ポップカルチャーは「歴史の地雷」を踏むのか?—ヒロアカコスプレ事件から読み解くサイバーナショナリズムと文化的摩擦の深層
結論:本稿が解き明かす構造的問題
本稿の結論を先に述べる。2025年7月に中国で報告された『僕のヒーローアカデミア』のコスプレイヤーへの集団嫌がらせ事件は、単なる個人による過激な行動ではない。これは、①デジタル空間で増幅される「サイバーナショナリズム」、②ポップカルチャーを媒介とした「歴史認識の代理戦争」、そして③ソーシャルメディアが加速させる「情動の集団化」という三つの現代的要因が交差した、構造的な問題の縮図である。本稿では、この一件を多角的に分析し、グローバルな文化消費時代に潜むリスクと、建設的な対話の可能性を専門的に考察する。
1. 事件の再構成: 「好き」が「国家的敵意」に転換された現場
2025年夏、あるコスプレイヤーの純粋なファン活動が悪夢に変わった。趣味として『僕のヒーローアカデミア』のキャラクターに扮していた女性が、街中で突如として集団に取り囲まれるという事件が発生した。提供された情報によれば、その状況は異常かつ威圧的であった。
中国で「ヒロアカ」のコスプレをした少女、中国国歌を歌う集団に取り囲まれカツラを剥ぎ取られる
引用元: 嫌儲.org (提供情報より)
この引用が示すのは、単なる個人間のトラブルではない、極めて象徴的な行為である。ここで注目すべき専門的ポイントは二つある。
第一に、「中国国歌を歌う」という行為の政治性である。これは、集団の行動を個人的な嫌悪感の表明から、「国家的正義」の執行へと意図的に昇華させるためのパフォーマンスだ。彼らは自らの行為を愛国的なものと位置づけ、対象への攻撃を正当化しようとしている。
第二に、「ウィッグを剥ぎ取る」という暴力の象徴性だ。コスプレにおけるウィッグは、キャラクターへの変身を完成させる重要な要素であり、その人のアイデンティティの一部と言える。それを力ずくで剥ぎ取る行為は、物理的な暴力以上に、対象のアイデンティティ(=キャラクターへの愛)を否定し、個人を屈辱的に「丸裸」にするという、人格への攻撃を意味する。
これらの行為は、その様子が撮影・拡散されることを前提とした、現代的な「公開処刑(デジタル・リンチ)」の性質を帯びている。物理空間での攻撃が、サイバー空間での「晒し上げ」と連動することで、その影響力と加害性を増幅させるのである。
2. 歴史的背景の深層分析:「志賀丸太」問題の消えない残響
なぜ数ある日本のアニメの中で、『僕のヒーローアカデミア』がこれほどまでに強い反発の的となったのか。その根源には、過去に作品が引き起こした深刻な論争が存在する。
「ヒロアカ」コスプレイヤー、「中国を侮辱」と糾弾相次ぐ…歴史問題に
引用元: 山形:飯豊朝日を愛する会副理事長 井上邦彦 ブヨ退治冬芽に願う … (提供情報より)
※注: 提供された引用元のURLは記事内容と直接的な関連性が見られないため、ここでは「このような報道がなされた」という情報自体を分析の起点とします。
この問題の核心は、作中に登場した「志賀丸太(しが まるた)」というキャラクター名にある。この「マルタ(丸太)」という呼称が、旧日本軍の関東軍防疫給水部本部、通称「731部隊」が捕虜(主に中国人とされる)に対して非人道的な生体実験を行った際、被験者を指す隠語であったとされる歴史的背景と結びついたのだ。
この問題は、以下の三つの観点から深く分析する必要がある。
- 歴史的トラウマの重み: 731部隊の活動は、中国において日本の侵略戦争がもたらした最も暗い記憶の一つである。したがって、「マルタ」という言葉は、単なる名称ではなく、国民的なトラウマを刺激する極めてセンシティブな記号として機能する。
- 作者の意図と結果責任: 作者や編集部側に歴史的被害者を侮辱する意図がなかったことは、その後の迅速な謝罪と名前の変更(「殻木 球大(がらき きゅうだい)」へ変更)からも明らかだろう。しかし、グローバルに作品が展開される現代において、クリエイターは「意図せざる結果」に対する責任を免れない。これは、文学理論における「作者の死(The Death of the Author)」が、ポリティカル・コレクトネスと結びつき、作品の解釈権が完全に受け手側に委ねられる現象の一例と見なせる。
- 炎上のデジタル・タトゥー化: インターネット上での一度の炎上は、たとえ公式が対応しても、完全に火を消すことが極めて難しい。特に、国境を越えた情報伝達では、謝罪や訂正といった後続情報が十分に伝わらず、「ヒロアカ=歴史修正主義的な作品」というネガティブなレッテルだけが「デジタル・タトゥー」として残り続ける。アルゴリズムは関連性の高い情報を繰り返し提示するため、この種の偏った認識はエコーチェンバー内で強化・再生産されていく。
今回の事件は、このデジタル・タトゥーが数年の時を経て、現実世界のファンに向けられた悲劇的な結果と言えるだろう。
3. 構造的要因の解明:サイバーナショナリズムと情動の集団化
この事件を「一部の過激派の暴走」と矮小化することは、本質を見誤る。背景には、より大きな構造的なメカニズム、すなわちサイバーナショナリズムの存在がある。
サイバーナショナリズムとは、インターネットを主戦場として展開されるナショナリズムであり、その特徴は①匿名性による攻撃性の先鋭化、②瞬時の情報拡散による動員力の高さ、③国境を越えた「敵」の容易な可視化にある。
特に中国の文脈では、「出征(Chūzhēng)」と呼ばれるネット文化が顕著だ。これは、国家の尊厳を傷つけたと見なした対象(海外の著名人、企業、作品など)に対し、ネットユーザーが国境を越えて集団で批判や攻撃を仕掛ける現象を指す。今回のコスプレイヤーへの集団行動は、この「出征」がオンラインからオフラインへと波及した、物理的な現れと解釈できる。
さらに社会心理学の観点からは、「情動の集団化(Affective Contagion)」というメカニズムが働いている。SNSのアルゴリズムは、怒りや憎しみといった強い情動を伴うコンテンツを拡散させやすい。一つの義憤に満ちた投稿が、瞬く間に共感を呼び、集団的な怒りのエネルギーを形成する。このデジタル空間で醸成された一体感と高揚感が、現実世界での過激な行動への心理的ハードルを著しく引き下げるのである。
4. 結論:摩擦を越え、対話的な文化空間を創造するために
本稿の冒頭で提示した結論に立ち返ろう。この事件は、サイバーナショナリズム、歴史認識の衝突、そしてプラットフォームが助長する情動の集団化が複合的に絡み合った、現代社会の構造的な病理を映し出している。
この悲劇を繰り返さないために、私たちは何をすべきか。それは、以下の三つのレベルでの省察を求める。
- クリエイターと企業: グローバル展開を前提とする以上、「文化的感受性(Cultural Sensitivity)」のトレーニングは不可欠である。意図せずとも、他者の歴史的トラウマに触れる可能性を常に認識し、作品制作のプロセスに多様な視点からのチェック機能を組み込む必要がある。
- プラットフォーム: 憎悪やデマを拡散し、情動の集団化を加速させるアルゴリズムの社会的責任を問う必要がある。コンテンツモデレーションの強化はもちろん、異文化間の誤解を解き、建設的な対話を促すような設計思想への転換が求められる。
- ファンコミュニティ: 最も重要なのは、国境を越えたファン同士の対話である。ファンは単なる文化の消費者ではない。誤解に基づいた攻撃に対しては冷静に事実を提示し、異なる歴史認識を持つ他者との対話を試みる「文化の担い手」としての役割が期待される。ファンダム内に自浄作用と相互理解の文化を育むことが、長期的に「好き」という感情を守る最も確実な道である。
文化交流には常に摩擦が伴う。しかし、その摩擦を破壊的な衝突に終わらせるか、相互理解へのきっかけとするかは、私たち一人ひとりの姿勢にかかっている。この痛ましい事件を教訓とし、より思慮深く、対話的なグローバル文化空間を創造していく努力こそが、今、求められているのである。
コメント