2025年9月2日
2025年8月14日、北海道・羅臼岳で発生した痛ましいヒグマ襲撃事故は、尊い一命を奪い、多くの人々に衝撃を与えています。この悲劇の原因究明が急務となる中、知床財団が9月1日に発表した調査続報は、事故発生の約2週間前、7月29日に事故現場となった岩尾別地区でヒグマへの餌付けが疑われる事案が発生していたことを明らかにしました。この事実は、単なる偶発的な遭遇という範疇を超え、人間の活動が野生動物の生態に与える深刻な影響、そしてその結果として生じうる悲劇的な結末を示唆しています。本記事は、この餌付けの疑いという新たな情報が、事故の根源的な要因をどのように解き明かすのか、そして私たちが野生動物と安全に共存していくために、生態学的な知見に基づき、どのような警鐘を鳴らし、対策を講じるべきかを深く掘り下げて論じます。
事故前の不穏な兆候:餌付けが招く「馴化」と「依存」という悪循環
知床財団の報告書で示された、事故現場である羅臼岳岩尾別地区における7月29日の餌付け疑い事案は、今回の事故の背景に潜む、より根深い問題を示唆しています。現時点では、この餌付け事案と男性を襲った個体との直接的な関連性は断定されていませんが、生態学的な観点から、この「疑い」は極めて重要な意味を持ちます。
野生動物、特にヒグマのような知能が高く学習能力に富む種にとって、人間が提供する食料は、自然の採食行動を大きく凌駕する「低コスト・高カロリー」なエネルギー源となります。一度このような「楽な餌」の存在を学習すると、彼らは自然の採食(すなわち、季節に応じた植物や昆虫、魚類などを探す行動)よりも、人間が提供する場所や方法を優先するようになります。これは「馴化(じゅんか:Habituation)」と呼ばれる現象であり、本来人間を警戒すべき野生動物が、その警戒心を失い、人間を「餌をくれる存在」あるいは「脅威ではない存在」として認識するようになるプロセスです。
さらに、馴化が進むと、彼らは人間への「依存」を強めていきます。自然界での食料調達の困難さ(例えば、特定の食料源の不足や、自然環境の変化による採食機会の減少)と、人間からの餌という「確実な供給源」が結びつくと、彼らはより頻繁に人里や登山道、キャンプ場などの人間の生活圏に近づくようになります。この行動変化は、人間とヒグマとの遭遇機会を飛躍的に増加させるだけでなく、ヒグマが人間を恐れないため、人間側が不意を突かれるリスクを著しく高めます。
問題は、この餌付けが単発の行為で終わらないことです。一度人間が提供する餌に慣れた個体は、その「学習」を次の世代に伝えたり、あるいは同じ地域で活動する他の個体にも影響を及ぼしたりする可能性も指摘されています。今回の事故で襲った個体が、2025年度も5月頃から岩尾別地区で目撃情報が寄せられていたこと、そして事故現場周辺で活動していたことは、この個体がすでに地域に定着し、人間の存在に慣れていた可能性を示唆しています。餌付けの疑いがある事案は、このような個体の行動パターンをさらに助長し、人間への警戒心を低下させる「触媒」となった可能性は否定できません。
救助を待つ友人の証言:行動生態学が示唆する「加害個体」の特定と「遭遇」のメカニズム
被害男性の友人の証言も、事故の様相を理解する上で極めて重要です。事故発生直後、友人が救助を待っていたオホーツク展望で登山道を下ってくるヒグマを目撃したという事実は、襲撃した個体が事故現場周辺に留まっていたことを強く示唆しています。知床財団が、目撃されたヒグマの体サイズなどの情報から「加害個体と同一である可能性」を示したことは、行動生態学的な観点からも多くの情報を提供します。
ヒグマの行動範囲(ホームレンジ)は、個体や性別、季節、そして何よりも「食料の供給源」によって大きく変動します。もし、岩尾別地区に餌付け行為があったとすれば、その餌を求めてその個体が当該地区に頻繁に出没していた可能性は極めて高いと言えます。さらに、ヒグマの視覚は人間ほど優れていませんが、聴覚や嗅覚は非常に発達しており、人間の気配や食料の匂いに敏感に反応します。
この友人の証言と餌付けの疑いを組み合わせると、以下のようなシナリオが想定されます。
- 餌への慣れと接近: 餌付けによって人間への警戒心を失ったヒグマが、岩尾別地区で人間の活動(登山者など)に慣れていました。
- 偶発的な遭遇: 登山中の男性が、餌付けされた個体、あるいは餌付けの現場近くを通りかかった個体と遭遇しました。
- 警戒心の低下と攻撃行動: 警戒心を失っていたヒグマは、人間を脅威と認識せず、むしろ自身のテリトリーや食料源を侵害する存在と誤認したか、あるいは不意の接触によって驚いて攻撃行動に出た可能性があります。特に、ヒグマは人間が想定する以上に機敏であり、一度攻撃を開始するとその勢いは凄まじいものがあります。
ここで重要なのは、「加害個体」がどのような背景を持っていたのかを正確に把握することです。その個体が、地域に本来生息する野生個体であったのか、それとも餌付けによって行動が変化した個体であったのかは、今後の対策を立案する上で決定的に重要となります。
野生動物との共存という「社会的契約」:人間の責任と「境界線」の維持
今回の羅臼岳での悲劇は、自然の雄大さの裏に潜む厳しさ、そして人間と野生動物が共存していく上で、私たちが守るべき「境界線」の重要性を浮き彫りにしています。野生動物との共存は、単に彼らがそこにいることを許容するだけでなく、彼らの生態系を尊重し、彼らの自然な行動を維持できるよう、人間側が主体的に配慮する「社会的契約」とも言えます。
餌付けの根絶:科学的根拠に基づく断固たる措置
「餌付けは絶対にしない」という原則は、野生動物保護の根幹をなすものです。これは単なる道徳的な観点だけでなく、厳然たる生態学的な理由に基づいています。
- 生態系への影響: 人為的な食料供給は、本来その個体が依存すべき自然の食料源へのアクセスを阻害し、種全体の生物多様性や食料網のバランスを崩壊させます。
- 行動変容とリスク増大: 先述の馴化と依存を招き、人間との遭遇リスクを劇的に高めます。これは、ヒグマだけでなく、サル、シカ、鳥類など、多くの野生動物に共通する問題です。
- 法的・倫理的責任: 多くの国や地域で、野生動物への餌付けは法律で禁止されています。これは、野生動物の福祉と、人間社会の安全の両方を守るための措置です。
知識と準備:リスク管理の徹底
登山やアウトドア活動におけるリスク管理は、事前の知識と準備にかかっています。
- 現地情報の収集: 登山口やビジターセンターなどで、最新のヒグマの目撃情報や注意喚起を確認することは基本中の基本です。
- クマ鈴の有効性: クマ鈴の音は、ヒグマに人間の存在を事前に知らせ、意図しない遭遇を防ぐ効果があります。ただし、あまりにも人の多い場所や、風のない静かな場所では効果が限定的になることもあります。
- 単独行動の回避: 複数人で行動することで、ヒグマへの遭遇リスクを減らすだけでなく、万が一の事態に際しても、互いを助け合うことができます。
- 「クマ撃退スプレー」の携帯と使用方法の習熟: これは、最終手段として有効な防御策です。その効果的な使用方法を事前に学び、いつでも取り出せるように準備しておくことが重要です。
遭遇時の冷静な対応:パニック回避と「退避」の原則
万が一ヒグマに遭遇した場合、最も重要なのは「冷静な対応」です。
- 静かに後退: ヒグマを刺激しないよう、ゆっくりと、静かに、目線を合わせずに後退します。走って逃げることは、ヒグマの捕食本能を刺激する可能性があります。
- 姿勢を低く: ヒグマの視覚は、人間の腰から下にあるものに反応しやすいという説もあります。地面に伏せたり、しゃがみ込んだりする姿勢は、自分を小さく見せる効果があるかもしれません。
- 「死んだふり」は状況による: ヒグマの種類や状況によっては、防御的な攻撃(噛みつきや爪での攻撃)を受けた際に「死んだふり」が有効な場合があります。しかし、これはあくまで状況判断であり、常に有効とは限りません。
結論:科学的知見に基づいた「境界線」の再確認と、持続可能な共存への道筋
今回の羅臼岳ヒグマ襲撃事故は、餌付けの疑いという新たな事実を提示し、人間と野生動物との関係性における、より深いレベルでの課題を浮き彫りにしました。餌付けという人間の軽率な行動は、野生動物の本来の生態を破壊し、彼らの警戒心を鈍らせ、結果として人間と野生動物双方にとって、取り返しのつかない悲劇を引き起こす可能性を秘めています。
知床財団をはじめとする関係機関による原因究明と再発防止策の検討は、まさにこの「境界線」をどのように再定義し、維持していくのかという、根本的な問いに直面しています。我々一人ひとりが、野生動物を単なる「見物対象」や「資源」としてではなく、地球という生態系の中で共存する「生命体」として尊重し、彼らの自然な生態と行動範囲を最大限に守る努力を怠ってはなりません。
今後、野生動物との共存をより確実なものとするためには、科学的な知見に基づいた教育・啓発活動の強化、餌付け行為に対する一層の厳格な監視と罰則、そして遭遇リスクを低減するためのインフラ整備(例えば、効果的なフェンスの設置や、登山道への注意喚起サインの充実など)が求められます。羅臼岳の悲劇を、野生動物との「共存」という名の「社会的契約」を、より強固なものにするための転機と捉え、我々自身が、自然への敬意と責任ある行動を徹底することが、未来への唯一の道筋となるでしょう。
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