冒頭:日本代表が「個の力」を忘れた時、敗北は必然となる
2025年9月10日(日本時間11日)、サッカー日本代表がアメリカ代表に0-2で敗れた国際親善試合は、2026年ワールドカップ(W杯)に向けた強化の現状を浮き彫りにしました。しかし、この敗北を単なる戦術的なミスやシステムの問題に矮小化することは、日本サッカーが長年抱える根源的な課題を見誤る危険性を孕んでいます。サッカー評論家のセルジオ越後氏は、この試合結果を機に、戦術論に終始するのではなく、選手一人ひとりが持つ「個の力」、とりわけ「ドリブル」という本質的な武器の重要性について、再び警鐘を鳴らしています。本稿は、越後氏の鋭い指摘を深掘りし、日本代表が真に世界の強豪と渡り合うために不可欠な「個の力」の再定義と、その最たる表現であるドリブルに隠された真実を、専門的な視点から徹底的に解き明かしていきます。結論から言えば、日本代表の強化の鍵は、複雑なシステム構築よりも、選手個々が「勝負」できる環境と意識の醸成にあり、その象徴が、本来持つべきドリブルの積極性なのです。
敗因分析の射程:システム論の限界と「個の勝負」の本質
今回の日本代表の敗戦に対し、メディアやファンの間では、前半の3バックから後半の4バックへのシステム変更、あるいは選手起用に関する議論が加熱しました。しかし、セルジオ越後氏が問題視するのは、こうした表層的な戦術論ではなく、試合の根幹をなす「11対11の個の勝負」における日本の劣勢です。越後氏の「サッカーは11人と11人の勝負、個の勝負なんだ。システムで勝負するのは二の次、まずは個の力で勝つんですよ」という言葉は、現代サッカーが陥りがちな、組織論や戦術論への過度な依拠に対する痛烈な批判であり、同時に、本来のサッカーの在り方への回帰を促すものです。
専門的視点からの深掘り:
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「個の力」の定義と現代サッカーにおける位置づけ:
- 越後氏が言う「個の力」とは、単に個人の身体能力や技術レベルに留まりません。それは、状況判断力、創造性、プレッシャー下での決断力、そして何よりも「勝負」を仕掛ける勇気といった、複合的な能力を指します。
- 現代サッカーは、高度な組織化と戦術遂行能力が重視される傾向にありますが、これは、個々の選手の能力が拮抗した状況下で、組織的な優位性を最大限に引き出すための戦略です。しかし、個の能力で劣る場合、どれだけ優れたシステムを構築しても、それは「土台のない高層ビル」となりかねません。
- 例えば、バルセロナの「ティキ・タカ」は、個々の創造性と高いパス交換能力(個の力)が基盤にあり、それを組織として昇華させた例です。一方、個の能力が突出した南米のチーム(例:ブラジル、アルゼンチン)は、個の打開力からチーム全体の攻撃が生まれる典型と言えます。今回の日本代表は、欧州型の組織的なパスサッカーへの対応力は見せても、個の剥離や創造性で局面を打開する力、あるいは相手の個の打開を無力化する個の守備力で、アメリカ代表に後れを取ったと分析できます。
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システム論への過信がもたらす「個の抑制」:
- システム論に偏重する指導は、選手に「与えられた役割」を遂行することのみを求め、自律的な判断や創造的なプレーを抑制する可能性があります。例えば、「守備時はここにポジションを取る」「パスコースは限定する」といった指示が、選手個人の「この局面ならドリブルで打開できる」という判断を鈍らせることも考えられます。
- これは、サッカーにおける「創造性(Creativity)」と「規律(Discipline)」のバランスの問題でもあります。規律は組織の根幹を成しますが、創造性がなければ、相手の予測を超えるプレーは生まれず、戦術は容易に分析・対策されてしまいます。
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「1対1」の攻防におけるデータ分析:
- 実際の試合データを見ても、1対1のデュエル(ボールを奪い合う、あるいはドリブルで仕掛ける攻防)の勝率や、それによって生まれるチャンスメイクの頻度は、チームの攻撃力に直結します。アメリカ代表は、身体能力を活かしたパワフルな1対1で局面を打開する場面が目立ちました。日本代表がそれに対し、後手を踏んだり、ファウルで対応せざるを得なかったりしたことは、個の局面での対応力の差を示唆しています。
ドリブルの再定義:攻撃の起点、ファウル誘発、そして「勝負」の哲学
セルジオ越後氏が特に危惧するのは、伊東純也選手や三笘薫選手といった、本来ドリブルで局面を打開できるはずのタレントに、その「武器」を振るう機会が減っていることです。越後氏の「彼らのプレーのスタイルを出さないと、ファウルももらえないでしょ。今のシステムが選手の特長を生かせていないの? それだったら考えないと。もっとドリブルで勝負していいよ」という言葉は、単なる技術論ではなく、選手が持つポテンシャルを最大限に引き出すための戦術的・哲学的な問いかけです。
専門的視点からの深掘り:
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ドリブルの多機能性と攻撃における重要性:
- 局面打開と数的優位の創出: ドリブルは、相手選手を一人あるいは複数抜き去ることで、攻撃側の数的優位を作り出します。これは、パスサッカーが機能しない、あるいは相手が高度なブロックを形成している状況で、攻撃の糸口を見出す極めて有効な手段です。
- ファウル誘発とセットプレー獲得: 相手選手がドリブル突破に対してファウルを犯すことは、攻撃側にとってフリーキックやペナルティキックの獲得につながります。これは、得点の機会を増やすだけでなく、相手にカード(警告・退場)によるリスクを負わせる戦術的な効果も持ちます。
- 相手守備組織の崩壊: 卓越したドリブルは、相手守備陣に予測不能な動きを強いるため、守備組織のバランスを崩し、他の攻撃参加選手にスペースを生み出します。
- 心理的効果: 相手選手にとって、ドリブルで翻弄されることは、精神的なプレッシャーとなります。逆に、ドリブルを仕掛けられる選手は、自信を持ってプレーできるようになります。
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伊東・三笘選手に「勝負」が減った背景の多角的分析:
- 怪我のリスク回避: 越後氏も示唆するように、過去の怪我、特に靭帯損傷などは、選手に「無理なプレーは避けよう」という意識を無意識のうちに植え付ける可能性があります。しかし、サッカーにおける「勝負」は、ある程度の「リスク」を伴うものです。そのリスクを極端に避けることは、結果として、相手に「怖がらせる」要素を失わせることになります。
- チーム戦術との整合性: 現在の日本代表のシステムや戦術が、伊東・三笘選手のような「個」で打開する選手を、どのように組み込んでいるのかは重要な論点です。もし、戦術が「ボールを保持し、組織的に崩す」ことを最優先し、ドリブル突破を「個人の独断専行」と見なすような風潮があれば、彼らは躊躇するでしょう。また、守備のタスクが過度に課せられている場合、攻撃に専念する余裕も失われます。
- 相手チームの対策: 現代サッカーでは、個のタレントに対する徹底的な分析と対策が講じられます。彼らのドリブルコースを塞ぐ、あるいは二人掛かりで対応するといった対策は容易であり、それゆえに、単なる「仕掛け」だけでは通用しにくくなっている側面もあります。しかし、だからこそ、相手の予測を超える「質」や「タイミング」での仕掛けが求められるのです。
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「ミスを恐れて挑戦しないのは意味が分からない」という哲学:
- 越後氏のこの言葉は、アスリートに不可欠な「挑戦心」を強調しています。ドリブルの成功率は100%ではありません。しかし、50%の成功率であっても、その「仕掛け」自体が相手にプレッシャーを与え、チームの攻撃を活性化させるのです。成功率が低くても、相手が「仕掛けてくるかもしれない」と警戒するだけで、守備組織の集中力は分散され、他の選手がフリーになる可能性が高まります。
- これは、確率論的な視点からも重要です。例えば、10回仕掛けて5回成功するなら、それは単にボールを失うリスクだけでなく、5回の成功によるチャンスメイク、4回のファウル獲得、そして5回の「仕掛け」による相手の消耗という、複合的なリターンを生み出しているのです。
日本サッカーが「個の力」を真に磨くために:育成からトップチームまで
日本代表が世界の頂点に立つためには、システム論に終始するのではなく、「個の力」をいかに高め、それを最大限に引き出すかという根本的な課題に取り組む必要があります。これは、育成年代からトップチームに至るまで、一貫した視点で行われなければなりません。
専門的視点からの考察と提案:
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育成年代における「個」の尊重と「挑戦」の奨励:
- クリエイティビティを育む指導: 少年サッカーから、型にはまったプレーではなく、選手一人ひとりのアイデアや創造性を引き出す指導が不可欠です。ドリブル、1対1、そして「なぜそうしたのか」という思考プロセスを重視するべきです。
- 「失敗」を「学び」に変える環境: 育成年代においては、失敗を恐れずに様々なプレーに挑戦できる環境が重要です。指導者は、失敗した選手を叱責するのではなく、そのプレーから何を学べるのかを共に考え、次に繋げるサポートを行うべきです。
- 多様なプレースタイルの許容: 育成年代から、異なるプレースタイルを持つ選手を認め、それぞれの強みを活かすための指導法を導入することが重要です。例えば、パスサッカーだけでなく、ドリブルで打開する選手、ロングボールを効果的に使う選手など、多様な才能を育成する必要があります。
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トップチームにおける「個」を活かす戦術設計と選手起用:
- 選手の特性を最大限に活かすシステム: 監督やコーチングスタッフは、選手の個性を理解し、その強みを最大限に引き出すためのシステムや戦術を設計する必要があります。伊東選手や三笘選手のようなドリブラーには、彼らが自信を持って仕掛けられるような、より自由度の高い、あるいはサポート体制の整った環境を提供すべきです。
- 「仕掛け」を奨励するコーチング: 試合中のコーチングにおいても、「もっと仕掛けろ」「1対1で行け」といったポジティブな声かけが重要です。選手が「仕掛ける」ことへの心理的ハードルを下げることで、本来持っている力を引き出します。
- データ分析の活用: 1対1のデュエルの勝率、ドリブル成功率、それによって生まれたチャンスの数などを分析し、選手の強み・弱みを客観的に把握することは有効です。しかし、そのデータのみに囚われず、選手の「ポテンシャル」や「向上意欲」といった定性的な要素も加味した評価が不可欠です。
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「個の力」と「組織」の融合:
- 「個の力」を重視するからといって、組織論を軽視するわけではありません。むしろ、個々の選手の能力が最大限に発揮された結果、組織としての力も増強されるのです。優れた個の能力が、組織的な守備や連携の前提となり、より高度な戦術遂行を可能にします。
- 例えば、ドリブルで突破した選手が、味方にパスを出して決定機を演出する、あるいは相手を引きつけて味方にスペースを提供する、といった「個」と「組織」の連携が、理想的なサッカーと言えるでしょう。
結論:個の輝きこそが、日本サッカーの未来を切り拓く灯火となる
今回のセルジオ越後氏の提言は、日本代表の直面する課題、そして日本サッカー全体の育成論に、改めて根本的な問いを投げかけています。システムや戦術は、あくまで個々の選手の能力を最大限に引き出すための「道具」であり、それ自体が目的となってはなりません。伊東選手や三笘選手のような、世界に通用する才能を持つ選手たちが、本来の輝きを取り戻し、自信を持って「個」で勝負できるようになること。そして、それがチーム全体の力となること。この「個」の輝きこそが、日本代表が真の強国へと成長するための、最も確実で、そして最も観る者を楽しませる道筋なのです。
W杯本番を目前に控えた今、日本代表は、システム論の迷宮から脱却し、「個の力」という原点に立ち返るべき時です。選手一人ひとりが、自身の「武器」を信じ、恐れずに「勝負」を挑む。その挑戦の先に、日本サッカーの明るい未来が切り拓かれることを、私たちは期待せずにはいられません。
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