事として認識されます。この「自己との関連性の低さ」は、共感や怒りの感情が喚起されにくい、一種の心理的なバリアとして機能します。例えば、現実世界で近隣の不正義に対しては強い怒りを感じても、遠い異国の紛争に対しては比較的冷静でいられるのと同様のメカニズムです。
- 「物語的想像力」の特性: 『ONE PIECE』の読者は、しばしば「物語的想像力」に長けていると言えます。彼らは、この非現実的な世界観の中で繰り広げられる出来事を、純粋に物語として消費し、その展開に期待を寄せます。現実の倫理的判断や怒りを持ち込むことは、物語体験を損なうと無意識的に判断している可能性すらあります。
2. 「構造的悪」としての天竜人:単純な悪役像からの脱却と相対化
『ONE PIECE』における「悪」は、単純な善悪二元論では捉えきれない、極めて複雑な構造を持っています。天竜人の行為が直接的な憎悪の対象となりにくいのは、彼らが「個人」としての絶対的な悪ではなく、「特権階級」という「構造」の体現者であるという側面が強いためです。
- 「悪」のシステム的起源: 天竜人の非道な行為は、彼らの個人的な嗜好や残虐性からのみ生じているわけではありません。それは、800年前に遡る「空白の100年」に端を発する、世界政府が構築した「秘密」と「権力」のピラミッド構造の頂点に位置することに起因します。「世界貴族」という絶対的な地位、そして「聖地マリージョア」という神聖視された空間に守られた彼らは、自らの行いがもたらす倫理的・道徳的な帰結について、現実世界では想像もつかないほど鈍感になっています。これは、社会学における「権力と被権力」の関係性、特に、絶対的な権力がいかに人々の道徳観や判断能力を歪めるかという議論に類します。彼らの「悪」は、個人の責任というよりも、その特権的な立場とそれを維持するためのシステムが生み出した、一種の「副作用」と捉えることも可能です。
- 「悪」の相対化と多層化: 『ONE PIECE』の世界には、天竜人以外にも、腐敗した海軍、独自の正義を掲げる革命軍、そして頂点を目指す四皇など、様々な立場の勢力が登場します。それぞれの勢力は、自らの目的や信念に従って行動しており、その中には天竜人の非道さを間接的に、あるいは直接的に批判する者もいます。例えば、一部の海兵や、世界政府の暗部を知る者たちの葛藤は、天竜人の「悪」を相対化し、物語世界をより複雑な様相にしています。読者は、単一の「悪」に感情を集中させるのではなく、様々な勢力の思惑や行動の対比の中で、天竜人の存在を相対的に評価するようになります。
- 「嫌いじゃない」という感情の分析(補足情報の分析): 「天竜人別に嫌いじゃないんだよね」という読者の意見は、この「構造的悪」への興味と、キャラクターとしての魅力の表れと解釈できます。彼らの行為は許しがたいとしても、その歪んだ価値観、特権階級特有の傲慢さ、そして「奴隷」や「下々」を差別する独特の言動は、ある種の「キャラクター性」として読者の興味を引きます。これは、文学やドラマにおいて、人間的な欠陥や社会的な歪みを抱えたキャラクターが、悪役でありながらも読者や視聴者の記憶に残るのと同様の現象です。彼らは、単なる「悪」としてではなく、「特権階級」という極端な社会階層が生み出した「存在」として、ある種の分析対象、あるいは「物語の歯車」としての側面を帯びているのです。
3. 「解放への期待」というカタルシス:物語の力学と読者の希望
『ONE PIECE』の読者が天竜人の非道な行為に怒りを抑え、むしろ物語の進展に期待を寄せるのは、作品全体が根底に持つ「自由への渇望」と「抑圧からの解放」というテーマに強く共鳴しているからです。
- 「いつか打破される」という物語への信頼: ルフィたちの冒険は、単なる宝探しや名声の追求ではありません。それは、既存の不条理な世界体制、すなわち「圧政」や「差別」に挑戦し、それを変革していくプロセスそのものです。読者は、ルフィたちが海賊王になるという目標に向かって進む過程で、天竜人による支配体制のような、物語世界における「悪しき構造」が、いつか彼らによって打ち破られるだろうという強い信頼感を抱いています。この「物語への信頼」は、現実世界で不正義に直面した際の無力感とは異なり、希望に基づいた期待感となります。
- 「解放」というカタルシスへの希求: 天竜人による「先住民一掃大会」のような悲劇的な出来事は、読者に深い悲しみや怒りを抱かせます。しかし、『ONE PIECE』の魅力は、そうした悲劇を乗り越えた先に描かれる、圧政からの「解放」や「希望」の光です。読者は、単に天竜人を断罪する感情に留まらず、ルフィたちがその支配を覆し、抑圧された者たちを解放する瞬間を、物語のクライマックスとして心待ちにしています。これは、心理学でいう「カタルシス」のメカニズムに似ています。悲劇的な出来事を通して感情を揺さぶられることで、最終的な解放の瞬間に、より大きな感動と解放感を得ることができるのです。怒りを直接ぶつけるのではなく、物語の結末への期待という形で昇華させていると言えます。
- 「構造変革」という主題への共感: 『ONE PIECE』は、単なる勧善懲悪の物語ではありません。それは、800年続く世界の歪みを正し、新たな時代を創造するという、より根源的な「構造変革」を主題としています。読者は、天竜人のような「構造的悪」が、ルフィたちの行動によってどのように崩壊していくのか、そしてその後にどのような世界が生まれるのか、という物語の「発展」そのものに強い関心を持っています。
4. 表現の巧妙さ:感情を刺激しつつも、深層心理への配慮
作者である尾田栄一郎先生の筆致は、残酷な描写も辞さない一方で、読者の感情の暴走を防ぎ、物語への没入感を高めるための巧妙な配慮が随所に見て取れます。
- 「描写」の強度と「距離」の維持: 天竜人の非道な行為は、読者に衝撃を与えるために詳細に描写されます。しかし、その描写は、しばしば「物語的符号」や「比喩」を伴うことで、読者の感情が直接的かつ過剰に煽られすぎるのを防いでいる側面もあります。例えば、彼らの奇妙な服装や、理不尽な言動は、読者に「異質さ」を強く意識させ、現実世界の犯罪行為とは異なる、物語特有の「異物」として認識させます。また、直接的な暴力描写よりも、それがもたらす「支配」や「不条理」といった概念に焦点を当てることで、読者は行為の「結果」や「意味」について考察するようになり、感情移入の度合いをコントロールしやすくなります。
- 「キャラクター」としての天竜人: 天竜人は、単なる「悪の象徴」として描かれているわけではありません。彼ら一人ひとりに、独特の性格、価値観、そして弱点すら与えられています。その傲慢さや無知ゆえの滑稽さ、あるいは内部での権力闘争などは、彼らを「キャラクター」として魅力的にし、読者の感情を複雑化させます。彼らの行為に怒りを感じる一方で、その「キャラクター性」ゆえに、どこか客観的に、あるいは興味深く見守ることができるのです。これは、文学における「悪役」が、その人間性や複雑さゆえに読者の記憶に強く残るのと同様の現象です。彼らは、単なる「敵」ではなく、物語世界を構成する「要素」として機能しているのです。
結論:怒りを超えた「物語的受容」と「解放への希望」
「天竜人による先住民一掃大会」のような、現実世界ならば激しい怒りを引き起こすであろう非道な出来事に対して、『ONE PIECE』の読者が直接的な憎悪や怒りを感じにくいのは、単に物語のフィクション性だけでは説明できない、「物語的距離」の確立、天竜人の「構造的悪」としての特異性、そして作品全体が提示する「解放への希望」への強い期待感という、多層的な心理的・構造的要因が複合的に作用しているからに他なりません。
読者は、天竜人の行為を、現実の社会問題のように個人的な感情で断罪するのではなく、壮大な物語の文脈の中で、その存在意義や、ルフィたちによってもたらされるであろう「構造変革」と「解放」の瞬間を、静かに、しかし確固たる期待感を持って待望しているのです。これは、『ONE PIECE』という作品が、読者の感情を巧みに揺さぶりながらも、単なる怒りや憎悪といった表層的な感情に留まらせず、より深い物語のテーマや、希望、そして「世界を変える力」への共感へと導く、その深遠なる物語構築力と、読者の「物語的受容」能力の証と言えるでしょう。この「怒りの不在」は、むしろ、作品が読者にもたらす、よりポジティブで、未来志向的な感情体験の豊かさを示唆しているのかもしれません。
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