エホバの証人は 統治体 と呼ばれる数人がトップに君臨しています。それらの連中は豪華なスーツを身にまとい、豪華な腕時計をはめています。あろうことか、ゴージャスリングと言われる 高価な指輪を小指にはめている人物もいます。
食事も 奉仕者 とよばれる信者が全て準備します。老後の世話もその人たちが行います。何一つ不自由ない生活といえるでしょう。
彼らは、聖書を忠実に当てはめて生活する人と自称しています。なぜ自称なのか、それは、都合の悪いことは当てはめず、無視しているからです。例えば 西暦1世紀 に 使徒パウロ という人物がいました。統治体 が言うには、パウロは1世紀の統治体の成員らしいです。なんだそれ。
使徒パウロは自分を見習うように言いました。つまり伝道して対価を得ることもできるが、自分で働いて自分で生活しましょうと言っていたのです。ですが、統治体はパウロの習っていません。
使徒パウロ は 昼も夜も労働していた
使徒パウロ とは
使徒パウロは クリスチャン会衆を熱心に 迫害 していました。そのため、神から盲目にされてしまいます。その後、キリスト教徒のアナニアにより目が見えるようになり、パウロは改修してキリスト教徒になりました。この時 目から鱗が 剥がれ落ちるようにして、目が見えるようになり、今日の 目から鱗 の語源となっています。
使徒パウロは賢明に働いた
使徒パウロ は 自分の身に起きた経験を人々に語り、神がいかに素晴らしい方なのかを伝道しました。すなわち、イエスを十字架にかけて 完全な命(アダムの完全な命と等価)を犠牲として捧げることにより、人類の贖罪を果たした、と伝えたのです。
そして パウロは昼も夜も労働をして日銭を稼いでいました。パウロは神のために 伝道を行っていた ので、その対価をもらう生活をしてもよかったのですが、パウロはその報酬を受け取っていません。そうではなく、自ら働いて日々の生活を成り立たせていました。その理由として、手本を示すためだと述べています。
統治体は 使徒パウロ にならっていない
では今日の 統治体と呼ばれる連中は何をしていますか。世の中で働いていません。つまり、使徒パウロが示した手本にならっていません。自分たちは信者からの寄付で豪華なスーツや腕時計、指輪をはめて、自分達が神からの唯一の経路だと豪語しています。パウロが示した手本をなぜ見習わないのでしょうか。そりゃ働きたくないでしょう。嫌なことはしたくないでしょう。
1,000万人ほどいる信者のトップに君臨する彼らでも、世の中に出ればアルバイト生活でしょう。まともに働いたことがない人ばかりです。世の中に貢献できるような知識やスキルを持っていません。でもパウロはテントを組み立ててお金を稼いでいたんですよ。
答えは、統治体 は神からの唯一の経路ではないからです。
統治体は予言を外しすぎた
統治体が世の中に伝えた最大の予言 は 1914年を見た人たちが全て死ぬ前にハルマゲドンが来て世界は楽園に変わる というものです。これは見事に外れました。2025 – 1914 = 111 だからまだ可能性がある?もっと高齢の人が生きているかもしれない?いいえ、統治体はこの教理を2015年に変更しました。
現在は「重なる世代」つまり1914年を生きた人と生きたことがある人が死ぬまでに変更されています。※正確にいうと この人 は油注がれた者(神から選ばれた人・点でイエスとともに地上を統治する人)です。
つまり、予言を外したのです。そもそも2000年くらいまでに発行されたエホバの証人の書籍には、ほんとうに もう間もなく、ハルマゲドンが来る!ということを何度も書いています。この時はまだ自信があったのでしょうね。現在ではこのような極端なことは言わなくなっています。
※補足 1914年を見たとは何か?
1914年には第一次世界大戦が勃発しました。エホバの証人はこの時はまだ、国際聖書研究者協会という名前でした。そしてその時のトップはチャールズ・テイズ・ラッセルです。このラッセルが1914年は「異邦人の時」の終わりと予言し、1914年に天に上ると信じていたのです。ですが、天に上りませんでした。
とはいえ、第一次世界大戦が勃発しました。これは点で戦争が起きサタンが地上に投げ落とされ、イエスが天で王として君臨した証拠だとエホバの証人は解釈しているのです。ですから1914年が重要な年であると言っているのです。
※王として即位したのは、もしかしたら1919年という解釈だったかもしれません。というのは3年半(3つと半時)は敵を足代として準備するから待っときなさい、みたいな命令があったためです。いずれにしても、天で戦争が起きたのは1914年という解釈です。
世捨て人は 統治体率いるエホバの証人 のほう
統治体は働いていないので、末端の信者の苦労や、世の中の人たちの苦労が全く分かっていません。これは、ものみの党 と呼ばれる聖書研究用の雑誌を読むと分かります。その中には、世の中の人たちは「希望をもっていないので、食べたり、飲んだりしよう、明日には死ぬからだ」と言っているというのです。呆れます。
世の中の人たちは明日には死ぬと思っていない
世の中の人(※このような呼び方を 統治体率いるエホバの証人 は使います。自分たちは神に選ばれた者で、それ以外の人たちは サタンの支配する世の中の人たち というスタンスだからです。)世の中のひとたち、つまり一般の我々は、日々賢明に生きています。
それはなぜかというと、明日には死ぬと思っていないからです。きちんと老後を見据えて働く必要を感じています。逆に、エホバの証人は もう間もなくハルマゲドンが起きるため、働く必要はないと言っています。これは本当にそのように教えています。どちらが「食べたり、飲んだりしよう、明日には死ぬからだ」という精神でしょうか。一目瞭然です。
長くなりましたので、続きを別に書きます。
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