『SNS敗因論』の陥穽:自民党選挙惨敗、その本質的課題を専門的に解き明かす
序論:本質を見誤る敗因分析が招く、さらなる信頼の失墜
先般の参議院選挙における自民党の歴史的敗北を受け、党内で始まった敗因分析が、専門家の間でも大きな注目を集めている。その中で浮上した「SNSでの発信力不足が敗因」という見解は、一見現代的な分析のようでありながら、問題の核心を著しく矮小化する危険性を孕んでいる。
本稿では、この「SNS敗因論」がなぜ不十分であるのかを、政治学、社会心理学、ブランド論の視点から多角的に分析する。そして、自民党が真に直面している課題が、コミュニケーション「技術」の拙劣さではなく、「政党」という公器に対する信頼資本の枯渇と、その根幹にあるガバナンス不全であることを、具体的なデータと専門的知見に基づき明らかにする。本稿の結論を先に述べれば、表層的な対症療法に終始する限り、同党の再生は困難であり、それは日本の議会制民主主義全体にとっての課題でもある、ということだ。
1. 表層的分析の誘惑:なぜ「SNS」が原因とされるのか
選挙の大敗という組織的危機に直面した際、その原因を内部の構造的問題ではなく、外部のコントロール可能な「ツール」や「手法」に求める傾向は、組織心理学における「外的帰属」バイアスの一例として説明できる。自民党の総括委員会が「SNS活用」を主要な検討項目としたことは、この典型例と言えよう。
【NHK】参議院選挙の敗北を受けて、自民党は31日、敗因を分析する「総括委員会」の初会合を開き、選挙で打ち出した公約やSNSの活用…
引用元: 自民党 参議院選挙の敗北を受け「総括委員会」初会合 8月中に報告 …
このNHKの報道が示すように、分析の俎上に載せられたのは「SNSの活用」であった。現代選挙においてSNSが重要な情報伝達・意見形成の場であることは論を俟たない。しかし、それを敗北の「根本原因」と位置づけることは、より深刻な問題を覆い隠しかねない。すなわち、裏金問題に象徴される政治倫理の欠如、実質賃金の低下が続く中での物価高騰への対応の遅れ、そして国民の声を軽視していると受け取られかねない一連の政権運営――これらの根源的な不満がSNSという増幅装置を通じて可視化されたに過ぎない。
問題は発信の「手段(How)」ではなく、発信される「内容(What)」と「主体(Who)」への信頼そのものである。この点を看過し、「より効果的なSNS戦略」を議論することは、重篤な患者に市販の鎮痛剤を処方するようなものであり、根本治療には至らない。
2. 「自民党というだけで『愚か』」:政党アイデンティティの崩壊と負のラベリング
この問題の本質を最も象徴的に示すのが、選挙の最前線で候補者が直面した有権者の反応である。
参院選の比例選で落選した中田フィッシュ氏は31日、党本部で開かれた衆院選の落選者との会合に出席後、記者団に「自民党(候補)であるだけで『愚かだ』 とコメントをもらった」
引用元: 参議院選挙:参院選惨敗の自民、若者・保守層の支持離れ危惧 …
この「自民党(候補)であるだけで『愚かだ』」という言葉は、単なるSNS上の誹謗中傷として片付けるべきではない。これは、政治学における「政党アイデンティティ」、そしてマーケティング理論で言うところの「ブランド・エクイティ(ブランド資産価値)」が著しく毀損された状態を示す、極めて重要なシグナルである。
有権者は、全ての政策や候補者の資質を詳細に吟味する時間も意欲も持たない場合が多い。そのため、多くは「政党」というラベルを、投票行動を決定するための「認知ショートカット(思考の近道)」として利用する。かつて「自民党」というブランドは、「経済成長」「安定」「責任政党」といったポジティブな連想を喚起し、その資産価値は高かった。しかし、近年の度重なる不祥事や国民感覚との乖離は、このブランド連想を「不誠実」「既得権益」「傲慢」といったネガティブなものへと転換させてしまった。
その結果、「自民党」というラベル自体が、個別の政策や人物評価に先立つ「負のフィルター」として機能し、有権者の思考プロセスから排除される、あるいは一括して「愚か」というレッテルを貼られる現象が生じている。これは、候補者個人の努力やSNSでの発信工夫では到底覆すことのできない、構造的な問題である。
3. 岩盤支持層の亀裂:データが示す「内なる危機」の深刻度
「SNS敗因論」が的外れであるもう一つの根拠は、無党派層のみならず、自民党の根幹を支えてきたはずの支持層内部で深刻な離反が起きていたという事実である。
果たして参院選でどんな民意が示されるのか、そしてその後の政局の行方は――。 筆者は、自民党の選挙対策事務部長を長く務め、野党にも幅広い人脈をもつ…(中略)…5割の自民支持層に見放された石破政権
引用元: そりゃ参政党に票が流れるわけだ…5割の自民支持層に見放された …
この記事で指摘されている「5割の自民支持層に見放された」という分析は、自民党が直面する危機が、単なる「風」や他党への浮動票流出といったレベルではなく、自らの存在基盤そのものの崩壊である可能性を示唆している。政治学では、こうした現象を「政党支持の脆弱化」と呼ぶ。
特に、読売新聞が指摘するように若者や保守層の離反が深刻である点は重要だ。彼らは、旧来の利益誘導型の支持者とは異なり、「公正さ」「国家観」「伝統的価値観」といった理念や価値観を基盤に自民党を支持してきた層と考えられる。裏金問題に見られる不公正さや、政権運営における理念の一貫性の欠如は、まさにこの層の期待を根底から裏切るものであった。
この「内なる危機」を無視して、外部の無党派層へのアピール手法(=SNS戦略)ばかりを議論することは、船底に開いた巨大な穴から浸水しているにもかかわらず、甲板のペンキの塗り直しを議論するに等しい。
4. 責任転嫁の極致:批判の声を封じる「SNS規制」への誘惑
自己の失敗を内省するのではなく、批判が噴出するプラットフォーム自体を問題視するという姿勢は、組織が陥る最も危険な自己防衛メカニズムである。自民・公明両党の幹部から「SNS規制」の検討が示唆されたことは、その兆候と言える。
自民・公明幹事長、選挙のSNS規制「法改正を視野に検討」.
引用元: 北村晴男 (@kitamuraharuo) / X
この動きは、有権者から見れば、自らの正当性を揺るがす批判的な言論を、ルール変更によって封じ込めようとする「責任転嫁」以外の何物でもない。民主主義社会において、言論の自由は、たとえ為政者にとって耳の痛い意見であっても最大限保障されねばならない。問題はSNS上に「悪評が広まる」ことではなく、「悪評が広まるだけの原因」が政権側にあることだ。
このような対応は、国民との対話を拒絶し、不都合な真実から目を背ける姿勢の表れと受け取られ、さらなる信頼失墜を招く悪循環を生む。火に油を注ぐとは、まさにこのことだろう。
結論:再生への道は「技術」ではなく「信頼の再構築」にあり
本稿で分析してきたように、自民党の選挙敗北を「SNS戦略の失敗」に帰する見方は、問題の表層をなぞるだけの極めて不十分な診断である。真の病巣は、より深く、構造的な場所にある。
- 問題の本質は発信「手段」ではなく、発信「主体」への信頼失墜である。
- 「自民党」というブランド自体が負の象徴となり、個別の政策評価以前に有権者から拒絶される状況に陥っている。
- その危機は、無党派層だけでなく、かつての岩盤支持層をも侵食する「内なる危機」である。
- 敗因を自己に求めず、批判の場であるSNSの規制を検討する姿勢は、国民との断絶をさらに深める。
自民党が真に再生を目指すのであれば、小手先のSNSコンサルティングや発信テクニックの見直しに走るべきではない。求められるのは、①政治倫理を確立するための抜本的な組織ガバナンス改革、②政策決定プロセスの透明化と国民への丁寧な説明責任の履行、そして③国民の批判に真摯に耳を傾け、対話する姿勢への根本的な転換である。
これは一政党の浮沈に留まる問題ではない。政権与党が国民の信頼を失い、建設的な対話が不可能な状態に陥ることは、日本の議会制民主主義そのものの機能不全に直結する。私たち有権者もまた、この「ズレ」を的確に指摘し続け、政治が本来あるべき姿――国民の負託に応えるという原点――に立ち返るよう、厳しくも建設的な監視を続けていく責務がある。真の課題はSNSのタイムライン上にあるのではなく、永田町と国民との間にある、深く、冷たい溝そのものなのだ。
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