導入：デジタル時代の光と影に揺れる鉄道趣味
近年、鉄道写真愛好家、通称「撮り鉄」の一部によるマナー違反や危険行為が社会的な問題として度々報じられ、その根深さに疑問の声が上がっています。例えば、2025年7月には埼玉県大宮駅近くで、深夜にもかかわらず約300人もの撮り鉄が殺到し、車道に飛び出すなどの危険な迷惑行為により警察が出動する事態となりました。
この現象は単なる一部の「常識の欠如」で片付けられるものでしょうか。本稿では、キャリア41年のベテラン撮り鉄の視点も交えながら、この問題の深層に迫ります。結論から述べれば、一部の撮り鉄におけるマナー違反が根絶されないのは、SNSの普及が「承認欲求」を過度に刺激し、それが集団心理や特定の「希少性」を追求する競争原理と結びつくことで、個人のモラルハザードと集団的な逸脱行動を誘発する構造にあると考えられます。この複雑なメカニズムを、心理学的・社会学的視点から詳細に分析していきます。
1. 承認欲求の過剰な肥大化：SNSが変容させる「価値」の追求
キャリア41年というベテラン撮り鉄が、一部の撮り鉄のマナー違反が収まらない理由として真っ先に挙げたのが「承認欲求」の高まりです。
参照元: なぜ一部の“撮り鉄”たちのマナー違反はなくならないのか キャリア41年の古参が挙げた『承認欲求の高まり』 | 東海テレビNEWS
この指摘は、心理学者アブラハム・マズローが提唱した「欲求段階説」における「承認欲求（esteem needs）」に深く関連しています。この欲求は、他者から尊重され、認められたいという基本的な心理であり、自己肯定感や自己効力感を育む上で不可欠なものです。しかし、現代社会においては、インターネット、特にSNSの普及がこの承認欲求の表出形式を大きく変容させました。
SNSでは、誰もが手軽に自身の作品や活動を公開し、瞬時に不特定多数の「いいね！」やコメント、シェアといった形でフィードバックを得ることができます。これは「ソーシャル・リワード（社会的報酬）」として機能し、ユーザーの脳内でドーパミンが放出され、さらなる投稿行動を促す「報酬系ループ」を形成します。撮り鉄の世界においても、滅多に運行されない「レア車両」や「引退間近の車両」といった「希少性の高い被写体」は、それ自体が大きな「価値」として認識されます。これを「とっておきの1枚」として撮影し、SNSで公開することで得られる「いいね！」や「すごい！」といった称賛は、他の写真では得られない格別の承認となります。
この心理は、経済学における「希少性の原理（Scarcity Principle）」とも通底します。入手困難なものほど価値が高まるという原則が、被写体の希少性とそれによって得られる承認の量にパラレルに作用し、撮り鉄の行動を駆り立てる強力なモチベーションとなります。この「よりレアな写真を撮ることで、より多くの承認を得る」という循環が過剰に肥大化すると、時に安全性や公共の秩序といった基本的な規範さえも軽視してしまう衝動へと繋がりかねないのです。
2. SNSが加速させる「競争構造」と「逸脱行動の学習」
SNSは単に承認欲求を刺激するだけでなく、趣味コミュニティ内での新たな「競争構造」をも生み出しています。あるX（旧Twitter）ユーザーの意見は、この競争の激しさを象徴しています。
「やはり撮り鉄っちゅーかオタクにSNSを与えちゃダメだった。マウント合戦が頻発する戦場になっちまった。」
">参照元: 放浪民mikannabe on X: “なぜ一部の“撮り鉄”たちのマナー違反はなく …”
この「マウント合戦」という表現は、社会心理学における「社会的比較理論（Social Comparison Theory）」、すなわち他者との比較によって自身の評価や能力を測ろうとする人間の傾向が、SNS上で顕著に表れている状態を指します。鉄道の運行情報や撮影地の情報が瞬時に共有されることで、誰もが同じ情報を手に入れやすくなり、結果として「最高の1枚」を得るための競争は激化します。これは、写真の質だけでなく、「誰もが持っていない情報」や「特別な撮影機会」へのアクセスといった「情報優位性」をも追求する動きに繋がります。
さらに興味深いのは、「即上げ禁止」という内輪ルールを示唆する意見です。
「即上げ禁止とかもよく分からんルールだな。」
">参照元: imadegawa075 on X: “…即上げ禁止とかもよく分からんルールだな。”
これは、撮影した写真をすぐにSNSに公開すると、次の撮影地情報が特定され、他の撮り鉄が殺到してしまうことを防ぐためのものであり、独自の写真や情報に「排他的価値」を見出し、その優位性を確保しようとする行動の表れと解釈できます。このような閉鎖的・競争的なコミュニティ内ルールは、外部からの視点では理解しがたく、趣味を楽しむ上でのモラル規範が歪んでしまう可能性を示唆しています。
また、社会学習理論の観点から見れば、一部の過激な行動がSNS上で拡散されることで、それが「成功体験」として認識され、模倣されるリスクも存在します。たとえそれが違法行為や危険行為であったとしても、「これで良い写真が撮れた」「多くの注目を浴びた」という結果が得られれば、他のメンバーも同様の行動を試みる可能性が高まり、逸脱行動がコミュニティ内で学習・再生産されるメカニズムが形成され得るのです。
3. 集団心理のメカニズムとモラルハザードの発生
大宮駅での300人規模の殺到事例のように、多数の撮り鉄が一箇所に集まる状況は、社会心理学でいう「群集行動（Crowd Behavior）」や「集団心理（Group Psychology）」の影響を強く受けます。
「無くならないなら、厳罰か制限かって話なのに、何故か自称ルールを守る撮り鉄が怒ること怒ることww」
">参照元: 撮り鉄のみなさま on X: “無くならないなら、厳罰か制限かって話 …”
この意見が示すように、一部の迷惑行為が続くことへの苛立ちと、それに対するコミュニティ内部の反応には、集団心理の負の側面が表れています。
群集の中に身を置くと、個人のマナー意識や責任感が希薄になる「責任の拡散（Diffusion of Responsibility）」や「非個人化（Deindividuation）」といった現象が起こりやすくなります。「みんながやっているから自分も大丈夫だろう」「少しくらいなら許されるだろう」という心理状態は、普段であれば抑制されるはずの逸脱行動への敷居を下げてしまいます。特に、匿名性が高いオンライン上でのコミュニケーションや、オフラインでの偶発的な集団形成においては、個人の行動がエスカレートしやすくなります。
また、「同調圧力（Conformity Pressure）」も無視できません。周囲の人間が危険な場所に立ち入ったり、ルールを破ったりしているのを見て、「自分だけ正しいことをしていたら損をする」「浮いてしまう」といった無意識の圧力から、集団の規範に流されてしまうことがあります。これにより、本来ならば許されない行為が「一時的な集団の規範」として正当化され、モラルハザード、つまり倫理観の低下が加速するのです。
この問題は、鉄道趣味への社会からの理解を損ない、鉄道会社との良好な関係を破壊するだけでなく、結果として撮影地や撮影機会の減少という形で、趣味を楽しむ多くの撮り鉄自身にも不利益をもたらす悪循環を生み出しています。真面目に趣味を楽しむ多くの撮り鉄が心を痛めているにもかかわらず、一部の行動を止められないのは、この集団心理のメカニズムが根深く作用しているためであると言えます。
4. 「老害」と揶揄される構造的問題：趣味の公共性と世代間ギャップ
キャリア41年のベテラン撮り鉄の意見が注目される一方で、一部では以下のような辛辣な意見も散見されます。
「撮り鉄歴41年のベテラン これだけでとてつもない老害臭が漂うのが悲しいところ。」
">参照元: imadegawa075 on X: “＞撮り鉄歴41年のベテラン これだけで …”
この「老害」という言葉は、特定の世代や趣味の経験が長い人々が、過去の常識や成功体験に固執し、現代社会の規範や変化に対応できない様子を批判的に指す際に用いられることがあります。この背景には、一部の過激な撮り鉄の行動が、趣味全体、さらには趣味を楽しむ人々のイメージにまで悪影響を与え、社会からの視線が厳しくなっている現実があります。
本来、鉄道写真撮影は、鉄道の魅力を記録し、共有する文化的に豊かな趣味であり、多くの人々がその美しさや歴史的価値に感動を覚えます。しかし、一部の過激な行動が、そうではない多くの撮り鉄をも「迷惑な存在」としてステレオタイプ化してしまう社会の目を生み出しています。これは、趣味が持つ「公共性」の側面と、その責任に関する認識のギャップを浮き彫りにしています。
鉄道は社会インフラであり、その運行や関連施設は公共のものです。趣味活動が公共の安全や秩序、他者の権利を侵害するレベルに達した場合、それはもはや個人の自由の範疇を超えた「社会問題」となります。特に、デジタル技術の進展によって、かつては想像し得なかった規模で情報が拡散し、人々が特定の場所に殺到するようになった現代においては、趣味コミュニティ自体が、自己規制能力を高め、社会との共存のための新たなガバナンスモデルを構築する必要に迫られています。
まとめと展望：趣味文化の共生と倫理の再構築
なぜ一部の撮り鉄たちのマナー違反がなくならないのか。その根源は、SNSが過剰に刺激する「承認欲求」が、希少性を追求する競争原理と結びつき、集団心理によって個人の責任感が拡散され、結果としてモラルハザードや逸脱行動を誘発する構造にあることが、心理学的・社会学的な分析から明らかになりました。
鉄道を愛する情熱は、本来、尊重されるべきものです。しかし、その情熱が、他者への配慮や公共の安全意識を欠いた行動につながってしまうことは、あまりにも悲しく、持続不可能な状態です。
これからの鉄道ファンたちが胸を張って「撮り鉄」だと名乗れるような未来を築くためには、以下の点が不可欠です。
- デジタル時代の倫理観の醸成: SNSがもたらす「即時性」と「拡散性」の力を理解し、自身の行動がもたらす影響を深く考慮するデジタル倫理の育成が求められます。
- コミュニティ内部での自己規制の強化: 外部からの厳罰化や制限だけに頼るのではなく、趣味コミュニティ内部で具体的な行動規範を共有し、逸脱行為に対しては厳しく向き合う自浄作用を強化する必要があります。これは、「ルールを守る撮り鉄」の懸念を解消し、真の共存関係を築く上で不可欠です。
- 多角的な対話と相互理解: 鉄道会社、地域住民、そして撮り鉄自身が、互いの立場を理解し、安全かつ円滑な趣味活動のための対話と協力を進めることが重要です。例えば、適切な撮影スペースの提供や、情報共有の場の検討なども、一助となるでしょう。
- 「共感」から「共生」へ: 趣味は、人々と感動や喜びを「共感」し合う素晴らしい側面を持つ一方で、公共空間で行われる以上、社会との「共生」が必須です。この共生の意識を基盤に、ルールやマナーを守ることは、一時的に「最高の1枚」を逃すことになるかもしれませんが、長期的に見れば、趣味を長く、そして健全に楽しむための最も大切な「投資」であり、「未来への責任」だと言えるでしょう。
私たち一人ひとりが、自身の行動が社会にどう影響するかを深く考え、責任を持って趣味と向き合うこと。それが、鉄道趣味が社会からより一層理解され、愛される文化として発展するための第一歩となるはずです。
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