2025年8月11日、依然として厳しい暑さが続く日本列島において、大手飲料メーカー各社が「これまでにない低温」での飲料提供を競い合う動きが加速しています。ビールの喉越しから、夏特有の清涼飲料水への需要まで、飲料消費は気温と密接な関係にありますが、なぜ今、飲料メーカーは「低温化」にこれほど注力しているのでしょうか。本稿では、その背景にある消費者の心理、技術的革新、そして安全管理の課題を、最新の事例を紐解きながら専門的な視点から深掘りします。結論から言えば、飲料メーカーの「低温化」戦略は、単なる温度の追求に留まらず、消費者の五感を刺激し、素材本来のポテンシャルを最大限に引き出し、かつ安全性を担保するという、高度に洗練されたマーケティングとテクノロジーの融合なのです。
1. 「究極の冷たさ」は「至高の美味しさ」へ:感覚科学に基づく温度戦略
消費者が猛暑時に求めるのは、「喉の渇きを潤す」という生理的欲求だけでなく、「心身のリフレッシュ」という感覚的体験です。この体験において、「冷たさ」は最も直接的かつ強力なトリガーとなります。「あー、喉乾いた!」「とりあえず、冷たいものが飲みたい!」という無意識の欲求に、飲料メーカーは最新の知見をもって応えようとしています。
特に、伊藤園が9月9日(月)に新発売する「TULLY’S COFFEE AROMA ESPRESSO」シリーズ(カフェラテ、クリアブラック、ノンシュガーラテ)は、この「冷たさ」を極限まで追求した商品開発の好例と言えるでしょう。
「TULLY’S COFFEE AROMA ESPRESSO カフェラテ」「同 クリアブラック」「同 ノンシュガーラテ」を、9月9日(月)に新発売 | ニュースルーム | 伊藤園 企業情報サイト
引用元: 「TULLY’S COFFEE AROMA ESPRESSO カフェラテ」「同 クリアブラック」「同 ノンシュガーラテ」を、9月9日(月)に新発売
ここで注目すべきは、単に「冷たくする」のではなく、「香りを最大限に引き出す」ための特定の温度設定が想定されている可能性です。コーヒーにおけるアロマ成分は揮発性が高く、温度が上昇すると急速に飛散してしまいます。逆に、過度に冷やしすぎると、フレーバー分子の運動エネルギーが低下し、味覚受容体への刺激が弱まることで、風味が感じにくくなる「マスキング効果」が生じることもあります。したがって、このシリーズは、コーヒー豆の持つ複雑なアロマ(芳香)と、口に含んだ瞬間の「ガツンとくる冷涼感」との最適なバランス点を探求した結果、特定の「低温」が選ばれていると推測できます。これは、感覚科学、特にフレーバーリリースと温度の関係性に関する深い理解に基づいた、高度な温度設計と言えるでしょう。
2. 「低温密閉抽出」が拓く、鮮度と繊細な風味の世界
飲料メーカーの低温化への取り組みは、単に「冷やす」という物理的な操作に留まりません。素材の持つポテンシャルを最大限に引き出すための革新的な製造技術も登場しています。アイリスオーヤマが緑茶飲料事業に参入し、「朝に飲むなら、アイリスのお茶 綠(りょく)」を2025年6月2日より発売したことは、その代表例です。
当社は、新たに緑茶飲料事業に参入し、渋みと苦みが少なく甘みのある味わいで、すっきり飲める「アイリスのお茶 綠(りょく)」を2025年6月2日よりインターネットサイトや全国のスーパーマーケット、ホームセンターなどで順次発売します。
引用元: アイリスオーヤマ、新たに緑茶飲料事業に参入! 朝に飲むなら、「アイリスのお茶 綠(りょく)」新発売 吉沢 亮さん出演の新TVCMを6月2日より全国放送開始
この商品の鍵となるのが、「低温密閉抽出製法」です。緑茶の繊細な風味、特に甘みや旨味は、高温で抽出するとタンニンやカテキンといった渋み・苦み成分が過剰に溶出しやすくなる傾向があります。一方、低温でじっくりと時間をかけて抽出することで、これらの渋み・苦み成分の溶出を抑制しつつ、アミノ酸などの甘み・旨味成分を効果的に引き出すことが可能になります。これは、茶葉の細胞壁構造を考慮した、抽出効率と成分バランスを最適化する技術であり、まるで「早朝の露に濡れた茶葉から、その瑞々しさを失わずに成分を丁寧に吸い出す」かのようなイメージです。
「渋みと苦みが少なく甘みのある味わいで、すっきり飲める」という特徴は、まさにこの低温抽出法によって実現されたものであり、「朝の目覚め」というコンセプトにも合致する、繊細な風味プロファイルを作り出しています。この「低温」は、茶葉本来が持つフィトケミカル(植物由来の化学物質)の特性を理解し、それを最大限に活かすための、メーカーの高度な加工技術の証と言えるでしょう。
3. 「低温」の落とし穴:安全管理における温度の極めて高い重要性
しかし、「低温」への追求は、常に順風満帆とは限りません。製造プロセスや流通段階での不適切な温度管理は、予期せぬ問題を引き起こす可能性があります。東海牛乳で発生した、約220万本もの乳飲料の自主回収事案は、その深刻な事例です。
乳飲料メーカー「東海牛乳」(岐阜県神戸町)は10日、本社工場で製造した「味わいらくのう牛乳」や「酪農牛乳」などを追加で自主回収すると発表した。約220万本が対象。本社工場も自主的に一時休止するという…
引用元: 東海牛乳、追加で自主回収220万本 「低温菌」影響か、工場も休止:朝日新聞
原因として「低温菌」の影響が疑われている、という点は極めて重要です。低温殺菌(Low-Temperature Pasteurization, LTLT)は、一般的に63~65℃で30分間加熱する殺菌法であり、高温殺菌(High-Temperature Short-Time pasteurization, HTST)に比べて熱による風味の変化が少ないという利点があります。関牛乳株式会社が「あんしん、おいしい、低温殺菌」を標榜しているように、この殺菌法自体は、品質保持において有効な手段です。
関牛乳株式会社|岐阜県関市 – あんしん、おいしい、低温殺菌…
引用元: 関牛乳株式会社|岐阜県関市 – あんしん、おいしい、低温殺菌…
しかし、問題は殺菌後のプロセスにあります。低温殺菌された食品は、一般的に「低温菌(Psychrotrophic bacteria)」と呼ばれる、比較的低い温度(0~44℃程度)でも増殖可能な細菌に対して、より脆弱になる場合があります。これらの菌は、熱に弱いものの、殺菌工程を生き延びたり、殺菌後に二次汚染したりすることで、製品内で増殖し、品質劣化や、稀に食中毒の原因となる可能性があります。東海牛乳の事例は、まさにこの「低温殺菌」という先進的な技術を用いる場合であっても、その後の流通・保管における厳格な温度管理(コールドチェーンの維持)がいかに不可欠であるかを浮き彫りにしています。消費者に安全・安心な商品を届けるためには、製造段階での品質確保のみならず、サプライチェーン全体を通じた徹底した温度管理が、「命綱」となるのです。
4. 「低温」への飽くなき探求:ワインから最先端技術まで広がる応用
「低温」への探求は、飲料業界の枠を超え、様々な分野でその可能性を広げています。例えば、エノテカが取り扱うスペインのワイナリー「トーレス」のアルコール度数0.0%のワインテイスト飲料「ナチュレオ」です。
「トーレス」はワインテイスト飲料市場をリードする主要メーカーの一つとして、世界のワイン評価誌でも高い評価を受けています。 ※アルコール除去する際、短時間、低温
引用元: スペインのワイナリー「トーレス」 アルコール度数0.0%のワインテイスト飲料『ナチュレオ』7月発売 | お知らせ | エノテカ株式会社 | コーポレートサイト
この飲料の製造過程において、アルコールを除去する際に「短時間、低温」が活用されているという事実は、この技術の繊細さを物語っています。アルコールを揮発させる際に加熱すると、ワインの持つ芳醇な香りや、ポリフェノールなどの健康機能性成分が熱によって変質・分解してしまうリスクがあります。そこで、真空蒸留法(Vacuum Distillation)などの手法を用い、圧力を下げることで沸点を低下させ、低温でアルコールを穏やかに除去する技術が用いられていると考えられます。これは、熱に弱い機能性成分や香気成分を最大限に保護しながら、目的とする成分(この場合はアルコール)のみを選択的に除去するという、高度な化学工学的なアプローチです。
さらに、「低温」は食品の保存技術のみならず、最先端技術の領域でも活用されています。AWI Japanが言及する、極低温冷凍システムを製造するDohmeyer Holdings BVBAの例は、その一端を示しています。
当社は2019年に49%出資した極低温冷凍システムの製造・販売を行うDohmeyer
引用元: 極低温冷凍システムを製造するDohmeyer Holdings BVBAの子会社 | ニュース | AWI Japan
極低温(例えば-70℃以下)での冷凍技術は、生物試料(細胞、組織、生殖細胞など)の長期保存、医薬品の安定化、あるいは特殊な食品加工など、多岐にわたる分野で応用されています。これは、物質の化学的・生物学的活動を極限まで抑制するという原理に基づいています。飲料とは直接的な関連性は薄いかもしれませんが、この極低温技術への投資は、「温度」という物理的パラメータを精密に制御することの重要性が、科学技術のあらゆる側面で認識されていることの証左と言えるでしょう。
まとめ:未来の「冷たい」は、より科学的、より賢く、そしてより安全へ
今日の飲料メーカーにおける「低温化」への注力は、単に消費者の「冷たいものが飲みたい」という一過性の欲求に応えるためだけではありません。それは、感覚科学に基づいた「おいしさ」の追求、素材本来のポテンシャルを最大限に引き出すための製造技術革新、そして食品安全という極めて重要な社会的要求への対応が複合的に絡み合った、多角的な戦略なのです。
伊藤園が追求するアロマと冷涼感のバランス、アイリスオーヤマが実現する繊細な緑茶の風味、そして牛乳における低温殺菌とそれに付随する厳格な温度管理の必要性。さらには、ワインテイスト飲料における熱による成分劣化の抑制、そして極低温技術にまで及ぶ「低温」への探求は、私たちが日常的に口にする飲料一杯に、いかに高度な科学技術と細やかな配慮が詰め込まれているかを物語っています。
猛暑が続くこれからの季節、私たちが無意識に手に取る「冷たい一杯」は、単なる清涼感以上の価値を秘めています。そこには、消費者の期待を超える「おいしさ」と「安心」を届けるための、飲料メーカーの飽くなき挑戦と、科学技術の結晶が宿っているのです。次に冷たい飲み物を手に取るとき、その温度に込められた、より深く、より賢い「低温」への物語に、ぜひ思いを馳せてみてください。それは、私たちの食生活と健康を支える、未来の「冷たさ」への期待を抱かせる体験となるはずです。
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