【専門家分析】ペルー大統領の投資要請が示す日本の経済安全保障における「南米の新地平」

導入：これは単なるラブコールではない、日本の未来への戦略的提案である

2025年8月、ペルーのディナ・ボルアルテ大統領が来日し、日本の産業界に向けて発した「ペルーは信頼できる投資先だ」というメッセージは、単なる二国間の経済連携強化を促す儀礼的な呼びかけではない。本稿が提示する結論は、この要請が、資源ナショナリズムの台頭や米中対立など地政学的リスクが顕在化する現代において、日本の経済安全保障、特にEV（電気自動車）や半導体製造に不可欠な重要鉱物のサプライチェーン強靭化という国家的課題に対する、ペルー側からの戦略的かつ時宜を得た「解」の提示である、という点にある。

古代インカ文明の神秘、マチュピチュやナスカの地上絵といった文化的イメージの裏側で、ペルーは今、日本の産業と安全保障の未来を左右しうる、極めて重要な戦略的パートナーとしての地位を確立しようとしている。本稿では、ボルアルテ大統領の来日が持つ多層的な意味を、地政学、経済安全保障、そして両国が150年以上にわたり築いてきた歴史的紐帯の観点から詳細に分析し、その本質的価値を明らかにする。

1. 大統領自らが動く「トップセールス」の背景：国内課題と対日関係の戦略的活用

ボルアルテ大統領の今回の来日は、大阪・関西万博への参加という公式目的の枠を超え、極めて戦略的な意図を持った「トップセールス外交」であった。その背景には、ペルーが抱える国内の政治経済的課題と、それを乗り越えるための対日関係強化という明確な狙いが存在する。

東京で開催された「日本・ペルー投資デー」セミナーはその象徴的な舞台であった。大統領自らがペルーの投資環境をプレゼンテーションし、投資家たちの信頼醸成に努めた事実は、この取り組みが国家の最優先事項であることを示唆している。

ペルーに進出する日系企業によるパネルディスカッションも実施された。
引用元: ボルアルテ大統領来日で「日本・ペルー投資デー」セミナー開催 … (JETRO, 2025/08/08)

このパネルディスカッションは、単なる成功事例の共有に留まらない、高度な投資誘致戦略であると分析できる。三菱商事や丸紅といった、既にペルーで大規模プロジェクトを運営する企業の生の声は、後続の投資家にとって極めて価値の高い「リアルな情報」となる。これは、ペルー政府が既存投資家の経験を可視化することで、投資環境の透明性と安定性をアピールし、潜在的な投資家が抱くカントリーリスクへの懸念を払拭しようとする狙いがある。

さらに、この積極的な外交姿勢の背景には、ボルアルテ政権が国内で直面する政治的脆弱性も無視できない。前大統領の罷免という混乱を経て発足した同政権は、安定した支持基盤の構築が急務である。このような状況下で、日本のような経済大国との連携を強化し、具体的な投資案件を誘致することは、国内経済の活性化と雇用創出を通じて政権の求心力を高めるための重要な手段となる。つまり、このトップセールスは、日本の経済的利益に応えると同時に、ペルー自身の政治的安定に資する、相互補完的な戦略なのである。

2. 経済安全保障の要諦：ペルーが握る「戦略的鉱物」の地政学的価値

ボルアルテ大統領の呼びかけの核心は、ペルーが誇る豊富な鉱物資源にある。これは現代の産業、特に日本の成長戦略の根幹をなす分野において、決定的に重要な意味を持つ。

また、石破総理は経済分野では、▽日本企業による投資の促進や、▽亜鉛や…鉱物の安定供給に向けた協力の推進などで連携を強化することで一致しました。
引用元: 石破総理ペルーのボルアルテ大統領と会談鉱物の安定供給に向けた … (TBS NEWS DIG, 2025/08/06)

この首脳会談で確認された「亜鉛や…鉱物の安定供給」は、日本の経済安全保障における最重要課題の一つだ。ここでいう「鉱物」とは、亜鉛に加え、世界第2位の生産量を誇る銅、そして銀、鉛、モリブデンなどを指す。特に銅は、その需要が経済活動全体の動向を示すことから「ドクター・カッパー（銅博士）」の異名を持ち、EVのモーターやバッテリー、充電インフラ、そして再生可能エネルギー設備に不可欠な基幹素材である。

昨今、資源を保有する一部の国では、輸出規制や外資規制の強化といった「資源ナショナリズム」の動きが顕在化している。また、地政学的な対立は、特定の国にサプライチェーンが集中することの脆弱性を露呈させた。こうした状況下で、日本が「経済安全保障推進法」に基づき特定重要物資の安定供給確保を図る中、地理的には遠いが民主主義や法の支配といった価値観を共有するペルーとの連携強化は、サプライチェーンを多角化・強靭化する上で極めて合理的な選択肢となる。

三菱商事が約40%の権益を持つケジャベコ銅鉱山は、この協力関係の成功モデルである。この世界最大級の鉱山は、今後30年以上にわたり高品質の銅を安定供給することが期待されており、日本の産業界にとって生命線ともいえる存在だ。しかし、一方でペルーにおける鉱山開発は、環境への影響や地域コミュニティとの関係構築といった課題と常に隣り合わせである。日本企業には、単なる投資に留まらず、ESG（環境・社会・ガバナンス）の観点を重視した持続可能な事業運営を通じて、ペルー社会の発展に貢献するという、より高度な役割が求められている。

3. ビジネスを超えた紐帯：「信頼」を担保する150年の歴史と人的ネットワーク

日本とペルーの関係性を、資源を介した経済合理性のみで語ることは、その本質を見誤る。両国の間には、150年以上にわたる交流史と、それが育んだ強固な信頼関係という、計量不可能な「無形資産」が存在する。

南米ペルーのボルアルテ大統領と会談しました。同国とは約20万人の日系社会…
引用元: 首相官邸 on Instagram (2025/08/06)

特筆すべきは、ブラジルに次ぐ南米第2の規模を誇る約20万人の日系社会（ニッケイ・コミュニティ）の存在である。彼らは、政治、経済、学術、文化といったペルー社会のあらゆる層で深く浸透し、発展に貢献してきた。この人的ネットワークは、言語や文化の壁を越え、ビジネス慣行の相互理解を促進する「ソフトパワー」として機能する。これは、他国が模倣困難な、日本企業にとってのユニークな競争優位性と言える。

さらに、この友好関係は制度的にも裏付けられている。

ガルシア政権下の1989年に4月3日…「日秘友好の日」…
引用元: ペルー基礎データ｜外務省

1873年の「日秘修好通商航海条約」締結から始まる長い交流の歴史を記念し、ペルーが国家として「日秘（にっぴ）友好の日」を制定している事実は、両国関係の特異な深さを示している。このような象徴的な取り組みが積み重なることで、ビジネス上の契約関係を超えた、真の「信頼できるパートナー」としての関係が醸成される。ボルアルテ大統領の言葉が持つ説得力は、こうした歴史的・文化的基盤に根差しているのである。

結論：ペルーは日本の未来への投資先であり、戦略的パートナーである

ディナ・ボルアルテ大統領の来日と投資要請は、世界経済の構造変化と地政学的緊張の高まりを背景に、日本が直面する国家的課題への一つの解答を提示するものであった。

本稿で論じたように、この提案の価値は、以下の三つの側面に集約される。

経済安全保障の実践: EV・半導体時代に不可欠な重要鉱物の安定供給源として、ペルーは日本のサプライチェーン強靭化に決定的な役割を果たす。
地政学的リスクの分散: 特定の大国への依存から脱却し、価値観を共有する太平洋国家との連携を深めるという、日本の外交戦略とも完全に一致する。
無形資産の活用: 150年の歴史と約20万人の日系社会が築いた強固な信頼関係は、ビジネスリスクを低減し、円滑な協力関係を促進する唯一無二の資産である。

したがって、日本企業や政府がペルーとの関係を深化させることは、単なる一地域への投資ではなく、自国の産業競争力と安全保障を未来にわたって確保するための、極めて戦略的な一手であると結論付けられる。

もちろん、ペルーの国内政情の安定性や、鉱山開発に伴う環境・社会課題への真摯な対応など、注視すべきリスクは存在する。しかし、これらの課題を乗り越え、持続可能な形で協力関係を構築していくことこそが、両国にとって真の利益となる。ペルーという「遠い国」は、今や日本の未来図を描く上で欠かすことのできない、戦略的パートナーとして再認識されるべき時に来ている。今後の両国の動向は、21世紀における国家間の新たな協力関係のモデルケースとなりうるだろう。